神殿育ちの嫌われΩは、隣国の伯爵αに蕩ける愛を刻まれる

甘梨鈴

文字の大きさ
124 / 129

第123話 懲罰房

しおりを挟む








 そこは昔の洗濯室だった場所で、床はいつも湿っており、空気は冷たく淀んでいる。外側から錠が掛けられ、唯一の小窓には鉄格子がはめられていた。
 親しくしていた下級メイドが、ナタリナのために隙を見てパンや干し果実を差し入れてくれなければ、餓えと寒さで弱ってしまうところだった。
 懲罰房に入れられる前、ナタリナは侍女長へ一つだけ願いを申し出た。
「侍女長様。恐れながら、聖樹に触れることを許されるのは、聖花女のみでございます。イーリス大神殿の教えに従い、聖樹へ水の恵みを与え、その御身を清めるお役目は、どうか私に」
 聖花女とは、イーリス大神殿の聖樹に直接仕える女官の呼び名だ。
 ランダリエにおいて、聖樹は貴族と同格であり、女神の愛し子として尊ばれる存在である。その世話を許されるのは、限られた者だけだ。
 ナタリナの言葉に、侍女長は鼻を鳴らした。
「聖樹などと……あれは平民ではないか」
「では、その平民出身の聖樹のお世話を、他の侍女殿がお引き受け下さると?」
「犬に水を与えるなど、造作もないこと」
 ナタリナはわずかに首を傾げ、穏やかに微笑んだ。
「……聖樹のお世話には、神殿の規律に従い、いくつもの禁忌がございます。たとえば手順をひとつ誤れば、聖樹のお身体が弱り……宮廷医の診察で、不都合が生じるかもしれませんね」
 侍女長の顔から、さっと血の気が引いた。
「……」
「皇太子の使節団が帰国なさるのは三日後。その間に水もろくに与えられないようでは……聖樹とて女神のみもとに召されましょう。侍女長様がどのような責任をお取りになるのか、私には計りかねますが」
「ちっ、忌々しいこと!」
 侍女長は憎々しげに舌打ちし、鋭い視線でナタリナを睨みつけた。
「一日に二度、離れへ行って世話をしなさい。余計な真似をしたら承知しませんよ」
「侍女長様の寛大なお心に感謝いたします」
 ナタリナは、微笑を浮かべて深く頭を下げた。
 そうして彼女は、エマのもとへ水を運ぶときだけ、見張り付きで外へ出されることになった。
 ナタリナは廊下を歩きながら、見張りの侍女にささやく。
「ご存じでしたか? 聖花女でない者が、循環期の聖樹に近づくと……神罰が下るのですよ」
「そ、そんなの嘘よ! 聞いたこともないわ!」
「まあ、それは当然でしょうね。無礼を働いた方々は、みな女神のみもとに……いえ、聖樹を冒涜した者を、女神が受け入れて下さるとは思いません。地の底に沈められたのかも……」
「ひッ……わ、私はここで待ってるから! 早く行きなさい!」
 入り口の前で足を止めた侍女に、ナタリナは会釈する。
 そして、振り返りもせず離れの扉へ向かった。
 見張りの侍女は青ざめた顔で、その場から一歩も動かず待っているようだ。
 ナタリナは、芳しい香りの漂う部屋の中に、一人で足を踏み入れた。
 枷と鎖で拘束されたエマの姿に、激しい怒りがこみ上げる。
(よくも、あの外道どもが! エマ様をこんな目にッ!!)
 頭に血が上るが、すぐに己の役目を思い出し、怒りを抑えた。
 手早く器へ水を注ぎ、熱と疼きに苦しむエマの唇へあてる。
「んっ……ぁ、ぁぁ」
 ごくごくと飲み干すエマに、また新しい水を注ぐ。
 これほど汗を掻けば、喉もカラカラになっているはずだ。存分に水を飲ませたあとは、密かに持ち運んだ瓶を取り出し、蓋を開けて飲ませた。
 エマの好物の果物をすりつぶしたジュースだ。栄養価が高いので、少しは体力が回復するだろう。
(エマ様。このお薬で、楽になるはずですから)
 ルシアンからもらった鎮静剤も、急いで飲ませた。一時的な効果しかないが、ほんの数時間でも楽になれば、眠ることもできるだろう。
 薬が早く効くように祈りながら、ナタリナはエマの体を清めた。
 汗と精液でぐっしょりと濡れているため、タオルが何枚あっても足りない。
「んぁ……ぁぅッ……ァァッ!」
「エマ様ッ……どうか、ご辛抱くださいっ」
 もだえ苦しむエマを前にして、ナタリナは胸が張り裂ける思いだった。
 涙が頬を伝うが、泣いている場合ではない。
 手足の枷さえなければ、シーツを替えることができたが、見張り役の侍女が急かすので、満足に世話も出来なかった。
 懲罰房に戻されると、時間だけが無情に流れていく。
 だが、ナタリナの怒りは静かに、確実に膨れ上がった。
「あのクズ共……絶対、許さない!」
 ナタリナは物置の隅にあった箒の柄を握りしめ、柄を剣のように振りかぶった。
 木が軋み、古い洗濯台がたわむ。洗剤の樽に拳を叩きつければ、重い音が洞のような部屋にこだまする。
 エマを蔑みいたぶる、悪魔のようなレオナールと、蛇のように醜悪な従者。
 許しがたい連中の名前を、ナタリナは一つ残らず罵った。







しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか

まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。 そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。 テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。 そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。 大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。 テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。 ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

愛する公爵と番になりましたが、大切な人がいるようなので身を引きます

まんまる
BL
メルン伯爵家の次男ナーシュは、10歳の時Ωだと分かる。 するとすぐに18歳のタザキル公爵家の嫡男アランから求婚があり、あっという間に婚約が整う。 初めて会った時からお互い惹かれ合っていると思っていた。 しかしアランにはナーシュが知らない愛する人がいて、それを知ったナーシュはアランに離婚を申し出る。 でもナーシュがアランの愛人だと思っていたのは⋯。 執着系α×天然Ω 年の差夫夫のすれ違い(?)からのハッピーエンドのお話です。 Rシーンは※付けます ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。 ※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。 Xアカウント(@wawawa_o_o_)

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

運命よりも先に、愛してしまった

AzureHaru
BL
幼馴染で番同士の受けと攻め。2人は運命の番ではなかったが、相思相愛だった。そんな時、攻めに運命の番が現れる。それを知った受けは身籠もっていたが、運命の番同士の子供の方が優秀な者が生まれることも知っており、身を引く事を決め姿を消す。 しかし、攻めと運命の番の相手にはそれぞれに別の愛する人がいる事をしり、 2人は運命の番としてではなく、友人として付き合っていけたらと話し合ってわかれた。 その後、攻めは受けが勘違いしていなくなってしまったことを両親達から聞かされるのであった。

「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。

しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。

星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。 前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。 だが図書室の記録が冤罪を覆す。 そしてレイは知る。 聖女ディーンの本当の名はアキラ。 同じ日本から来た存在だった。 帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。 秘密を共有した二人は、友達になる。 人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。

処理中です...