EchidnaProjectⅠ-ラミアの眼

ukon osumi

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第十話「共鳴の地図」

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 秋晴れの空が広がっていた。だが、その澄み切った空気の下で、坂東の足取りは重かった。
 再開発予定地。桜山地区の旧商業ブロック。かつてのショッピングモールの跡地は、今ではフェンスに囲まれた更地になっている。地図上では「区画整理予定地」と曖昧に記されているだけだったが、昨日届いた登記簿謄本には、見慣れない法人名が明記されていた。
 ――株式会社アジアンランド。
 耳慣れないその名前に、坂東は首を傾げざるを得なかった。企業登記情報を照合しても、詳細な事業内容は曖昧で、設立経緯も不自然なほどに簡略化されていた。代表者名も、住所も、実態のないペーパーカンパニーのように見える。
 (本当に、ただの再開発会社か……?)
 現地を訪れたのは、資料だけでは納得できなかったからだ。
 フェンスの一部には、いまだ古いモールの痕跡が残っていた。剥がれかけたポスター。錆びた手すり。そこに、何者かが落書きしたような奇妙な図形が浮かんでいた。
 まるで“眼”のような形だった。
 坂東は小さく息を呑み、スマートフォンで写真を撮る。
 (これが……子供たちが描いていた、あの図形か)
 大学時代の後輩であり、いまは民俗学の研究者として名を知られる久世燈子から送られてきた資料――その地図のコピーを、坂東は折りたたんで胸ポケットに入れていた。
 民間の再開発調査や、地域住民への聞き取りを頼まれることが多かった坂東は、大学時代の仲間から今でも“調査屋”と呼ばれることがある。
 そのひとりが、現在道場を預かる神原美沙だった。民俗学の研究者である久世燈子もまた、学生時代からの後輩にあたる。
 だが、美沙も燈子も、坂東を年齢や肩書きで“上”に見るでも“下”に見るでもなく、
 厄介な現象の背後にある「土地の記憶」や「街の歪み」を読み解くには、坂東の経験が欠かせない――そう自然に理解している。 
 久世燈子から送られてきた資料――あの地図のコピーを、坂東は折りたたんで胸ポケットに入れていた。
 何人もの子供が、異なるタイミングで、異なる場所で描いたはずの“同じ形”。そして、その指し示す方向が、この旧モールの中心に一致するという。
 偶然では、ありえない。
 坂東はポケットから資料を取り出し、フェンス越しに見える敷地の中心へと視線を合わせた。
 (あの場所に……何がある?)
 ただの更地に見える場所。だが、中心部だけは妙に土壌が荒れており、何かを埋め戻したような跡があった。
 ――旧小児医療センター。
 この場所は、以前は子供専門の医療施設があった場所だった。事故で閉鎖されたと聞いたことがあるが、その記録も妙に曖昧で、当時の報道すら断片的だった。
 坂東は、胸に微かな冷たさを感じながら、背後の空気を振り返った。
 何者かが見ている気がした。
 だが、周囲に人影はない。
 風の音。木のざわめき。遠くの踏切音。
 それらが、なぜか妙に遠く感じられた。
 (この街は……何かを“隠して”いる)
 そのとき、スマートフォンが震えた。
 ディスプレイには、久世燈子の名。
 「……はい、坂東です」
 『ごめんなさい。今、道場にいるのだけど、少しあとで時間とれる? 確認したいことがあるの』
 「ええ。例の“図”のことですね?」
 『それもあるけれど……“土地のこと”、もう少し詳しく教えて』
 坂東は小さく頷いた。
 「了解。そちらに向かいます」
 スマートフォンを切ると、坂東はもう一度、フェンス越しの敷地に目をやった。
 雑草の間に、いくつもの白く小さな“点”が並んでいた。
 まるで、眼。
 いや、それは“視られている”という感覚そのものだった。
 坂東は足元の砂利を踏みしめ、ゆっくりと踵を返した。
 その背中を、風が追いかけてきた。
 
  あの夜以来、蓮は以前よりもさらに静かになった。
 言葉を交わせないわけではない。だが、その応答には、どこか「型」があった。
 呼びかけに対して、常に決まった言葉を返す。笑うタイミング、うなずく角度、視線の動かし方。すべてが、誰かの真似をしているかのように――均一だった。
 朝の食卓。テレビから流れる音を背景に、美沙は息子の顔を何度も覗き込んだ。白いごはんに味噌汁。焼き魚と、ほうれん草のおひたし。箸を持つ手はきれいで、動作に無駄がない。その姿が、美沙には“蓮であって蓮でない”ように見えた。
 「今日も、道場に来る? あかりちゃんも来るみたいよ」
 「……うん」
 「蓮が来てくれると、みんな嬉しいのよ」
 「……うん」
 返事の内容ではなく、“間”が引っかかる。母親としての直感だった。
 ほんの数秒、遅れて返される「うん」。その“空白”の間に、蓮は誰かの顔を伺っている気がした。
 だが、誰の? どこを? なにを基準に?
 朝の陽射しがカーテン越しに揺れ、部屋の奥に影を落とす。
 そのとき、美沙のスマートフォンが震えた。
 《燈子》と表示されたその名を見て、心の奥が少しだけ引き締まる。
 「――はい、美沙です」
 『少しだけ、お時間いいかしら。今朝、面白い一致を見つけたの』
 「また、あの“眼”の?」
 『ええ。……子供たちの描いた図、覚えてる? あの中心のライン、全部“同じ方角”を向いてるの。』
 「どういう意味?」
 『……都市の構造と、子供たちの“意識の重なり”が一致してるかもしれない。道場、今日開いてる?』
 「ええ。稽古は午後から。午前なら……」
 『じゃあ、行くわ』
 電話が切れると、美沙はふと、茶碗を持つ蓮の横顔を見つめた。
 彼は、食べ終えたごはんを静かに片づけ、無言のまま立ち上がった。
 それがいつもの仕草であっても、どこか“誰かの模倣”に見えてしまう。
     
 道場の床は朝の日差しを受けて、磨かれた木目が柔らかく光っていた。
 窓を開け放つと、秋の風が一陣、空気の層を撫でていく。
 美沙は雑巾がけを終えた手ぬぐいを畳みながら、入口の方を見やった。
 すると、道場の入り口がそっと開いた。
 「ごめんなさい、急に。」
 久世燈子だった。
 端整な顔立ちに似合わぬ軽装で、細身のジーンズとジャケット。だが、その目の奥にはいつも通りの強い集中が宿っていた。
 「もちろん。こちらこそ、忙しいのにありがとう」
 燈子は軽く会釈をしながら、木の床を踏みしめて奥へ進んできた。
 二人は道場の端に並んで腰を下ろす。
 「これを見て」燈子はそう言って、封筒から数枚のコピーを取り出した。
 それは、例の“眼”の図像だった。複数の子供が描いた、まったく同一の構図。
 「中央の円と、外周のライン。よく見ると、ほとんどが“南西”を指してる。角度にして、およそ二三〇度」
 「南西……?」
 「桜山地区の旧商業ブロック。そこに重なるのよ。しかも、図を反転させて照合すると、敷地の中心とぴたり一致する」
 美沙は、膝の上に置かれたそのコピーをじっと見つめた。
 円の内側には、小さく“点”が描かれている。
 「この点は……」
 「私も最初は、ただの塗り残しだと思ってた。でも、全部に共通してるのよ」
 「それは、なに?」
「中心点。都市の“視線の焦点”――と言ったら、少し大げさだけど。要するに、子供たちが何かを“知ってる”としか思えない」
 美沙は、壁際に置かれた稽古用の木刀に目をやる。
 そのとき、涼太が黙って前に出た。あかりと並んで長く道場に通っている少年だ。
 構えに入ると、彼はピクリとも動かず、じっとその姿勢を保っていた。
「……ねえ、今の子。あの動き、見た?」
 燈子が指差した。
 涼太は、その場に“型”の一部を刻み込んだかのように、静止している。
 その姿が、あまりにも“完成されすぎて”いた。
 ふと、後ろを振り返ると、他の子供たちも同じ姿勢で動きを止めていた。
 まるで“合図”があったかのように。
 その光景に、美沙の背筋がわずかに粟立った。
 すぐ隣で、燈子が低く呟く。
 「都市の中で、何かが“意識”をつないでる。個人の意志じゃなく、全体の波みたいに」
 「波……」
 「ええ。それが今、子供たちの中で強まってる。きっかけは、“あのペット”たちだと思うけど――」
 言葉を切ると同時に、スマートフォンが震えた。
 美沙が画面を見ると、《坂東》と表示されている。
 「……ごめん、燈子。坂東さんからだわ」
 『出て。彼、たぶん何か掴んでる』
 美沙は頷いて、通話ボタンを押した。
 
  夕暮れが近づくと、神原道場の空気は自然と引き締まってくる。稽古の終わりが近づいていること、子供たちが少しずつ集中力を研ぎ澄ませていくこと、それらが美沙にとって確かな感触となって伝わってきた。
 蓮の動きは滑らかだった。力任せではなく、身体の芯で踏みしめ、繰り出す突きにも迷いがない。それが逆に、美沙には――どこか違和感をもたらしていた。
 “蓮らしさ”が、どこかに置き去りにされている。
 美沙は黙って見守る。いまは言葉ではなく、蓮自身の動きから受け取らなければならないことがある。そう思っていたそのときだった。
 「失礼します」
 道場の入り口から現れたのは、坂東だった。薄手のジャケットに資料の束を抱え、土足厳禁の札の前で律儀に靴を脱ぎながら、室内を見渡す。
 「呼ばれて来たよ。何を確認したいんだ?」
 「……来てくれてありがとう」
 美沙が頭を下げると、坂東はどこか戸惑ったように笑った。
 「久しぶりだな。こっちに顔出すのも何年ぶりかってところか」
 久世燈子も、すでに端に控えていた。
 稽古を終えた子供たちは、すでに帰路についたあとだった。静まり返った道場の床に、坂東は地図を広げた。それと登記簿謄本、企業情報――すべて、桜山地区の旧商業ブロックに関するものだった。
「この土地……元は旧小児医療センターがあった場所だ。その後、ショッピングモールになったが、どちらも今は更地だ。登記を調べたら、所有名義は――“株式会社アジアンランド”――聞き覚えはないと思うが、この土地の名義人だ」」
 燈子が静かに口を開く。
「でも、それが――“あの子たち”の描いた図と、重なるのね」
 坂東はうなずき、手にした地図を道場の床に広げた。
 そこには、いくつかの赤い印がつけられていた。子供たちが口にした方角、夢で“呼ばれた”という方向。その線が交差する先に、確かに――アジアンランドの名義地が存在していた。
 「この図形……久世から送ってもらったけど、実際に現地でも見た。フェンスに落書きのように描かれてた。中心に“眼”のような形があった。たぶん、これと同じものだ」
 坂東が示した写真。フェンスの錆びついた表面に、黒く浮かび上がる“眼”の形。
 美沙は息を飲んだ。以前、蓮が紙に描いた“模様”と重なって見えた。
 「子供たちは、何かに――導かれているのかもしれない」
 そう言ったのは、燈子だった。
 「そしてそれは、個々の意思ではなく、“場所”によるもの。構造が誘導している。子供たちの意識が、都市の空間の中で同調していく。そうとしか思えない現象が、もういくつも起きているのよ」
 「ペットたちは……?」
 美沙が問いかけると、坂東は少しだけ目を細めた。
 「一時的に“外に出た”っていう夜があったろう? あの時の監視映像、残ってないって言ってたよな。あれも、何かの“遮断”が起きてた可能性がある」
 燈子がうなずく。
 「意識の同調。その媒介として、あの生き物――エキドナたちが使われている。目に見える存在でありながら、“中心”を視せる装置。記憶と結びつける導線。……坂東、あなたは“その場所”に立ったのね?」
 「行ってきた。妙に土が荒れてる場所があった。あそこが中心だと思う」
 沈黙が落ちた。
 夕陽が道場の窓を照らす。
 美沙は、蓮の姿を見つめた。
 「私たち……このまま、見過ごすわけにはいかないわね」
 誰ともなく、三人の間に同意の空気が流れた。
 この都市で起きているのは、偶然ではない。必然の“配置”と“模倣”。そして、その中心にあるのは――。
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