神殿育ちの嫌われΩは、隣国の伯爵αに蕩ける愛を刻まれる

甘梨鈴

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第111話 勇気を振り絞る

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「エマ様、お時間が……」
「うん」
 ナタリナが、申し訳なさそうに声をかける。
 早く戻らなければ、侍女長に怪しまれてしまうだろう。
(僕は、ダリウ殿下の補佐という名目で出てきたから)
 ダリウは、すでに南殿に戻ったとクロエから聞いている。
 長居すれば、どこで油を売っていたのかと執拗に責められるはずだ。
「ルシアン様。これで……」
「ええ。明後日の晩餐会で、またお会いしましょう」
「はいっ」
 その言葉に、エマの瞳が輝いた。
 もう一度だけ、公の場でルシアンに会えるのだ。
 別れ際、名残惜しげに見つめるルシアンの眼差しが、いつまでも心に残った。
 エマはルシアンから預かった青い鷲のブローチの小箱を、法衣の懐にそっとしまい、離れへ戻る。
 ほどなくして、ナタリナが夕食の支度を整えてくれた。
「今日も、デイモンド伯が食事を持たせてくださったのですよ」
「うわぁ! またメルベランがあるっ」
「エマ様がとても喜んでいたと、申し上げましたから」
「そうなんだ? ありがとう、ナタリナ」
 ふわりと漂う甘い香りに、思わず顔がほころぶ。
 けれど、ナタリナは優しく釘を刺すように微笑んだ。
「でも、食べ過ぎはいけませんから、二つまでですよ」
「えぇ……」
 せっかく、こんなにたくさんあるのに。
 残念だけど、仕方ない。
 エマは大事に食べようと決めて、先に温かい料理を口に運ぶ。
 今日もナタリナと並んで夕食をとり、穏やかな時間が流れていった。



 + + +



 エマの穏やかな時間は、突然の訪問者によって破られた。
 明日の公務に備えて、机で書類をまとめていたときに、遠くで騒がしい音がした。
 すぐに、荒々しい足音が廊下を響かせて近づいてくる。
「ッ……!」
 エマは反射的に立ち上がった。
 次の瞬間、バンッと扉が乱暴に開く。
 そこに立っていたのは、憤怒に顔を歪めたレオナールだった。
「おい、貴様! またオレに恥を掻かせたな!」
「殿下ッ」
 エマは即座に片膝をつき、深く頭を垂れる。
 水場にいたナタリナも、慌てて駆け寄り、臣下の礼を取った。
 レオナールは荒い息を吐きながら、エマを見下ろす。
「兄上から聞いたぞ! また皇太子の接待に同行したそうだな!? どれほど厚かましくなれば、そのような真似ができるのだ!」
「っ……わ、私は、王太子殿下のご命令を承って……」
「ふざけるな!」
 レオナールの怒声が部屋に響き渡る。
「オレを差し置いて兄上の公務に同行するとは、どういう了見だ! オレを侮辱するつもりか!」
「け、決して、そのようなことはございませんっ!」
 エマは必死に弁明する。
「王子殿下にご報告をと思いましたが、本日もご不在でしたので……」
 頭を下げながらも、震えが止まらない。
 だが、レオナールが公務を放り出して遊び歩いていることなど、今や誰もが知っている。
 不在にしていたくせに、皇太子の接待を務めたことを責め立てるなど、理不尽以外の何ものでもない。
(怖いっ……でも、何も言わなかったら、何もかも僕のせいされる)
 折檻の痛みが、脳裏をよぎる。
 それでも、ルシアンとの優しい時間が、エマに勇気を与えてくれた。
(強くならなきゃ……っ)
 震える手を握りしめ、エマは勇気を振り絞った。
「わ、私はっ……王太子殿下より仰せつかった公務を、全うしただけでございますっ」
「口答えするな! 卑しい平民め!」
「ッ……ァァッ!」
 怒号とともに、レオナールの手がエマの髪を掴んだ。
 乱暴に引き上げられ、痛みとともに視界が揺れる。
「ぅっ……お、王子殿下……っ、お許し……ください……っ」
 涙がにじみ、情けない声が出た。
 それを見て、レオナールは残忍な笑みを浮かべる。弱者をいたぶって悦に入る、あの冷たい顔だ。
 また罵られ、暴力を振るわれる……そう思った矢先、レオナールは意外な言葉を吐いた。
「貴様が、貧相な身なりで媚びを売っていたあの男……覚えているか?」
「えっ?」
 思わず声をもらすと、レオナールの口角がゆっくりと吊り上がった。
「今日、王立劇場で見かけたぞ。視察だとほざいていたが、女連れで仕事とは、笑わせてくれる」
「ッ……」
 エマはハッと息を呑んだ。
 レオナールはその反応を楽しむように、ニヤニヤと笑った。
「高慢そうな女だったがな。あれが、アイツの婚約者らしい」
「……」
 ルシアンに恋人がいることを告げれば、エマが傷つくと思ったのだろう。
 エマは唇を震わせて、失望をあらわにした。
(王子だって、女性を連れていたのにッ)
 しかも、普段からカミラ嬢を恋人だと言いふらしているのに、今日は他の女性と劇場にいたのだ。節度を欠いた振る舞いも、他国の貴族と揉める低俗な行動も、救いようがなかった。
(どうして、こんなに浅はかなんだろう)







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