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第五章「黄泉の炎」
第二話「父子の断ち切り」
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焔陰の刃が川辺の風を切ると、空気がぴんと張りつめた。炎のゆらぎが一瞬止まり、全ての灯籠の火が一斉に静まり返る。
榊原新右衛門は、焔陰の感触を掌で確かめながら、その前方に立つ影を見据えていた。
焦げた肌、朽ちかけた衣、そして灯籠の炎に照らされ浮かび上がる、どこか懐かしくも苦悩を帯びた顔。
──仁兵衛。
かつて灯籠師として生き、己の技に誇りを持っていた男。だが、火災によって命を落とし、その無念は死してなお娘にのり移るほど強かった。
「……見えるか、おまえの娘の姿が」
新右衛門の声が夜気に溶けていく。
おはるは、文吉の腕にすがりながら、遠くの影に目を凝らしていた。その目には涙が溜まり、唇は震えていた。
「お父っつぁん……やめて……もう、いいの……」
その声に、仁兵衛の影がわずかに揺れた。
おせんが、灯籠のひとつの火に手を翳す。
「いま、見えてる。彼の魂は、ただ伝えたいだけ。家を、技を、娘を、何より命を……残したかった。それだけ」
新右衛門は静かに頷いた。そして、焔陰を構え直した。
「ならば、送ろう。伝えきったその想いを、彼岸へ導くために」
影が再び動く。仁兵衛の霊が、火の帯をまとって新右衛門へと迫ってくる。その歩みはゆっくりだが、確実だった。
「……来い。俺が、おまえを斬る」
新右衛門の声には、怒りも、憐れみもなかった。ただ、決意と、静かな哀しみだけがあった。
焔陰が淡く燃える。刀身に映る影は、やがて仁兵衛のものと重なる。
道明が背後から結界の符を張る。
「今しかない。新右衛門!」
新右衛門は一閃、焔陰を振るった。
その刹那、炎が舞い、風が巻き、夜が震えた。
仁兵衛の影が光に包まれ、音もなく崩れていく。まるで、灰が風にさらわれるように。
灯籠の火がひとつ、またひとつと消えていった。
おはるが、膝から崩れ落ちる。
「お父っつぁん……ありがとう……ありがとう……」
その声は、あまりに幼く、あまりに深かった。
新右衛門は焔陰を静かに鞘に納めた。
風が再び川面を撫で、灯籠の残り火がぱちぱちと鳴った。
その瞬間、最後の灯籠がふっと燃え尽きた。
静寂があたりを包み、川岸にはただ夜の気配が戻った。
文吉が、おはるの背を支えながら呟くように言った。
「……あれが、親父だったのか。……なんで、あんな形でしか出てこられなかったんだ……」
「火に焼かれて死んだ者の念は、強い。未練と怒りが混じれば、魂の形すら歪む」
道明の声は静かだった。「だがそれでも、おまえの妹は、声を聞いていた。それを忘れるな」
おはるは、まだ頬に涙を残したまま、微かに頷いた。
新右衛門は空を見上げた。雲はなく、満月が灯籠のように輝いていた。
「……終わったな」
おせんが隣で微笑んだ。「うん。でも、これで“すべて”終わったわけじゃないわ。江戸にはまだ、声なき声がある」
新右衛門は、その言葉に黙って頷いた。
彼の中には、まだ焔陰の熱が残っていた。
それは、完全な終わりではなく、ある種の始まりを告げる熱。
この一件が収まったのならば、それはまた、新たな“影”が生まれる余地を残すということでもある。
だが今は、それを思い煩う時ではなかった。
「ありがとうな」
そう呟いたのは、誰に対してか──あるいはすべての魂に対してだったかもしれない。
新右衛門は灯籠の残り香を背に、静かにその場を去っていった。
榊原新右衛門は、焔陰の感触を掌で確かめながら、その前方に立つ影を見据えていた。
焦げた肌、朽ちかけた衣、そして灯籠の炎に照らされ浮かび上がる、どこか懐かしくも苦悩を帯びた顔。
──仁兵衛。
かつて灯籠師として生き、己の技に誇りを持っていた男。だが、火災によって命を落とし、その無念は死してなお娘にのり移るほど強かった。
「……見えるか、おまえの娘の姿が」
新右衛門の声が夜気に溶けていく。
おはるは、文吉の腕にすがりながら、遠くの影に目を凝らしていた。その目には涙が溜まり、唇は震えていた。
「お父っつぁん……やめて……もう、いいの……」
その声に、仁兵衛の影がわずかに揺れた。
おせんが、灯籠のひとつの火に手を翳す。
「いま、見えてる。彼の魂は、ただ伝えたいだけ。家を、技を、娘を、何より命を……残したかった。それだけ」
新右衛門は静かに頷いた。そして、焔陰を構え直した。
「ならば、送ろう。伝えきったその想いを、彼岸へ導くために」
影が再び動く。仁兵衛の霊が、火の帯をまとって新右衛門へと迫ってくる。その歩みはゆっくりだが、確実だった。
「……来い。俺が、おまえを斬る」
新右衛門の声には、怒りも、憐れみもなかった。ただ、決意と、静かな哀しみだけがあった。
焔陰が淡く燃える。刀身に映る影は、やがて仁兵衛のものと重なる。
道明が背後から結界の符を張る。
「今しかない。新右衛門!」
新右衛門は一閃、焔陰を振るった。
その刹那、炎が舞い、風が巻き、夜が震えた。
仁兵衛の影が光に包まれ、音もなく崩れていく。まるで、灰が風にさらわれるように。
灯籠の火がひとつ、またひとつと消えていった。
おはるが、膝から崩れ落ちる。
「お父っつぁん……ありがとう……ありがとう……」
その声は、あまりに幼く、あまりに深かった。
新右衛門は焔陰を静かに鞘に納めた。
風が再び川面を撫で、灯籠の残り火がぱちぱちと鳴った。
その瞬間、最後の灯籠がふっと燃え尽きた。
静寂があたりを包み、川岸にはただ夜の気配が戻った。
文吉が、おはるの背を支えながら呟くように言った。
「……あれが、親父だったのか。……なんで、あんな形でしか出てこられなかったんだ……」
「火に焼かれて死んだ者の念は、強い。未練と怒りが混じれば、魂の形すら歪む」
道明の声は静かだった。「だがそれでも、おまえの妹は、声を聞いていた。それを忘れるな」
おはるは、まだ頬に涙を残したまま、微かに頷いた。
新右衛門は空を見上げた。雲はなく、満月が灯籠のように輝いていた。
「……終わったな」
おせんが隣で微笑んだ。「うん。でも、これで“すべて”終わったわけじゃないわ。江戸にはまだ、声なき声がある」
新右衛門は、その言葉に黙って頷いた。
彼の中には、まだ焔陰の熱が残っていた。
それは、完全な終わりではなく、ある種の始まりを告げる熱。
この一件が収まったのならば、それはまた、新たな“影”が生まれる余地を残すということでもある。
だが今は、それを思い煩う時ではなかった。
「ありがとうな」
そう呟いたのは、誰に対してか──あるいはすべての魂に対してだったかもしれない。
新右衛門は灯籠の残り香を背に、静かにその場を去っていった。
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