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それは私じゃないのです

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「やっぱりそれ、私じゃないや……」

「え……、莉子?」

目の前で鳩が豆鉄砲食らったように美形が固まっている。

(やっぱりそうだよね、その反応だよね…)

私は懸命に口を開いた。
とても説明が難しい。

その一言に尽きるけど、やはり伝えなくてはならない。

———今度こそ、互いが互いの足枷にならないように。

「翔、……私、私ね、上手く言えないけど、ずっと、あの頃の自分が、どこか許せなかったんだと思う」

その言葉に明らかに戸惑いを見せる翔。

「莉子、あの頃の、自分って…」

ここに来て漸く、翔は私の言動に今までとは違う何かを感じ始めのかも知れない。
そう悟り、真剣に頷き言葉を続ける。

取り繕うのはもう終わりにしよう。

「あの頃、私、頑張れば、きっと未来なんてなんとかなるなんて、安易に努力してた…」

無邪気に笑う自分を思う…
翔が好きだった…
そして、一番自分が自分を好きでいられた頃…

「勝手に努力して、勝手に期待して、まるで報酬をもらうように、当たり前のようにハッピーエンドを求めてたんだと思う…」

無償だと思っていた愛は、実は案外そうでは無かったのかも知れないと思うのだ。

「莉子…?」

戸惑った翔の顔。

「きっと、そんなだから、そうじゃなくなったら、見苦しく狼狽えて、我を忘れて嫉妬して、どんどん醜い自分になって…」

(きっと、そこにはエゴがあったから…)

(愛という名の元に隠した依存心が大き過ぎたから…)

「別れても、一人になりきれなくて惨めで、情けなくて、可哀想で、でも同情なんて出来ないくらい愚かで……」

(そんな悲しい自分が嫌だった…)

「莉子?、、!」

目を見開く翔に、真っ直ぐに告げた。

「こんなんじゃ、生きていけないって思った…」

(そう、あの頃、きっと私はそう思った。それが私の転換期…。きっとそうだったのだと今なら思う。)

その瞬間、翔は眉を寄せた。

「莉子……」

「だから、」

「………」

「だからね…、捨てたの…」

(そう、私はあの時決別した…)

ハッとしたように肩を強張らせる翔に小さく告げた。

「……——?!」

…」

(そして、私の大嫌いだった私…)

「ばっ、馬鹿な事言うなよ?」

顔を歪めた翔はそう声を荒げる。

「ごめんね、翔の好きだった私は、もういないんだよ…」

顔を歪めたままそれを聞いた翔。

「っ………」

絶句したまま激しい瞳が私を射抜く。
それでも、私はもう動じなかった。

「卒業したの…、色んな事から…」

「卒業って…」

自嘲するように顔を歪める私に、信じられないと眉間を寄せて私を見つめる翔。

「…料理だって、もうほとんどしないよ?…掃除だって本当に最低限…」

「莉子…」

「誰かの機嫌を伺いながら生きるのも、もう辞めたの…」

「そっ…」

そう、残ったのは自堕落で、何より楽になった自分…

「努力は、自分が楽しむ為だけにするの…」

(恋に向かない、向き合わない自分…)

——そうだ、そうやって私は生きてきた。

目を見開く翔を見て、小さく微笑む。

「もう、誰かに翻弄されるような恋はしない…、だから、他人にも安易に、なんてしない…」

(しちゃ、いけない…、だから、その分…)

「楽しいところだけを見つめて生きるのがいい。だって、その方が楽だから…」

「そんな…」

「ね、だから、翔の好きな私は、もういないんだよ?」

「そんな、…訳ないだろ?」

そんな掠れた声に、私は小さく目を細めて一度俯き息を吐いた。沈黙の中、翔を再び見つめる。

「莉子…」

涼しげな目元に戸惑いを浮かべた翔に静かに切り出す。

「それでもね、…嬉しかった」

「莉子……?」

瞬く瞳を見つめて感謝を伝える。

「あの頃の私をちゃんと翔が好きでいてくれた事も、今でも忘れずにいてくれた事も……」

「嬉しかったんだよ…」

「莉子……」

「翔が、ちゃんとあの頃の私と同じように悩んだり、苦しんだりしながらも、今では、噂に聞くくらいに、やり手で素敵な社会人に成長してた事も…」

「莉子!、やめてくれっ…」

聞くに耐えないと、少し、声を荒げた翔に微笑んだ。

「だから、あの頃の私に伝えてあげたいんだ」

「よかったねって…、じゃなかったよって…、翔はちゃんと、恋するに値する人だったよって…」

「色んな苦悩の中で、ずっと頑張ってきたんだよって…、そして、ちゃんと今の翔になってて、これからもきっと未来の翔に変わっていける…」

「もっと、素敵に時を重ねていける」

「あなたが好きだった人は、そんな強い人だったよって…」

「悲しい終わりだったけど、素敵な恋をしたんだよ」

「……」

「だから、…もう、十分だよねって」

「…………」

その言葉に複雑な顔をして目を見開く翔に、自嘲するような笑みを向けた。

「ねっ、分かったよね?それくらい、私の心は、あの頃の私と離れたの…」

「莉子…」

「もう、ずっと前だよ。ずっと前から決別して生きてきたの…」

「違う…」

「違わない。それは、人間だから、変わったところもあれば、変わらないところもあるよ?きっと翔だって、誰だってそうだよね…」

「…」

「でも、翔への思いは、昔の私と一緒に、もうずっと昔に置き去りにして生きてきたんだよ、…だから翔を好きで仕方ない私は、もう私の中にはいない」

「莉子……」

「翔の好きな私はもういないの」

目を見開いた翔は、一度顔を伏せた。
そして、私を見つめた。

「じゃ、どうしてそんなに悲しそうなんだ?」

そう聞かれた。

「それは、ただ、そんな馬鹿みたいに不器用で一生懸命だった自分がいた事をちゃんと覚えてる私がいるから…」

「翔が、今も覚えてくれてるみたいに…」

「………、そうか」

「ごめん…」

「………、謝るなよ、それも、なんか違うだろう?」

泣きそうな顔で、そう微笑まれた私は「そうだね…」
と頷いた。


二人で歩いた。

漸く、時の経過を互いに認め合った大人になった二つのシルエット。

だけど、思い出の場所でもあるこの公園は皮肉にも至る所に当時の面影を留めている。

「喉、乾いただろ?何か買ってくるから、待ってて…」

「あ、うん…」

そう言われて、翔の帰りをベンチで待つ。

「お待たせ」

そう言われて見上げたシルエット。
既視感のある懐かしい背景の前の柔らかな笑顔。

「ありがとう…」

そう言って、渡されたスポーツドリンクに口をつける。

「悪かったな、病み上がりなのに、付き合わせて…
まだ、ちょっと暑かったよな…」

その言葉に小さく笑って首を振る。

「昔、よく飲んでたやつあっただろ?」

突然そう言われて、首を傾げ思い当たる。

「あの黄色い缶のスポーツ飲料、あれ買いたくて、自販機二台回ったのに、もう無かった。」

困ったような拗ねたような顔でボヤく翔。

「そっか…」

「時が経ってしまったんだな…」

「そうだね…」

そう言って、口をつける白い缶のスポーツ飲料。

「でも、おいしいよ?ありがとう」

翔が言っているドリンクは5年ほど前に廃盤になった。それ以来、新たに好んで飲むようになったのは、正に今手渡されたドリンクだった。

でも、それを口にする事はしない。

「なぁ、莉子…」

「ん…?」

「莉子の言うようにさ、俺の好きだった莉子が莉子の中にいないんならさ…」

翔は憂うように空を見上げた。


「……俺の好きだった莉子って、どこにいるんだろうな?」

目を細め、そう呟く翔。

「翔……」

「もうさ、逢えないのかな…」

その言葉に切なくなる。

「ごめん……」

「いいよ、謝らなくて…、謝らなきゃいけないのは俺なんだから。」

力なく笑う翔。

「翔…」

可哀想に…
そう思っても手を差し出してはいけない人。
けじめをつけたのはこの私なのだ。

「でも、莉子に言われて、俺も思ったんだ、ちゃんと伝えられてなかったなって、あの頃の莉子に…」

そう言って俯く翔を伺うと、翔は私ではなく、真っ直ぐ遠くを仰ぐように声を発した。

「ありがとう、大好きだよって…、ヘタレで、本当にごめんって…」

「ははっ、ヘタレって…」

苦笑する私に同意を求めるように翔は笑った。

「だって実際そうだろ?」

「微妙な懺悔だね、ハハッ」

「ねぇ、莉子、今だけ、ちょっとだけ、抱きしめてもいい?」

「翔…?」

突如、そう言われて戸惑う。

「やっぱりちゃんと言いたいから、俺が大好きな、俺の事好きでいてくれた、俺の知ってる莉子に伝えたい、もしも、伝わらなくても、キチンとけじめをつけたい」

「…………」

「ダメ…?」

そう縋り付く真剣な翔を断れる訳なんてない。

「い、いいよ、でも一回だけだからね?」

そう釘を刺す私に翔は頷いた。

「うん、分かってるよ、ありがとう莉子」

そして、ギュッと抱き締められた。
切なくなるくらい長い長い抱擁。

きっと今、誰よりも大切に抱き締められている。

だけど翔は口に出しては何も言わなかった。
私も、何を語りながらこうしているかは聞かなかった。

途中肩に熱い何かを感じて、小刻みに震えそうになる翔の背中を撫でた。

(きっとこれでいい…)

あの頃の私は今どんな思いでこの抱擁を受け入れているのだろうか。

きっと漸く見つかった答えに、泣きながら笑っているだろうか、それとも遅すぎると怒っているだろうか。

それでも双方がきっと長年の重い足枷から解放される事を祈ろうと思う。

(よかったね、あの頃の私…。)

青い空が美しく晴れている。

(聞こえてるといいな。しっかりと翔の声が…)













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