リアルの恋は卒業したのですが猫系エリート商社マンの元カレと駄犬系後輩に迫られて困っています

たまりん

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平和な日常が

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「ふふっ、今日もイケメン、ダンピョールさま…」

そのしなやかな豹の獣人の筋肉にほくそ笑む。
だが、これは所詮妄想の世界。

だからいいのだ♡


もう恋をする気はないから。
リアルでは…

それくらいに私のリアルに対しての期待値は低い。

きっと一つの恋が終わって燃え尽きてしまってから…

初めて誰かと深く繋がっていると思える程、強くなれた。そんな恋をしていたのはもう遥か昔の事だ。

未だ、朧げには覚えている。
愛しいと思えた。
きっと二人はこのままずっと一緒だと。

そんな日々が続いていくのだと、愚かにも信じていた若かった私の恋。

素直だった心なんて痛々しいだけで、今となっても思い出したくないほどに青臭い。

そんな真っ直ぐな自分がいかに愚かだったか気付いた時には、きっと目の前の世界も色あせてしまっていた。

信じていた価値観を根底から覆された。
恋人からの裏切り。
たったそれだけの事に全てをなくした気になれるくらいには、愛してた。

いや、きっと依存していたのだと思う。

そんな、誰にでも、どこにでもよくある話。
そして、それで終わってしまう話。

だけど、あの頃私ははっきりと思った。

燃え尽きた自分ではもう新しい恋ができないと…
そう気付いてどれくらい経ってからからだろうか……

私は今までの自分がいた世界から逃げ出した。


……ん?

いや、待って、やはりそうではない。うん……

やっぱり言い直そう!

失恋など言い訳なのだ。

それはきっかけであり、今現在恋をしようとは思わない明確な理由ではない。

ある日、しっかり、はっきり、バッチリと私は気付いてしまったのだ。

現実よりものほうが何倍も楽しい事を!

そして、美しく、尊く、甘く、便利かつお手軽で、自由であることを♡

現実のハッピーエンドは儚い。
握りしめた幸せは時とともに風化するのが人の理なのだ。

金をかけようが…
時をかけようが…
心の全てを捧げようが…

どこか報われない。
それが、人の恋。

私たち生身の人間は、癒しや安定を求める一方で、刺激を求めるというややこしい生き物だ。

新しいものが大好きな生体なのだ。
きっと私も含めて。

そしてそれこそが、何も持たない人間があらゆる環境の中で、ここまで発展してきた原動力ではないかとも思う。

それは強さであり、その中での愛憎もまた理なのだ。
それがきっとリアル社会の在り方なのだ。

ても、妄想であれば好きな時に好きな場面を切り取ってずっとニヤニヤ笑っていられる。

道徳観に苦しむ必要もない。

浮気はやりたい放題で、浮気される心配は皆無。

どんなに奔放であろうとも病気の心配もなければ避妊に気を遣う事もない!

そして切ない展開の後には、8割がた心が洗い流されるようなハッピーエンドが待っている。

さらに妄想の凄いところは、主人公は別に自分ではなくてもところだ!!

そして、そしてこれ大事!

登場人物の絡みすらも組み合わせ自由に決められることなのだ!!

だって、それは全て私の心でだけの話なのだから。

そう、妄想はどれだけ登場人物たちに不本意であっても、決して犯罪ではないのだ。

出演料すら払う必要はないのだ!

登場人物はいつだって、私の意のままに動いてくれる。

《だって、妄想ですから♡》

この素晴らしさに気付いてからの私は、きっと世に言われる″腐女子″になった。

いや、これは既に少し厚かましい表現かもしれない。

もう数年すれば立派な腐女子ならぬ、腐おばさんと化すだろう。いや、最近可愛がっている会社の後輩たちからしたらやはり私は既にオバサマの領域に入っているのか?

だが、そんな事はすでに何かを超越した私には気にもならない。
全く持ってノープロブレムだ!

私はほくそ笑んだ。

正直、こんなに歳を取るのが楽で楽しいとは思わなかった。

だって、妄想には実年齢は全く関係ないからだ♡

そう考えると今までリアルから求められ続けた強迫観念的なハードルは劇的に低くなった。

何歳までにこうありたいなどというナンセンスな柵とは随分昔におさらばした。

そう、人生は楽しい!
人生は素晴らしい!

有り体に言えば、もはや働ける場所とお給料があればいい。

それによる恩恵で衣食住を最低限に満たせば、世界はほら私の思うがまま♡

小説を読み漁り
マンガをよみ
動画を見まくる

そこに嗜好による多少の贔屓目はあっても垣根など存在しない。
正しいとか正しくないとか、責任とか負い目とかそんな事は関係なくすべての柵から解き放たれた世界。

異世界
BL
歴史
人外
転生
触手

何でも来い!

時に、自分の妄想を記録する為、拙いながらも自作ラノベを投稿してみたりする。

そうすれば同じ価値観を持つ同人と巡り合い盛り上がることもある。

そうしてリアルに幻滅した病んだ人間は私だけではないと再確認するのだ。

そんな同胞達とのやり取りはまさに妄想が生み出した副産物と言えるだろう。

楽しい♡

…だが、忘れてはいけない。

リアルがどうでもいいと言うのとは違うのだ。
リアルを疎かにし過ぎるのはNGだ!

リアルにはリアルの価値が大いにある。

それは妄想の種となる情報の数々だ。

それを社会と職場は私に与えてくれる。


私の名前は片桐莉子かたぎりりこ
あと一年で30を迎える29歳。
彼氏いない歴は確か今年で4、5年になるだろうか?

中堅の総合商社の総務一筋で働いていた私は数年前から総務に在籍したまま何故か新人育成の為の若手企画推進チームの主任に命じられた。
でも主任とは名ばかりの新入社員のお世話係と言うのが正しい役割りだろう。

(おばちゃんに、任せなさい!!)

えっ、どんな仕事かって?

うーん、普段から雑用から、イレギュラーな仕事から色々こなすけど、そんな日常業務の合間に、入ってきた新入社員に最低限のビジネスマナーと、会社の目指すところ、その為の各人の役割を指し示し、企画・営業・業務・広報・営業事務・経理事務等できるだけ多くの部署の人々の仕事を紹介し、時に立場から対立する事もある各人の夫々の尊い役割を知ってもらう。

その間、私も新人さんの反応を見て、その人柄を知り、適性を見て、その人に合った新人研修を企画する。

皆が違う事で成り立っているのもまた組織なのだ。
基本、その事を分かってもらい、まずは自分を肯定してもらいたいと思う。

若いっていいよね?
やはり、リアルではそれは強みだ。
可能性は未知数なんだから。

だから、ベテラン営業マン達にお願いして新人さんを同行させたり、立ち上がった個別プロジェクトのメンバーに推薦したりして、戸惑ったり不安を抱えた彼らの相談に乗ったりする。

もちろん本格的な営業経験のない私ができるのは簡単なアドバイスになる。

だから適任者からの助言を一緒に貰いに行ったりする程度の橋渡し役くらいしかできないけれど、それを何故か重宝がられたりもしている。

わが社ではそうして入ってきた若い子たちが、それなりの経験をしたのちに、然るべき配属先に配属されていく。

そして私は、彼らのそんな初々しくも逞しい背中を見送るまで身近で寄り添う。

眩しい程に若い彼らの背中に数多の妄想を抱きながら♡

輝く毎日には当然、山もあり谷もあり、ミスもあり、助け合いもあり、恋も芽生えれば、涙無しでは語り尽くせない愛憎も嫉妬も競争もありで、私の妄想のタネも尽きないのだ。

そんな大好物な小ネタを日々妄想の材料として美味しくいただきながら、結構懐かれたりもして、嬉しかったりもする。

そんな後輩たちの成長や成功が、我が子の成長をみるようにまた胸にくるものがあったりして、それがまた妄想の為の創作意欲に繋がったていく。

だから、いつも心の中で感謝を叫ぶ。

(ありがとう、ありがとう、ありがとう、美しく書き上げるからね!?あっ、でも、君たちはリアルでも大きく育て!)

もうお分かりだろうが、そんな趣味と実益を兼ねたとても美味しい職場に私は今、身を置かせていただいているのだ。

うふふっ♡

そう、私にとってリアルと妄想とはまさに♡ウインウイン♡の関係という奴なのだ。



********

だがしかし、何故にこうなった……?
それは、数十分前の事

********

久々に定時上がり出来そうな今日、私は3年後輩の泉健太郎の「焼肉食べて~!莉子先輩お願い、付き合って!」のおねだりに負けて、焼肉を食べるべく会社の自社ビルを出ようと泉と肩を並べて歩いていた。

泉健太郎は、私が企画室の仕事をし始めて初めて迎え入れた新入社員だ。
といっても三年経った今では25歳。
営業部のホープとも言われ始めていて、私に良く懐いてくれている可愛い後輩の一人だ。

そして何故か私が腐女子である事に気付いている数少ない人物の一人でもある。

かつてラグビーで鍛えたという185センチはあるガッシリした身体に笑うと目尻に少し皺が寄る人懐っこい鳶色の瞳。結構整った愛嬌のある顔をしたこの大男は私の周りを未だ『莉子さん、莉子さん』と纏わりついてくる。

まるで大型犬のようだと正直かなり後輩君の一人として可愛いく思っている。

「うっわ~ 暑っ、まずはビールっすね?」

「うん」

そう頷きながらも私は少し気まずく切り出した。

「あ…、でも泉、私今日は予定があって20時には帰るから」

そう、目の前の大男をけん制する。

そうでもしないと酒が入ったこの大男はいつも以上に懐いて帰りたがらないのだ。


「はいはい、今日は、莉子先輩の好きなBL本の発売日っすもんね……」

「なっ、あんた、いつもどこでそんな情報調べるのよ?」

「はは、三年も見てきたらさすがに、色々と分かる様になるんすよ」

そう悪びれた様子もない泉に諦めて白状する。

「そだよ。今日、昼休み急に入ったトラブルで買いに行けなかったから、本屋が閉店する前にと思って…」

「だと思って、買ってきましたよ!」

そう言って、ビジネスバックからジャーンと除いたブックカバーに目を見開いた私は、言葉もなく、その本を押し込めた。

本当は直ぐにそれを手に取って読書にふけりたい気持ちを精一杯の理性で抑えた。

(えらい…、私…、リアルの鏡だ…)

そして、周りに人がいないのを確認して小声で問う。

「ちょ……、ほんとに?? でも、ここは流石にまずいから出さないで!!」

「はは、大丈夫だと思いますけどね、了解!! 気に入ってくれました? 俺の莉子先輩への貢物」

「う、うん。はっ!? でもあんた、一体どんな顔してこんなもの買ってるのよ?」

「ん?こんな顔っす」

そう言って、悪びれもしない堂々とした微笑を二ッと浮かべる。

「あんた……。それって、周りからどう見られてるのか分かってるの?」

「ふっ、その言葉、そのままお返ししますよ?」

「やっ、そうなんだけど、そういう問題じゃなくて…」

店員や、その手の女子から、どう思われてるか想像できるだけに、憐れな後輩に頭を抱えた。

果たして上と思われたのか下と思われたのか……
下なら笑える。
不謹慎に緩みそうになる頬を必死で引き締める。

泉は相変わらず笑顔だ。

「人はどうでもいいっす!世間体なんて、莉子先輩の嬉しそうな顔には代えられませんからね」

「泉~!!あんたって奴はこんな腐女子の年増にそこまで、メッチャいい奴!!愛してるよ!!」

そんな調子のいい言葉に泉も調子よく答える。

「あざっす!“愛してる”いただきました~!」

「なんだよそれ? 今更私に媚びてもなんにも出ないよ?」

そう言って笑って歩き出す私に再び纏わりつく様に話し始める泉。

「莉子先輩、俺、今日ね、西海建材の訪問、めっちゃいい手ごたえだったんすよ?」

褒めて褒めてと言わんばかりの大男。

「本当に?あそこは新規参入が難しいって、前任者も苦戦してたのに、凄いじゃん、泉!」

そう言って背伸びをしてヨシヨシする私に屈んで頭を差し出す泉。

ムッとした初夏の風を受けながら胸元をパタパタしながら、泉とあーだこーだと他愛もない話していたところに、突然もう一つの声がかかった。

「莉子、お疲れ様。」

突然呼ばれた自分の名前。
低音の優しい声。

振り返ると長身のスラリとしたスーツ姿の身奇麗な男。

「待ってたんだ。飯、…つき合ってくれないかな?」

あの頃と同じように小さく笑う懐かしい顔に思わず時代を錯覚しそうになった。

(な、なんで…?なんでここにいるの?)

そこにいたのは、もう7年も前に別れた私の元カレ。
桜川翔だった。

かつて凄く好きだった人。

あらゆる努力をしてでも、どうしても繋ぎ止めたかった人。そして、結局そうは出来なかった人。

そんな男が今、私の目の前にいる。

スラリとしたスーツ映えする長身。
少したれ目の鼻梁の通った綺麗な顔で優しく微笑む姿は、私の知るあの頃より大人の余裕を感じさせる。

若い子の好きなドラマとかにでてくるような、いかにも上場企業のやり手営業マンという風情だ。

(意味が、わからない…)

だって、あれから7年…。
7年なのだ。

「翔………なん、で?」

そう相手に聞こえない程度の声で呟く。

「莉子、先輩…?」

その声に気付いた泉が怪訝に眉を寄せて、私と目の前の男を伺う。私は気まずい思いで目でそれを制した。

泉は何か言いたそうだが″待て”を命じられた大型犬のように少し顔を歪めて警戒したまま様子を伺っている。

そんな泉をその場に残して、私は数歩先の男の元に歩みを進めた。

周囲が騒めく。

『キャッ、誰?誰? あのイケメン、三丸商事の人じゃない、だってほら?』
『あれ…?莉子先輩だよね。知り合いかな?もしかして彼氏だったりするのかな?』
『え…、ないよ、だって莉子さんは……』
『そ、そだよね……』

なんて囁かれている。

私がモテない、毎年恋人いないの、寂しいお局OLであるのは周知の事実なのだ。

いや、一つだけ反論できる。
本当は寂しくはない…

でも、ここは会社の前。
私にとってリアル社会の公衆の面前である。

何故この男がここにいるのかは分からない。
心当たりがあるとしたら、先日の再会か…?

超重要取引先の担当者として数日前の我が社の創立70周年祝賀会で再開してしまったこの元カレへの態度はどうすれば正解なのか。

(てか、…なんで食事?)


まさか、ここで恥をかかせる訳にもいかない相手として再開した元恋人。

私を捨てた恋人。

私は、即座に一つの判断をして華やか過ぎない程度の営業用の笑顔を浮かべて綺麗に一礼した。

「えっ……?莉子?」

戸惑う声はスルーして続ける。

「これは、三丸商事の桜川さま、先日は祝賀会へのご参加ありがとうございました。」

その言葉で後ろにいた泉も相手の立場と、三日前の祝賀会にいた取引先の一人だと思い当たったのだろう。
私から、少し遅れて、取引先に対する礼儀を尽くして頭を下げる泉。

「あっ、いや、今日は……」

そう言いかける相手の声に被せるように私はそのまま話を切り上げようと続けた。

「先日は、専務の大平よりご紹介いたきまして、不在にしておりました担当者の代理で私がご挨拶をさせていただきましたが、御社の担当は第二営業部 部長の小林と、営業担当の牧田が務めさせていただいておりますので、そちらの都合を至急確認させていただきます。少しだけ、お時間をいただけますでしょうか?」

そう言って笑みを作る私に慌てる目の前の男。

「えっ…、ちょっと待って、そうじゃなくて……」

掴まれそうになる指先を引っ込めて、後ろにいる泉を振り返る。
慌てると、相手の指先を咄嗟に掴む癖、変わってない。

「泉君、ごめんなさい確認をお願いできる?」

そう問いかけた私に、一瞬目を見開いた泉は仕事モードに切り替わり即座に頷いた。

「はい、直ぐに、少々お待ちくださいませ。すぐに確認してきます」

そう言って、受付に駆け出す泉の背中を 焦ったように見送るかつての恋人。

「あっ、君、ねぇ、本当にいいから…、違うんだ!」

焦ったように泉を呼び止めた手を力なく下ろし、
眉をハの字にして、困ったように微笑を浮かべて私を見つめる目の前の元カレ。

「莉子……」

嘗てと同じように呼ばれる自分の名前に今は違和感を感じる。
それくらいに、時が流れたのだと自覚する。

あれから、7年。
変わらない事もあるのだろう。
きっと変わってしまった事があるのと同じくらい。

そう思いながら、相手を諭す。

「桜川様、ここは会社の前です。たとえ学生時代のただの後輩だとしても、親しすぎる呼び名はあらぬ憶測を呼び、結果的にお立場にご迷惑をおかけしてしまうといけません。どうか、苗字で呼んでください。改めまして、今は片桐と申します。」

そう数年前に再婚した母の旦那の姓を名乗る。以前は前田莉子と名乗っていた時期があった。

「片桐……、あぁ、そうだね。名刺にそうあったね。あの日は、……君がもう結婚してしまったんだと。でも昨日ね、君の上司の方とお話する機会があってね、君はまだ独身だと言っていた。」

顔が引き攣った。

「そうなんだよね?部長が仰るには、多分そんな予定も絶対ないだろうって…」

(絶対無い??………)

眉間に皺を寄せる私は内心で悪態をついた。

(たぶんに…、絶対をつけるんじゃねえ!…確かに無いけど)

拳を密かに握りしめる。

(あんの部長、人の個人情報をベラベラと……)

人にどう思われようと構わない。
その筈だった。

そう思っていた…

でも、この瞬間、私にも若干のプライドくらい残っていたのだと、今更ながら自らの小ささを思い知る。

たぶんこんな感情は相手限定で…。

そして目の前の男はその唯一の特定の対象だ。

自分の全てが否定されたように感じた過去。

自分の中の何かが弾けそうだった。

(冷静に…)

自分にそう言い聞かせる。

今の私はただの取引先の一社員に過ぎない。

…でも、だからこそ腹が立つ。

「あ~、それは、確かに事実ですね。」

そう言って引き攣っているだろう笑みを浮かべた私は、過去の男の瞳を見据えた。

「ですが桜川様? いくらお取引先様とは申しましても、このような公共の場で、30歳を目前とした女性社員に結婚の有無や予定についての事実確認をするなんて野暮ですわ、相手を間違えると“セクハラ”と捕らえられても仕方がありませんよ?」

そう棘を含ませて目を細めた私の内心の機嫌の悪さに気付いた男は取り繕うよう謝った。

「そんなつもりは、あ、でも、……いや、きっと言う通りだ。普通の状況じゃ、そんな事絶対しないし、しちゃいけない事だよね。」

「いや、今も現在進行形でその普通の状況とやらは適用されるべきではないかと思いますが……」

(この男、自分が捨てた女には、生涯に渡って人権がないとでも思っているのか?)


再開してからいきなりの上から目線に半ば切れそうな自分と戦う。

その時にパタパタと足音が聞こえてきた。
きっと、部長たちが駆け寄ってきているのだろう。

今、我が社と三丸商事との業務提携は大詰めを迎えていて、それにより我が社の将来の業務体形と経常利益は甚大に左右されるはずなのだ。将来的には何十億いや何百億が試算される社運をかけた業務提携。

(冷静になれ、私。もうすぐ部長と牧田が駆け付ける。そうしたら交代だ。)

そうしたら直ぐにこの場を立ち去ってやけ酒を呑みまくるのだ!

「ややや、桜川さん、電話をくださったらいいお店を予約して迎えをやりましたのに……」

遠くに聞こえる慌てたような部長の声。
男たちの足音。

それにホッとしかけた瞬間、目の前の男はそれすらも気にしていない様子で、私に向かってマイペースに続きの言葉を口にした。

「でもね、莉子…、これは、セクハラじゃないと胸を張って言える!」

「いや、どう考えてもセクハラか嫌がらせ…ですよね?」

顔を歪ませた私はついそう口走った。

「違う!」

いつになくそう感情的に否定する嘗ての恋人。
この人のそんな顔を私はあまり見たことがない。

「あううっ、か、片桐くん…、ちょっと待って、い、一体何があったて…」

「り、片桐主任?どうしちゃったんですかぁ」

オロオロする部長と牧田の声。
それも当然だろう。

自社ビルの前で繰り広げられる、会社一地味なお局社員と将来有望な大手企業のイケメン営業マンのまさかのセクハラ攻防。

現在、社運を賭けた業務提携の大詰め。
立場が上なのは断然三丸。

四の五の言えない力関係がここに存在していた。

まだ若いながら、三丸の課長だと言うこの男。

私もこの間知ったが、三丸の副社長の甥だと言う。力は、恐らく我が社の専務、常務の上を行く。

それくらいに社格と立場が違う。

それでも爆発しそうな自制心。

「じゃ、……一体、何のつもりだと言うんですか?」

「ひぃ!莉子先輩…」

怯えたような牧田の声。
この牧田も数年前、私が新人教育をした営業マンだ。

「片桐くーん? よ、よく分からないけど、そのあたりに…、あとでちゃんと話は聞いてあげるから…、ね?」

涙目で小さく首を振り「や・め・て」と訴える業務提携責任者の二人。

でも目の前の男はそんな周囲が全く目に入っていないようで、私だけを見つめていた。

「セクハラじゃない!本気だから、…しっかり聞いてほしい!」

「な、なにっ?」

「俺が伝えたいのは…」

そう言いかけた瞬間、男は息を吸って、少し姿勢を改めるように私に真っ直ぐに向き合った。

「だから、何なのよ…」

ここに来て謎の薄気味悪さに一歩引く。

なんの騒ぎかと集まった30人を越すだろう同じ会社のギャラリーたち。

「莉子、俺…」

思い詰めたような顔で私を見つめる翔。

(な、なに…?)

「いや、僕ともう一度、けっ」

(けっ…?)

「結婚を前提としてお付き合いしてください!」

その瞬間、周りは静まった。

「…………は?」

「へ??」

次の瞬間、思い思いの声があがるが、皆固まったままだ。
もちろん私も固まって動けない。

「……もう、一度?」

「結婚……?」

そこに呆けたような部長と牧田の声だけが響いた。

その声にハッとしたように、泉が私を見つめて険しく眉を寄せた。

「なっ、莉子先輩、…まさか、この男?」

引き攣って唸るような泉の声。

それでも私は固まっていた。
状況が全く持って理解できない。

何も言わない私に、切なく顔を歪めこちらの反応を伺うかつての恋人。

まさに寝耳に水で反応なんてできない私に翔は、縋るような声で続けた。

「莉子、もう一度俺にチャンスをくれないか?今度はちゃんと幸せにする。」

「な、なにを…」

「もう寂しい思いはさせない。ね、莉子、心配なら一緒に暮らそう?結婚って考えた時、俺、莉子の事しか考えられなくなるんだ!」

「けっ…けけけ?な、なにを馬鹿な事…」

「馬鹿な事なんかじゃない。あの頃の莉子が俺に寄せてくれてた真っ直ぐな愛情が、どれだけ俺にとってかけがえのないものだったか分かったとき、どれだけ探しても君は見つからなかった。」

(探した……?この人が私を、探していた?)


「でも、こうしてまた逢えた。もう、間違えたくない。莉子、ずっと俺の側にいて欲しい」

「な、なんで…」

「とにかく、俺には莉子しかいないんだ。…どこにも行かないでほしい!」

まるで美談の映画のワンシーンのようなセリフに水を打ったように静まった周囲からは、女子社員の感嘆の声が上がる。

(いや、ちょっと待って、私、あんたに捨てられたよね……?)

「意味が…、分からないんですけど…」

「うん、そうだよね…。そうだと思う。それくらいにあの時の俺は莉子を傷つけたよね。ごめん、子供だったんだ。でも、もう同じ過ちは繰り返さない」

「一生かけて大切にするから、俺のこと、もう困らせないで、お願い莉子」

困ったようにそう言う男。

(いや、ちょっと待って……)

今、この状況に困ってるのは私ですから。

「ここで返事が欲しいなんて言わないよ。だけど莉子、ゆっくり話がしたい。謝りたい事も沢山ある。そして、これからの事も話したい。」

そう言って縋るように私に距離を詰めた翔に指先を握られた。

昔からこのポーズで甘えられると弱かった。いつも、都合のいいように言いくるめられた。

かつて浮気を疑っていたころも『俺には莉子だけが大事なんだよ、莉子はそんな心配しなくていいんだよ』って…。

(結局浮気してたくせに…)

あぁ、こうされてあの頃の痛みを鮮明に思い出せるほどには、まだこの男は私の心に残っているのだろうか…。

「だから莉子、どこか二人になれるところに行こう?」

7年経ったのだ。
変わったものもあれば、変わらないものもあるはず。

(………でも、何がどうしてこうなっている?)

私はパニック状態に陥って俯いていた。

そこに突然大きな影を感じた。

長い脚が目の前に仁王立ちしている。
顔を上げたら泉の大きすぎる背中があった。

 「泉……?」

何しようとしてる?

そうあわてて体制を整えて泉の横から顔を出そうとした瞬間、大きな腕で後ろに戻された。

「ブホッ…… ちょ、泉何するの?」

肘鉄のダメージに非難の目を向ける私には何も答えない泉は、目の前の翔に怒りを押し殺した低音の声で問いかけた。

「……もう一度?今さっき、そう言いましたか?」

その意味するところが、わからなくて一同眉を寄せた。

「それって、莉子先輩いや…、片桐さんは、桜井さんの恋人だったってことなんですか?」

そう翔に問いかける泉。

「ちょ……、泉君、何言って」

オロオロする牧田。

「君は……?」

眉を寄せる翔。

「営業部の泉健太郎と言います」

そう答える泉の声にはいつもの愛想は皆無だ。

「泉君……?」

「何で君にそんな事聞かれなきゃいけないのかよくわからないけど、でもそうだね。」

チラリと周りを伺った翔は、ようやくこの状況を察したように苦笑した。

(ちょっと待って、…遅すぎだよね?)

「あー、私事で皆さんをお騒がせてしまって申し訳なかったですね。いや、こうなったからには、ちゃんと答えなくちゃね……」

そう言って困ったように目を細めた男には嘗てはまだなかった哀愁のようなものが漂っている。

これが大人の色気か…

(くっそ~、自分だけいい歳の取り方しやがって、男の30歳。なんか無性に腹が立つ!)

「………」

黙り込む泉に背中に何やら薄暗いオーラを感じる。

「そうだよ。莉子と僕は以前付き合ってた。だから、元カレってやつだね。もっとも、僕は“元”は直ぐにでも取ってもらいたいと熱望しているけどね…」

困っていると見せかけた大人の余裕を醸し出す微笑だった。

(いつの間に、こんな高度な技術を…)

「………それは無いと思います!」

次の瞬間その言葉を否定する泉。

(えっ、泉何言ってるの?)

「……それはどういう意味かな?」

そんな泉の言葉に若干顔を引攣らせる翔。

「だって、……今更でしょう? 莉子さんはきっともう貴方を好きにはならない」

低音のハッキリした声がそこに響いた。

「なっ……?」

絶句する翔。

だけど何故かその瞬間、周囲は騒めいた。

そして何人かがウンウンと頷き合っている。
「だよね~」とか「もったいない」とか「いらないんなら譲ってください~!莉子先輩~」なんて悲鳴も聞こえる。

その様子にさっきまで余裕をもって受け答えしていた翔の眉間に不機嫌な皺が刻まれる。

「ちょ、君、泉君?」

「い、泉さん、し、失礼ですよ!?」

慌てたような部長と牧田の声。
オロオロと翔の顔色と泉を見比べる牧田。

「………それは、どう言う意味かな?」

低くなる翔の声。

「もしかして、君かいるから?…そう言いたいの?」

引き攣ったように口角をあげて苦々しくそう問いかける翔。

「ちょ……泉??」

私そっちのけの不穏な空気に戸惑い泉の名を口にするが、私の問いかけには反応が無い。

「今は……、違います。でも、必ずそうします」

その言葉に翔は目を細めて顔を歪ませた。

「そう、違うんだ。なら部外者は少し黙っていてくれないかな。僕は今、決死の思いで莉子と話をしに来ているんだ」

「申し訳ないですが、桜井さん、部外者はあなただ!」

そう訴える泉。

「ちょ、泉君、失礼だろ??もう、君は帰りなさい。後は我々が引き受けるから…、ね?」

慌てる部長。

「り、莉子先輩、ちょっとだけ?ちょっとだけお話聞いてあげるなんていかがでしょうか?ね?ね?」

オロオロと取り繕うとする牧田。

「僕が、……部外者?」
怒りを秘めた翔の声。

「そうです。これから莉子さんと食事の約束しているのは俺ですから!」

その言葉に一層顔を険しくする翔。

「ひっ、でも、それでは君……」

慌てた部長は何やら泉を遮ろうとしている。その言葉を聞き終わらないうちに泉は言い放った。

「部長、俺達さっき、ちゃんとタイムカード押させてもらいました。」

「いっ……?」
その瞬間、部長は絶句した。

「桜井さんの要件は、どうやら仕事ではなく、プライベートな事な様子ですし、これから社外で予定している就業時間外の俺と莉子先輩との食事もプライベートな事ですよね?」

「や……、そこ、そこだけ言うとそんなんだけどね…、でも君??」

言葉にはしないけど、《この状況分かってる?》と訴える目。

それを完全に無視した泉は、一礼した。

「じゃ、俺たちはここで失礼します」

そう言い切った泉に、手首を鷲掴みにされた私は、その場を引っ張られるように立ち去った。

何が何だか分からなくて……
引かれるままに駆けた足と呼吸に限界を感じて、泉の大きな背中に声をかけた。

「ちょ、泉、もう、走れない……ねぇってば……」

そうするとようやく走るのを止めた泉は、夕方の歩道橋の上で立ち止まった。
はぁはぁと息をしながら、泉を見上げた。

「泉……?」

どこか強張った怒ったような顔をした泉と目が合った。

「なんでですか……?男、いた事あるんですか?」

「えっ…… なになに? いきなりなに?」

刺すような瞳に戸惑ったけど、そんな泉に答えた。

「えっ、……そりゃ、私にだって若い頃はあった訳だし、その……」

言葉を濁す私に更に質問は続いた。

「あの男と付き合ってたって……、そうなんですか?」

何故か責めるような口調に戸惑いながらも答えた。

「そ、そうだけど、……もう、ずっとずっと昔の話だよ、ははっ、別れて7年近く経つのに、はははっ…、今更何だろうね? きっと、揶揄われてるんだよ私、ほんと、相変わらず嫌な奴」

取り繕うように笑う私に何故か無言の泉。

「………………」

黙り込む泉の前で自嘲するように微笑んだ私は、その瞳から眼を逸らして、夕日を見つめて目を細めた。

「振られたのさ、…私の方なんだよ?本当、今更だよね、意味分かんない」

そうボソリと零した私の声に泉は顔を上げた。

「……まさか、未練あるんですか?」

そう問いかける泉に、自嘲するように小さく首を振った。

「そりゃ……当時はね、若くて、まだ純粋で、突然無くなった世界に心も体も対応できなくて、未練が無かったなんて言ったら嘘になるかな。」

息を呑む泉に大丈夫だと笑ってみせる。

「でも、……もう7年だから」

変わった……
きっと、私は変わった。

そう思う。
変わらないと生きては行けなかった。

「じゃあ、そのあとも、……彼氏とかいた事あるんですか?」

どこか痛そうにそう問いかける泉に居心地の悪さを感じて、取り繕うように口角を引き上げた。

「何だよ?泉、今日はそんな話ばっかり、…恥ずかしいじゃん?」

「真面目に聞いてるんです!答えてください!!」

刺すように問い質された私は、諦めて息を吐いた。

「そりゃ、何人かいたよ。……でもね、なんでだろうね?長続きしなかった」

そう曖昧に答えたけれど、私には分かっていた。

今なら、理由なんて明快だ。
あれから、私は可愛い女ではなかった。

永遠なんて信じてなくて……
人は嘘をつく生き物だと悟っていて……

どこか冷めた目で相手を見つめていた。

傷つかなくてもいいように絶えず自分の周りに防波堤を作って……

そんな女を愛しいと思い続けられる人はいないし、そんな価値観を再び覆されるような相手とも出会う事は無くて……

そして妄想の楽しさに嵌った。
誰も傷つけたり傷つけられたりしない私の中でだけの“心遊び”

そして、私はリアルの恋から遠ざかり、時を重ねて、泉の知る“腐女子の莉子先輩”と化したのだ。

その時、引き攣ったような泉の声が小さく聞こえた気がした。

「………魔法使いじゃなかったなんて、じゃあ、俺は今まで一体何をやってたんだ?」

(…はい? 今、なんとおっしゃいましたでしょうか?泉くん?)

「莉子先輩……」

じっと私を見つめる鳶色の瞳。

「俺じゃ……」

「ん……?」

一瞬顔に延ばされかけた泉の長い指先はそのまま力なく下ろされた。

「いや、……」

「泉………?」

「ははっ、何でもないっす。……焼肉、行きましょうか?莉子先輩、………約束、破ったりしないですよね?」

何故か少し怯えたように私を見る泉に私は首を振った。

「なんで…?行くよ、当たり前でしょーが!」

「…っすよね?」

そう微笑まれて、やっとどこかホッとした私は再頷いた。

「うん、でもちょっと遅れちゃったね?」

「電話入れるんで、大丈夫でしょう?」

「まずはビール!! それで、牛タンと丸腸、そんでもってカルビとミノと…」

「はいはい、その後、ロースとエビでしょ?今日はビビンバまで到達できそうですか?」

「うん、頑張るって…、何で泉、いっつもお見通しなんだよ?」

「だから……、何年見てると思ってるんですか?」

「ははっ、私、ワンパターンな女だからね」





何年見てると思ってるんですか?
アンタだけを…

なのに、今更魔法使いじゃなかったなんて…。

ちゃんと男知ってる女だったなんて…。

俺以外の男を知ってる身体だなんて…。












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