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第7話「未来の選択」
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未希の唇は、柔らかくて、少しだけ震えていた。
触れた時間は短かったのに、なぜか心の奥がゆっくりとほどけていくのを感じた。
ふいに手を取られたのは帰り道の交差点、人気のない路地。夕焼けが背中に差していた。
「……いきなり、ごめんね」
未希はそう言って笑った。声がわずかに上ずっていた。
尚吾は何も言えずに、ただ頷いた。
否定しようとして、でも体のどこかがそれを止めた。
瑠璃のことが頭に浮かんだ。けれど、遠くの景色みたいにぼやけていた。
交換ノートの更新は止まっていて、最近はまともに話せてもいない。
自分でも、今がどういう関係なのか、はっきり言い切れなかった。
未希とは偶然の出会いだった。
未希とは偶然の出会いだった。
文具店でボールペンを手に取って迷っていた尚吾に、未希が「それ、私も使ってる」と話しかけたのが最初だった。
そこから何気ない会話が始まり、また会えたらいいなという空気のまま、自然と連絡先を交換した。
彼女は二つ年上の大学生。自分の考えをしっかり持っていて、それでいて柔らかい。
「尚吾くんって、真面目そうに見えて、ちょっと抜けてるところあるよね」
からかうように笑う顔が好きだった。
気を抜くと、その笑顔に引き込まれそうになる。
それでも尚吾の中には、どこかに瑠璃がいた。
けれど、その輪郭が曖昧になりつつあることに気づいていた。
「いる」と言い切れない関係。だけど「いない」とも言えない。
その宙ぶらりんが、未希のまっすぐさに比べて、あまりに不誠実だった。
喫茶店のカウンター席。雨上がりの夕方。
窓の外では水たまりに街灯が映っていた。
未希はストローを指でくるくる回しながら、少しだけ声を潜めて言った。
「……私、ひとりで浮かれてたらどうしようって、ちょっと思ってた」
「尚吾くんは、私のこと、ちゃんと……好きでいてくれてる?」
カップの中のコーヒーが波打ったように、尚吾の心も揺れた。
言葉が喉まで出かかったが、どうしても続かなかった。
(……好き、だと思う。でも――)
瑠璃のことを、きちんと終わらせていない。
未希の目を見て、尚吾はなんとか笑ってみせた。
「……ごめん、今、うまく言葉にできない」
そう答えるのが、精一杯だった。
未希は一瞬だけまばたきし、それから小さく息を吐いた。
「そっか。でも……その返事で、わかったよ」
それがどういう意味なのかは、訊けなかった。
未希はそれ以上言わず、ただ隣にいてくれた。
そのぬくもりが、尚吾の心にゆっくりと入り込んでいく。
桜の宮高校、三年生の春。
進路の話が現実味を帯びてくる。尚吾は東京の大学を志望し、すでに模試の判定も受けていた。
一方、瑠璃は地元に残るつもりでいる。
互いにわかっていた。けれど、その話題は避けていた。
言葉にすれば、距離が現実になる。
ふたりの未来は、まだ“見ないふり”ができるほど脆かった。
夜の食卓で、父・達彦が唐突に言った。
「東京でも、うまくやれよ」
尚吾が驚いて顔を上げると、達彦は箸を置いてテレビに目を戻していた。
いつもと変わらぬ口調だったが、どこか寂しさがにじんでいた。
母の陽子は、静かに味噌汁をすするだけだった。
それでも尚吾は、どこかで背中を押されたような気がした。
家の中で進路の話をすると、妙に現実味を帯びてくる。
東京へ行く――その言葉が、ようやく口にできる場所に来ていた。
次の日、瑠璃とすれ違った。
下校の坂道、すれ違いざまに軽く目が合ったが、互いに言葉は交わさなかった。
何もなかったような顔、それでも心は軋んでいた。
(このまま、終わってしまうのかもしれない)
そんな思いが一瞬、胸をよぎる。
でも尚吾は、立ち止まらなかった。
未希の存在が、彼を前へ進ませていた。
文具店で出会ったあの日から、未希はいつも自然に心に入り込んできた。
最初は軽い言葉だった。けれど、尚吾が言葉を失っているとき、彼女は笑って待ってくれた。
「急がなくていいよ。ちゃんと気持ちが固まったらで」
そんな言葉が、罪悪感すら優しく包んでいく。
未希と会う時間が増えていくにつれ、尚吾は瑠璃への想いを“過去”として捉えようとしていた。
あの笑顔も、交換ノートの中の手紙も、まるで昔の日記のように遠ざかっていく。
だが、何も終わっていないことを、尚吾はどこかで知っていた。
瑠璃の沈黙が何を意味していたのか。
あの目の奥に、どんな言葉が閉じ込められていたのか。
それを聞かずに前へ進もうとしている自分に、どこかで戸惑いがあった。
「東京、行くんだよね」
未希の声が耳に残っていた。
そのとき彼女は、尚吾の手をそっと握った。
「応援してる」
そう言って笑った彼女の横顔を、尚吾は美しいと思った。
――けれどその笑顔の奥にあった影に、彼は気づいていなかった。
決意は定まった。尚吾は東京行きを選ぶ。
未来が確かに開けていくようでいて、
一方で何かが静かに後ろで崩れ落ち
触れた時間は短かったのに、なぜか心の奥がゆっくりとほどけていくのを感じた。
ふいに手を取られたのは帰り道の交差点、人気のない路地。夕焼けが背中に差していた。
「……いきなり、ごめんね」
未希はそう言って笑った。声がわずかに上ずっていた。
尚吾は何も言えずに、ただ頷いた。
否定しようとして、でも体のどこかがそれを止めた。
瑠璃のことが頭に浮かんだ。けれど、遠くの景色みたいにぼやけていた。
交換ノートの更新は止まっていて、最近はまともに話せてもいない。
自分でも、今がどういう関係なのか、はっきり言い切れなかった。
未希とは偶然の出会いだった。
未希とは偶然の出会いだった。
文具店でボールペンを手に取って迷っていた尚吾に、未希が「それ、私も使ってる」と話しかけたのが最初だった。
そこから何気ない会話が始まり、また会えたらいいなという空気のまま、自然と連絡先を交換した。
彼女は二つ年上の大学生。自分の考えをしっかり持っていて、それでいて柔らかい。
「尚吾くんって、真面目そうに見えて、ちょっと抜けてるところあるよね」
からかうように笑う顔が好きだった。
気を抜くと、その笑顔に引き込まれそうになる。
それでも尚吾の中には、どこかに瑠璃がいた。
けれど、その輪郭が曖昧になりつつあることに気づいていた。
「いる」と言い切れない関係。だけど「いない」とも言えない。
その宙ぶらりんが、未希のまっすぐさに比べて、あまりに不誠実だった。
喫茶店のカウンター席。雨上がりの夕方。
窓の外では水たまりに街灯が映っていた。
未希はストローを指でくるくる回しながら、少しだけ声を潜めて言った。
「……私、ひとりで浮かれてたらどうしようって、ちょっと思ってた」
「尚吾くんは、私のこと、ちゃんと……好きでいてくれてる?」
カップの中のコーヒーが波打ったように、尚吾の心も揺れた。
言葉が喉まで出かかったが、どうしても続かなかった。
(……好き、だと思う。でも――)
瑠璃のことを、きちんと終わらせていない。
未希の目を見て、尚吾はなんとか笑ってみせた。
「……ごめん、今、うまく言葉にできない」
そう答えるのが、精一杯だった。
未希は一瞬だけまばたきし、それから小さく息を吐いた。
「そっか。でも……その返事で、わかったよ」
それがどういう意味なのかは、訊けなかった。
未希はそれ以上言わず、ただ隣にいてくれた。
そのぬくもりが、尚吾の心にゆっくりと入り込んでいく。
桜の宮高校、三年生の春。
進路の話が現実味を帯びてくる。尚吾は東京の大学を志望し、すでに模試の判定も受けていた。
一方、瑠璃は地元に残るつもりでいる。
互いにわかっていた。けれど、その話題は避けていた。
言葉にすれば、距離が現実になる。
ふたりの未来は、まだ“見ないふり”ができるほど脆かった。
夜の食卓で、父・達彦が唐突に言った。
「東京でも、うまくやれよ」
尚吾が驚いて顔を上げると、達彦は箸を置いてテレビに目を戻していた。
いつもと変わらぬ口調だったが、どこか寂しさがにじんでいた。
母の陽子は、静かに味噌汁をすするだけだった。
それでも尚吾は、どこかで背中を押されたような気がした。
家の中で進路の話をすると、妙に現実味を帯びてくる。
東京へ行く――その言葉が、ようやく口にできる場所に来ていた。
次の日、瑠璃とすれ違った。
下校の坂道、すれ違いざまに軽く目が合ったが、互いに言葉は交わさなかった。
何もなかったような顔、それでも心は軋んでいた。
(このまま、終わってしまうのかもしれない)
そんな思いが一瞬、胸をよぎる。
でも尚吾は、立ち止まらなかった。
未希の存在が、彼を前へ進ませていた。
文具店で出会ったあの日から、未希はいつも自然に心に入り込んできた。
最初は軽い言葉だった。けれど、尚吾が言葉を失っているとき、彼女は笑って待ってくれた。
「急がなくていいよ。ちゃんと気持ちが固まったらで」
そんな言葉が、罪悪感すら優しく包んでいく。
未希と会う時間が増えていくにつれ、尚吾は瑠璃への想いを“過去”として捉えようとしていた。
あの笑顔も、交換ノートの中の手紙も、まるで昔の日記のように遠ざかっていく。
だが、何も終わっていないことを、尚吾はどこかで知っていた。
瑠璃の沈黙が何を意味していたのか。
あの目の奥に、どんな言葉が閉じ込められていたのか。
それを聞かずに前へ進もうとしている自分に、どこかで戸惑いがあった。
「東京、行くんだよね」
未希の声が耳に残っていた。
そのとき彼女は、尚吾の手をそっと握った。
「応援してる」
そう言って笑った彼女の横顔を、尚吾は美しいと思った。
――けれどその笑顔の奥にあった影に、彼は気づいていなかった。
決意は定まった。尚吾は東京行きを選ぶ。
未来が確かに開けていくようでいて、
一方で何かが静かに後ろで崩れ落ち
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