4 / 25
第四話「反応」
しおりを挟む
道場の空気が、変わってきた。
少なくとも、美沙はそう感じていた。
日曜午前。自主稽古に集まった子供たちは、小学低学年を中心に十人足らず。いつもと変わらぬ顔ぶれ、挨拶、始まり方。
けれど――動きに、音に、間合いに、何かがある。
「礼!」
号令とともに子供たちは一斉に頭を下げた。ぴたりと揃った動作に、美沙の眼が細くなる。
映像をトレースしたかのような一致。背筋の伸び、首の角度、膝の折れ、手の位置――型の正確さでは説明できない“同調”だった。
特に、蓮と両隣の涼太、あかり。三面鏡のようだ。
美沙は正面に立ち、微細な動きを観察した。
ただの偶然、成長の証、教えが染みついた結果――そう思おうとしても、“何か”が三人の間に流れているのを感じた。
合図でも言葉でもない、“共有された認識”のようなもの。
「基本一本! 構えて!」
号令に子供たちはいっせいに姿勢を取る。左右の足幅、膝の曲げ方、拳の高さまでぴたりと揃う。
美沙は前に出た。中心の三人――蓮、涼太、あかり――だけが、自然と一歩前へ出ていた。言葉もなく、示し合わせたわけでもないのに。
「構えたまま、気を緩めないで」
返事はない。いつもより深く、重い沈黙。まるで三人のあいだで呼吸が共有されている。
稽古場の空気が個ではなく、“集団の塊”として固まっていく感覚。
「始め!」
型が始まる。上段突き、下段払い、前蹴り。動きは正確で乱れがない。全員が中心から合図を受けているかのように。
特に三人。足の角度、腕の振り、音まで一致している。
(ここまで揃う?)
美沙は腕を組み、見つめた。まだ八歳前後。筋力も違うはずなのに一拍も狂わない。呼吸すら同じに見える。
後列もそれに引きずられ、三人の中心から無意識に指令を受けているかのようだった。
だが三人の顔には感情がない。喜びも集中もなく、ただ静かに“型”をなぞる。
「――止め!」
子供たちは一斉に止まり正面を向く。蓮、涼太、あかりの目線が同じ角度で前を見ていた。焦点まで一致しているように見えた。
(なに、これ……)
静けさが不自然だった。音はあるのに、三人だけが異質。
まるで“動いている”のではなく“動かされている”。
「休め。水分取って」
声をかけ、美沙は目を逸らす。壁際へ歩き、子供たちの水を飲む音を聞く。
それでも蓮の視線だけが残っていた。
振り返ると、やはりこちらを見ている。何かを言うでもなく、ただ“見ている”。
そのまなざしが、美沙の中に“反応”を残した。説明できないが、確かに内部に触れてきた。
更衣室の扉を閉めても、背中のざわつきは消えなかった。
子供たちは静かで整然としている。稽古の後とは思えぬ落ち着きが、かえって不気味だった。
「先生、今日もありがとうございました」
ロビーの母親たちの声。あかりの母、涼太の母。いつも明るい二人が、今日は視線を合わせてこない。
「最近すごく揃ってきましたよねぇ。涼太なんて前はあんなに足がもたついてたのに」
「うちの子も。蓮くんと一緒にいると落ち着くみたいで。言葉は少なくなったけど安心してるんです」
「静かになって助かってます」
声は明るいが、どこか無理があった。
「……家でもよく一緒に遊ぶんですか?」
「ええ。でも最近はペットの話ばかりですね」
「ペット?」
「白くて音を立てない子。名前……しろ」
「蓮くんの“しろ”と同じ種類だって」
「うちも買わされたんですよ。匂いもしないし静かで、おとなしくて」
――まさか。
あかりも涼太も、エキドナを飼っていた。
「道場にも連れてきてるの?」
問いに二人は笑う。
「まさか。道場は無理でしょ」
「でも子供たち、こっそり連れてきてたりしてね」
笑い声の奥に、違う空気があった。
(本当に、連れてきてない?)
靴箱脇のバッグ三つが膨らんで見えた。
美沙は近づく。メッシュの切れ目の奥、冷たい圧のような気配。
「蓮の“しろ”と同じの?」
背後から声がした。
「うん。あかりちゃんの子。こっちは涼太くんの」
振り向くと蓮が立っていた。汗もなく、穏やかな顔。
「……みんな、いるんだ」
柔らかな声。嬉しさではなく、当然という響き。
(当然……って?)
三人の動きと目線、空気の重なり。それが偶然でないなら――。
「蓮。稽古、どうだった?」
「ふつう、だったよ」
「なにか考えてること、ある?」
「ううん」
嘘ではない。だが真実も含まれていない。“何もない”ことが、すでに“何か”を意味していた。
背後のバッグが、わずかに揺れた気がした。視線を戻すと、蓮の姿はもうなかった。
道場を出ると、夕方の光が街路を斜めに照らしていた。
秋の空気は乾いている。風が稽古後の熱を冷ます。
だが、美沙の胸は重い。
蓮、涼太、あかりの三人は並んで歩いていた。親に迎えられるでもなく、自然と列をつくる。
――足音が、同じ。
一つの足音が三重に響く。スニーカーのテンポ、歩幅、膝の高さ。すべて機械的に揃う。
軽やかなはずなのに平坦で、体重を感じさせない“軽さ”。
(ずれてない……)
呼吸を止め、耳を澄ます。音はひとつの型にしか聞こえない。
美沙は歩調を早め、斜め後ろに追いついた。
三人は気づかず、真っ直ぐ前を見て歩く。表情はない。
誰も話していないのに、会話を済ませた空気。
言葉を介さず、意志が届いている。
「……今日の稽古、楽しかった?」
蓮に声をかけると、三人同時に止まった。
「うん」
同時に涼太とあかりも頷く。
(……同時?)
二人の反応が蓮とまったく一致していた。
視線を足元へ。三人のリュックから小さなキャリーバッグ。白く丸い毛の球体――エキドナ。
蓮の“しろ”と同じ。
美沙が近づくと、中で何かが動く。毛は揺れず、声もない。ただ視線が合った気がした。青白い反射。
次の瞬間、三人が同時に振り返る。角度も動きも同じ。
「なに?」
蓮が言った。それは問いではなく“見られていること”への反応。
「……ううん。なんでもない」
(いま、確かに――ペットが、こっちを見た)
感覚は一瞬で、無音だった。
三人は何もなかったように歩き出す。背中の高さ、肩の揺れ、靴の音――完全に“同一”。
その足元で、小さな白いペットたちが、静かに息を揃えていた。
少なくとも、美沙はそう感じていた。
日曜午前。自主稽古に集まった子供たちは、小学低学年を中心に十人足らず。いつもと変わらぬ顔ぶれ、挨拶、始まり方。
けれど――動きに、音に、間合いに、何かがある。
「礼!」
号令とともに子供たちは一斉に頭を下げた。ぴたりと揃った動作に、美沙の眼が細くなる。
映像をトレースしたかのような一致。背筋の伸び、首の角度、膝の折れ、手の位置――型の正確さでは説明できない“同調”だった。
特に、蓮と両隣の涼太、あかり。三面鏡のようだ。
美沙は正面に立ち、微細な動きを観察した。
ただの偶然、成長の証、教えが染みついた結果――そう思おうとしても、“何か”が三人の間に流れているのを感じた。
合図でも言葉でもない、“共有された認識”のようなもの。
「基本一本! 構えて!」
号令に子供たちはいっせいに姿勢を取る。左右の足幅、膝の曲げ方、拳の高さまでぴたりと揃う。
美沙は前に出た。中心の三人――蓮、涼太、あかり――だけが、自然と一歩前へ出ていた。言葉もなく、示し合わせたわけでもないのに。
「構えたまま、気を緩めないで」
返事はない。いつもより深く、重い沈黙。まるで三人のあいだで呼吸が共有されている。
稽古場の空気が個ではなく、“集団の塊”として固まっていく感覚。
「始め!」
型が始まる。上段突き、下段払い、前蹴り。動きは正確で乱れがない。全員が中心から合図を受けているかのように。
特に三人。足の角度、腕の振り、音まで一致している。
(ここまで揃う?)
美沙は腕を組み、見つめた。まだ八歳前後。筋力も違うはずなのに一拍も狂わない。呼吸すら同じに見える。
後列もそれに引きずられ、三人の中心から無意識に指令を受けているかのようだった。
だが三人の顔には感情がない。喜びも集中もなく、ただ静かに“型”をなぞる。
「――止め!」
子供たちは一斉に止まり正面を向く。蓮、涼太、あかりの目線が同じ角度で前を見ていた。焦点まで一致しているように見えた。
(なに、これ……)
静けさが不自然だった。音はあるのに、三人だけが異質。
まるで“動いている”のではなく“動かされている”。
「休め。水分取って」
声をかけ、美沙は目を逸らす。壁際へ歩き、子供たちの水を飲む音を聞く。
それでも蓮の視線だけが残っていた。
振り返ると、やはりこちらを見ている。何かを言うでもなく、ただ“見ている”。
そのまなざしが、美沙の中に“反応”を残した。説明できないが、確かに内部に触れてきた。
更衣室の扉を閉めても、背中のざわつきは消えなかった。
子供たちは静かで整然としている。稽古の後とは思えぬ落ち着きが、かえって不気味だった。
「先生、今日もありがとうございました」
ロビーの母親たちの声。あかりの母、涼太の母。いつも明るい二人が、今日は視線を合わせてこない。
「最近すごく揃ってきましたよねぇ。涼太なんて前はあんなに足がもたついてたのに」
「うちの子も。蓮くんと一緒にいると落ち着くみたいで。言葉は少なくなったけど安心してるんです」
「静かになって助かってます」
声は明るいが、どこか無理があった。
「……家でもよく一緒に遊ぶんですか?」
「ええ。でも最近はペットの話ばかりですね」
「ペット?」
「白くて音を立てない子。名前……しろ」
「蓮くんの“しろ”と同じ種類だって」
「うちも買わされたんですよ。匂いもしないし静かで、おとなしくて」
――まさか。
あかりも涼太も、エキドナを飼っていた。
「道場にも連れてきてるの?」
問いに二人は笑う。
「まさか。道場は無理でしょ」
「でも子供たち、こっそり連れてきてたりしてね」
笑い声の奥に、違う空気があった。
(本当に、連れてきてない?)
靴箱脇のバッグ三つが膨らんで見えた。
美沙は近づく。メッシュの切れ目の奥、冷たい圧のような気配。
「蓮の“しろ”と同じの?」
背後から声がした。
「うん。あかりちゃんの子。こっちは涼太くんの」
振り向くと蓮が立っていた。汗もなく、穏やかな顔。
「……みんな、いるんだ」
柔らかな声。嬉しさではなく、当然という響き。
(当然……って?)
三人の動きと目線、空気の重なり。それが偶然でないなら――。
「蓮。稽古、どうだった?」
「ふつう、だったよ」
「なにか考えてること、ある?」
「ううん」
嘘ではない。だが真実も含まれていない。“何もない”ことが、すでに“何か”を意味していた。
背後のバッグが、わずかに揺れた気がした。視線を戻すと、蓮の姿はもうなかった。
道場を出ると、夕方の光が街路を斜めに照らしていた。
秋の空気は乾いている。風が稽古後の熱を冷ます。
だが、美沙の胸は重い。
蓮、涼太、あかりの三人は並んで歩いていた。親に迎えられるでもなく、自然と列をつくる。
――足音が、同じ。
一つの足音が三重に響く。スニーカーのテンポ、歩幅、膝の高さ。すべて機械的に揃う。
軽やかなはずなのに平坦で、体重を感じさせない“軽さ”。
(ずれてない……)
呼吸を止め、耳を澄ます。音はひとつの型にしか聞こえない。
美沙は歩調を早め、斜め後ろに追いついた。
三人は気づかず、真っ直ぐ前を見て歩く。表情はない。
誰も話していないのに、会話を済ませた空気。
言葉を介さず、意志が届いている。
「……今日の稽古、楽しかった?」
蓮に声をかけると、三人同時に止まった。
「うん」
同時に涼太とあかりも頷く。
(……同時?)
二人の反応が蓮とまったく一致していた。
視線を足元へ。三人のリュックから小さなキャリーバッグ。白く丸い毛の球体――エキドナ。
蓮の“しろ”と同じ。
美沙が近づくと、中で何かが動く。毛は揺れず、声もない。ただ視線が合った気がした。青白い反射。
次の瞬間、三人が同時に振り返る。角度も動きも同じ。
「なに?」
蓮が言った。それは問いではなく“見られていること”への反応。
「……ううん。なんでもない」
(いま、確かに――ペットが、こっちを見た)
感覚は一瞬で、無音だった。
三人は何もなかったように歩き出す。背中の高さ、肩の揺れ、靴の音――完全に“同一”。
その足元で、小さな白いペットたちが、静かに息を揃えていた。
0
あなたにおすすめの小説
七竈 ~ふたたび、春~
菱沼あゆ
ホラー
変遷していく呪いに終わりのときは来るのだろうか――?
突然、英嗣の母親に、蔵を整理するから来いと呼び出されたり、相変わらず騒がしい毎日を送っていた七月だが。
ある日、若き市長の要請で、呪いの七竃が切り倒されることになる。
七竃が消えれば、呪いは消えるのか?
何故、急に七竃が切られることになったのか。
市長の意図を探ろうとする七月たちだが――。
学園ホラー&ミステリー
唯一魂の侵蝕
白猫斎
ホラー
大学三年、夏。退屈を埋めるための些細な悪ふざけ。
閉鎖された「幽霊マンション」へ足を踏み入れた五人を待っていたのは、光さえも物質として削り取る漆黒の闇だった。
闇を抜け、日常へ帰還したはずの瀬良結希を待っていたのは、決定的な違和感。
事故で失った十五歳の妹、結奈。遺影の中で静止していたはずの彼女が、そこでは「生きた質量」として、温かな吐息を漏らしていた。
喜びに沸く周囲。だが結希だけは気づく。この世界に魂は一つしかない。
私たちがここへ来たのなら、元からいた「私」はどこへ消えたのか。
五感に突き刺さるようなリアリズムで描かれる、実存を賭けた「上書き」の記録。
※生成AI(Gemini)をプロット検討、文章校正などの補助に使用しています。
紅葉-くれは-
菊池まりな
ホラー
山間の小さな町で行われる秋祭り。
提灯の灯りが揺れる夜、少女・くれはは謎めいた声に導かれるように姿を消した。
必死に探す母・春香は、その瞬間に悟る。
──これは二十年前にも起きた「忌まわしい出来事」と同じ始まりだ。
町に伝わる古い言い伝え。
“赤い森に呼ばれた者は戻らない”
だが、外から赴任してきた刑事・祐真は、その話をただの迷信と切り捨てる。
少女の失踪を追ううちに、彼は次第に目を逸らせぬ現実に直面していく。
森に蠢くもの。木々に浮かぶ人の顔。
血のように濡れた葉が降りしきる中で、人々はひとり、またひとりと消えていく──。
過去と現在が交錯し、町の秘密が暴かれるとき、
くれはの名を呼ぶ声の正体が明らかになる。
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる