〈影咒記(EIJUKI)〉江戸咒譚 第四篇 ― 黄泉灯籠迷図(よみとうろうめいず) ―

ukon osumi

文字の大きさ
13 / 21
第五章「黄泉の炎」

第一話「幻影の灯籠」

しおりを挟む
 夏の終わり、両国の川沿いに無数の灯籠が浮かび上がった夜。
 風は穏やかで、川面に映る灯火が、ゆらゆらと命のように揺れていた。
 榊原新右衛門は、その景色を見つめながら歩を進めていた。隣には、ひときわ静かな気配を纏うおせんの姿。後方には、道明が儀式の道具を背にして黙々とついてきている。
「……これは、ただの供養ではない」
 おせんが呟いた。
「うむ。灯籠の火に呼ばれたような感覚がある」
 新右衛門の右腰には、焔陰が収められていた。歩を進めるたびに、刀身の奥から微かな熱が伝わってくる。まるで、この場にある灯籠の火と呼応しているようだった。
「この数……百は下らぬな」
 川岸に等間隔に並べられた灯籠は、どれも赤く、そして揺らめくように燃えていた。だが、灯籠一つ一つに込められた灯火には、わずかに異なる気配があった。静かに燃えるものもあれば、激しくちらつくものもある。
「……幻影、かもしれぬ」
 道明が低く呟いた。
「灯籠そのものが、現実と異界の境をなしている。魂を運ぶはずの火が、むしろ霊を引き寄せているように見える」
 新右衛門が立ち止まった。
 その瞬間、焔陰の柄がじわりと熱を帯び、刀身が小さく振動した。
「来るぞ」
 空気が変わった。風が止み、蝉の声が遠のく。灯籠の火が一斉に揺れ、まるで見えぬ何かに呼応するように跳ねた。
「……斬れるのか、焔陰で」
 おせんの声がかすれた。
 新右衛門は答えず、静かに焔陰を抜いた。
 その刹那、空気が裂けた。
 灯籠の火の中から、いくつもの“顔”が浮かび上がる。どれもかつての江戸の人々。老若男女、泣き、笑い、怒り、祈る。
 そしてその奥に、ひときわ濃い影があった。
 黒く焦げ、輪郭すら不確かなそれは、まるで闇そのものが灯籠の火を通じて現れたかのようだった。
 焔陰の刃が、それを照らすように淡く輝いた。
 その光に引き寄せられるように、影がゆっくりと形を成していく。
 ──焦げた着物の裾。
 ──焼けただれた手。
 ──だが、表情には苦悶よりも、なにか深い、悲しげな訴えがあった。
「仁兵衛……」
 おせんがつぶやいた名に、影が反応するように一歩、灯籠の間を踏み出す。
 周囲の灯籠の火が、まるで風もないのに次々と吹き消されていった。だがその中心、仁兵衛の影を映した灯籠の火だけは、逆に強く燃え上がる。
 道明が霊符を取り出し、周囲に結界を張った。
「このままでは、霊の熱が人にまで届く。新右衛門、心を澄ませ。これは“斬る”戦ではない」
 新右衛門は頷き、焔陰の刃を前に構えた。
 その刀身に、影が手を伸ばしてきた。
 触れるか触れぬかの距離。だが、そこに殺気はなかった。
「……伝えたいのだな」
 新右衛門の声に、影が微かに頷いたように見えた。
 おせんがそっと進み出て、灯籠の火に手を翳した。
「聞こえる……“忘れないでくれ”って」
 新右衛門は一歩、仁兵衛の霊に近づく。
「斬ることは、消すことではない。おまえの思いを、俺が受け継ぐ。だが、この火に縛られ続ければ、いずれ娘も、おまえ自身も滅ぶだけだ」
 焔陰の刃が、静かに光を強めた。
 霊がゆっくりと、炎の中へ引き返していく。
 その背を、新右衛門は一閃、斬った。
 斬撃は風を巻き起こし、夜空を照らした。
 灯籠の火が、一つ、また一つと穏やかに消えていく。
 最後に残った灯籠の火が、仁兵衛の面影を映しながら、そっと川へ流れていった。
 ──風が戻り、虫の音がよみがえった。
 おせんが目を閉じ、道明が手を合わせる。
 新右衛門は、焔陰を静かに鞘へと戻した。
 その胸には、斬った手応えと共に、ある種の温もりが残っていた。
「……終わったのか?」
 おせんが問う。
「いや……まだ、灯籠は残っている」
 遠く、川上にもう一つ、燃え盛る火の灯籠が揺れていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【時代小説】 黄昏夫婦

蔵屋
歴史・時代
 江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。  そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。  秋田藩での仕事は勘定方である。  仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。 ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。   そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。  娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。  さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。    「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。  今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。  この風習は広く日本で行われている。  「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。  「たそかれ」という言葉は『万葉集』に 誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」 — 『万葉集』第10巻2240番 と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。  「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に 「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」 — 『源氏物語』「夕顔」光源氏 と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。  なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。  またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。 漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。  「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。  この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。  それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。  読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。  作家 蔵屋日唱    

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

江戸『古道具 藍凪屋 〜再生と縁結いの物語〜』

藍舟めいな
歴史・時代
捨てられた道具に命を吹き込め。算盤娘と天才職人が贈る、痛快再生譚! 大坂の商才 × 長崎の技術 × 庄内の祈り。 神田お玉が池の古道具屋『藍凪屋(あいなぎや)』、本日開店。 文化十四年、江戸。 泥にまみれ、捨てられたガラクタを、異国の技で「勝色(かちいろ)」へと蘇らせる天才職人・徳三。 その価値を冷徹に見抜き、江戸の「粋」へとプロデュースする算盤娘・おめい。 吹き溜まりの裏長屋から、二人の「余所者」が江戸の価値観をひっくり返す! 捨てられた道具に新しい命を吹き込み、絶たれた「縁」を再び結ぶ、再生の物語。 「うちが売ってるんは物やなくて、職人の執念と、それを持つ人の『格』なんですわ」 どん底から江戸の頂点を目指す、痛快・職人再生サクセスストーリー! ※カクヨムで先読み可能です

楽将伝

九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語 織田信長の親衛隊は 気楽な稼業と きたもんだ(嘘) 戦国史上、最もブラックな職場 「織田信長の親衛隊」 そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた 金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか) 天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

処理中です...