EchidnaProjectⅠ-ラミアの眼

ukon osumi

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第十六話「眼の都市」

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 午前五時前の市街地は、本来ならまだ静寂に包まれているはずだった。
 だが、その朝。坂東が情報端末を開いた瞬間、通知音が連続して鳴り響いた。市内の通報履歴をまとめたレポートに、異常な件数の赤いフラグが立っていた。
 「……十一件……いや、十二……」
 ひとつの通報が処理される前に、次が重なる。件数は、すでに前夜までの記録を上回っていた。内容はすべて同一のカテゴリ――破壊行動、不審者目撃、映像異常。
 画面上の地図をズームアウトすると、赤いマーカーが街の各所に散らばっていた。中心部から放射状に拡がる従来のパターンではない。点が面に変わり、すでに都市全体を覆う網のようになっていた。
 「これは……もう、“同時多発”じゃない」
 坂東は低く唸るように言葉をこぼした。
 それは、都市の“全域”が、なにかに一斉に反応している証拠だった。もはや偶然の連鎖ではない。意図と連動がある。だがその“意図”の所在が、どこにも見つからない。
 坂東は椅子を蹴って立ち上がり、背後のホワイトボードにマグネットで地図を貼り付けた。蓄積された地点データを印刷したシートを手に取り、次々と場所をマーキングしていく。
 駅前、モール、学童施設、区民センター、団地の集会所。どこも“人が集まり”“視線が交差する”場所ばかりだった。
 背筋に冷たいものが走る。
 「見ているのは、誰だ?」
 声に出した瞬間、自分の疑問が、“ずっと見落としていた前提”に触れた気がした。
 誰かが「見て」いる。だがそれは、個人の視線ではない。今この都市には、あちこちに“見ている場所”があり、それらが無数の網の目となって都市の構造をなぞっている。
 この都市そのものが――眼になりつつあるのではないか。
 そこへ、玄関の呼び鈴が鳴った。
 時計を見ると午前六時を過ぎたばかり。予想していた人物の名が、すぐに頭に浮かぶ。
 ドアを開けると、やはりそこにいた。
 「おはようございます、坂東さん。ごめんなさい、朝から……」
 久世燈子だった。片手にはノートパソコン、もう一方の手には資料を挟んだ黒いバインダー。
 「ちょうど、あなたに連絡しようとしてたところだ」
 坂東がうなずくと、燈子は靴を脱ぎながら「美沙さんも後から来るって」と告げた。
 居間に移動し、三人分のカップにコーヒーを注いだところで、美沙が玄関をノックした。
 「おはようございます。すみません、早くから……」
 「いや、来てくれて助かる。話せるタイミングを待ってた」
 三人が揃い、坂東は地図の前に立つ。
 「……この一晩で、ここまで広がった」
 言いながら赤いマーカーのついた地図を示すと、美沙が息を呑んだ。
 「こんなに……?」
 「もう、“市街地の一部”とかじゃない。これは全域だ。しかも、同時に“現れて、消えている”。監視映像にはやはり映っていない。“影”が通ったとされる場所の映像は、揺れるか、ぼやけるか、あるいは真っ白に飛ぶ」
 燈子は、坂東の話を黙って聞きながら、ノートパソコンを開いてデータを見せた。
 「これ、私が昨日まとめた“視線交差点”の地図です。都市計画上、自然と人の目線が交わる位置に、ほとんどの破壊が集中してる」
 「視線……」
 美沙が反復するように呟いた。
 「うん。私はもう確信してる。“見ること”が媒介になってる。都市の構造が“眼の機能”として働いてるの。破壊が起きてるのは、その“視神経”みたいな場所……」
 坂東がゆっくりうなずいた。
 「つまり、これは……都市全体が、ひとつの視覚構造に“変質している”と」
 「その可能性が高い。しかも“見る”という行為が、もう人間だけのものじゃなくなってきてる」
 美沙が少しうつむき、何かを思い出すように口を開いた。
 「……この前、蓮が……。しろを守ろうとして、野良犬に噛まれて。骨折してまで、しろを庇ったの。その時……しろはまったく動かなくて。まるで、蓮に戦わせるようにしていた」
 その言葉に、燈子の目が鋭く光った。
 「飼い主を、守らせる……のではなく?」
 「ううん……自分を“守らせていた”」
 沈黙が落ちた。坂東が眉を寄せたまま、ぽつりと呟いた。
 「……ペットにしては、おかしいな」
 燈子は机上のバインダーを開き、数枚の図を並べながら言葉を選んだ。
 「これ、私の仮説だけど。エキドナは“個体”で見ちゃいけないんじゃない?」
 「……つまり?」
 「ひとつの種じゃなくて、“群体”として。複数の個体が、それぞれ別々に思考してるようでいて、じつはどこかでつながってる。蜂や蟻のコロニーみたいな……」
 「複合意識体ってことか?」
 「そう。“ひとつの存在”として、都市全体に散らばってる。でも、思考は共有されていて――飼い主の子供たちの視線を通して、“世界を見る”。そして、自分たちを“脅かすもの”に対して、模倣によって反応する」
「防衛反応……ってわけか」
「……一匹に対して“しつけ”を行おうとした結果が、これ?」
 燈子の声に、誰もすぐには答えられなかった。
 三人は、坂東の仕事場のテーブルに並んで座っていた。窓の外は朝の光を反射して白く濁り、街は不気味なほど静かだった。通勤時間帯を過ぎたはずなのに、車の音も人の足音も、ほとんど聞こえない。
 まるで都市そのものが“何か”のために黙して待機しているようだった。
 美沙がゆっくりと口を開く。
 「でも……それって……“しつけ”られていたエキドナが、他の個体と共有してるってこと?」
 「そう。そうじゃないと、今の広がり方に説明がつかない。複数の場所で同時に同じ“反応”が出ている。何かに対して過敏に、そして集団的に。これは、もう“個別の行動”じゃない」
 燈子は、PC画面に映した再開発区の俯瞰図を示しながら続けた。
 「見て。この軌道。点じゃない。確実に何かが“都市の眼”を通して、全体を感知してる」
 坂東が背後のホワイトボードに貼られた地図を振り返った。そこにマーカーで記された暴徒出現地点は、幾何学的にすら見える秩序を帯び始めていた。
 「つまり、エキドナは……“群れ”を成してる?」
 「群れ、というより……“網”」
 燈子は唇を引き結び、言葉を選ぶように言った。
 「都市全体に散らばった“眼”が、いま相互に接続され始めてるの。個体が見るんじゃなくて、視線そのものが共有されている。“誰かの視線”じゃない、“都市の視線”」
 「集団視覚……」
 坂東が目を細めてつぶやいた。
 「じゃあ、暴徒化は?」
 「きっかけは防御だと思う。誰かが、どこかで“しつけ”のようなことをしようとした。あるいは、従わせようとした。でもそれは、単体への干渉じゃなかった。“網”全体が反応した。しつけという攻撃に対して、“防衛行動”として同じ型を模倣し始めた」
 「だから一斉に、同じような動きで暴れだした……」
 「うん。そして今は、暴力の模倣が“習慣化”されてる。見たものを模倣し、蓄積し、共有しあう。まるで……一つの神経網のように」
 美沙が、不意に手を握りしめた。
 「……あの家出騒ぎ、つまりしろがいなくなった。あのとき、同じようにエキドナがいなくなった家庭が、ほかにも何件かあったって…………」
 「それだ」
 燈子は即座に反応し、顔を上げた。
 「おそらく、あのとき、すでに彼らの中で“共有”が始まってた。どこかに集まって、言葉にならない方法で意思を交わしていたはず。“どうするか”じゃない。“どう感じたか”を。怖かったとか、怒りを覚えたとか……その“感情の動き”が、そのままエキドナたちの“回路”に乗った」
 坂東がソファに背を預けながら、深く息を吐く。
「それってつまり……エキドナに関わった子どもたちが、無意識に暴徒化を始めたってことか?」
「違う」
 燈子は、静かに首を振った。
「子どもたちが“始めた”んじゃない。彼らは、“使われた”の。回路の中に組み込まれて。……エキドナのほうが、“飼い主を通じて”動き出した」
 沈黙が落ちた。誰もが言葉を挟めずにいた。
 燈子は、手元のノートをめくり、前夜まとめていたスケッチを差し出した。
 それは、かつて彼女が学生時代に研究していた“視線儀礼”に関する図解だった。民間信仰における“見られること”と“見ること”の相互作用が、どう神格化されるかを記したものである。
 「……“母性”って、与えることだと思ってた。でも、本質は“見守ること”だったのかもしれない。“見る”という行為は、“関与”であり、同時に“支配”でもある」
 「その視線が……都市構造の中で無数に交差して、“母の眼”になってる」
 坂東がぽつりと呟いたその言葉に、燈子の喉が動いた。
 「それが、ラミア……母性の名を借りて子供たちの言葉や記憶を覆い、都市全体に“祈りの網”を張る存在。神話に登場する“子を喰らう女怪”の名を借りたのは、それが母でありながら母でないもの、あるいは<子を取り込み支配する偽りの母性>を象徴しているからなんだけど。」
 燈子はそう言って、ただ、ノートの一ページをそっと閉じると、ゆっくりと顔を上げた。
 「都市が母の形を取ろうとしてる。……でもその“母”は、“誰の母”なんだろうね」 
  坂東が何かを言いかけたが、燈子は手で制した。
 「……もう一段、深く見たほうがいい」
 彼女は、手元の資料の山から、一枚の図面を抜き出した。地図ではない。都市計画課から得た、桜山地区の地下インフラ配線図だ。下水、電力、情報回線、古い共同溝――人の視線では届かない“もう一つの都市”がそこに広がっている。
 「私がずっと考えてたのは、“都市そのものが視線を持ち始めた”という話だった。でもそれだけじゃない。目を持つためには、情報の伝達だけじゃ足りない。“判断”が必要なのよ」
 「判断……?」
 「脳の機能に相当するなにか。つまり、都市の“意思決定装置”。もしかして、それが――」
 そこで言葉を切り、燈子は唇をかみしめた。言い切るには、まだ断定できない仮説だった。しかし、目の前にある事象はすべて、そこへ収束していく。
 「……エキドナたちは、都市の中に点在する、無数の“神経節”になってるのかもしれない」
 それは、言葉の上では仮定だった。だが、美沙も坂東も、すぐに意味を飲み込んだ。
 「じゃあ……都市全体が、ひとつの有機体のように――」
 「――そう。“都市=ラミア”よ」
 燈子の声が静かに落ちた。
 「しろを守った蓮の行動を思い出して。あれは彼の意思だったかもしれないけど、同時に、しろが自分を守らせたとも考えられる。飼い主は“加害者”じゃない。“道具”よ」
 それは、静かな断定だった。
 「つまり……」坂東が低く呟く。「暴徒化は、飼い主が暴れてるんじゃない。飼い主を“使って”、エキドナが暴れてる」
 「ええ。飼い主を媒介として、動かしてる。たぶん、“しつけ”や“制御”が加えられそうになった個体が、抵抗しようとして“相談”を始めた。あの家出騒ぎがそれよ」
 美沙が、軽く息を飲む。
 「……じゃあ、暴徒化って、彼らから見た“防衛行動”だったってこと?」
 「正確には、“排除行動”ね。人間が危険な存在であると判断された瞬間に、自衛の枠を超えて攻撃性が生まれた。しかも、個体の意志じゃない。“全体の意思”として」
 「集団意識……」
 坂東が呟き、顔を伏せる。彼の手元には、各地での暴徒目撃情報が記されたファイルが重なっていた。すでに、それは“異常な事件”の枠を越えていた。人の目に見えず、音もなく、でも確実に広がっている“何か”。
 「都市の網目が、全部つながってしまった……」
 燈子の声が小さく漏れた。
 「その中で、子どもたちは“目”になり、大人たちは“祈り”の残響になって、都市の奥にある“母性”に肉体を与えようとしてる……」
 「それが、“ラミア”ってやつか」
 坂東の言葉に、燈子はゆっくりと頷いた。
 「そう。まだ完全じゃない。でも、もうすぐ現れるわ。きっと」
 部屋に沈黙が降りる。
 その静けさのなかで、美沙がぽつりと呟いた。
「……最近、蓮が、笑わなくなったの」
 誰も言葉を返さなかった。
 スタンドライトの明かりが、重なった資料の上に影を落とす。
 そこには、既に“都市”の姿をした、なにか別の存在が、浮かび上がっているように見えた。
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