時を超えて、君を―永遠の約束

ukon osumi

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第2章「再びの邂逅」前編

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 湿度の層を抜けた瞬間、空気の向きが変わった。
 蛍光灯の白は消え、やわらかな橙が並んでいる。
 それがガス灯の光だと、もう知っていた。前に見たときと同じ高さ、同じ間隔。けれど今は、炎そのものが呼吸しているように見えた。

 和毅は自転車を押して進む。風が頬を撫で、金属の匂いがかすかに混じる。トンネルの出口に残る湿気が、背後から引き戻すようにまとわりついたが、彼は振り返らなかった。
 確かめたいのは、もう一つの光景のほうだった。

 のれんの奥で木の棚が軋む音がした。
 駄菓子屋の入口から怜子が出てくる。
「また来てくれたんですね」
「うん」
 それだけで、灯りが少し明るくなったように見えた。怜子の髪に小さな光が点のように留まり、風が通るたびに位置を変える。

 怜子はレバーを軽く引いて見せた。
「ブレーキ、ちゃんと効いてます。ありがとうございました」
「よかった。昨日、ワイヤーがだいぶ緩んでたから」
「本当に助かりました。あの……お名前、うかがってもいいですか?」
「橘です。橘和毅」
 怜子は小さく繰り返した。
「橘さん……いいお名前ですね」
 和毅はわずかに視線をそらし、うなずいた。
 炎が風に揺れ、二人の影が石畳の上で重なり、すぐ離れた。

 女将が店の奥から顔を出し、縁台を顎で示した。
「そこ、座っといで」
 二人は並んで腰を下ろした。板は少し湿っていて、沈むように軋む。ガス灯の光が瓶詰めの飴に反射し、壁に淡い影を作る。

 怜子は瓶の前で指を止めた。
「風が通りますね。ここ、いつも気持ちいいんです」
「たしかに。さっきまで息が重かったのに」
「店が多いから、甘い匂いが混じるんですよ」
「……そうか。俺のほうの通りは、もう少し乾いてる」
 怜子が首を傾げた。
「同じ通りでも、風が違うんですね」
「うん、なんかそんな気がする」

 怜子は瓶から二つの紙包みを取った。
「梅と金柑、どちらがいいですか」
「金柑で」
 包みを渡す指が軽く触れる。和毅は紙をひねって開いた。丸い飴が掌で転がり、舌に載せるとひやりとした冷たさが広がる。
 ほんの少し酸っぱく、あとから甘さが追ってくる。怜子も同じ動きで飴を口に含み、頬の内側がふくらんだ。

「この飴、風に乗るんです」
「風に?」
「ええ。ほら、少し金柑の匂いが混じってきませんか」
 和毅は鼻で息を吸った。
「……たしかに。前より甘い」
 怜子は小さく笑って頷いた。
「ね、言ったとおりでしょう」

 屋根の下で風が鳴り、瓶の布がふわりと膨らむ。
 太鼓の音が遠くで一つ響き、和毅が耳を傾けると、怜子も同じ方向を見た。

「この石畳、きれいですね」
 和毅が足先で目地をなぞる。
「ええ。雨の日は滑るけれど、乾くと光るんです」
「……そうなんだ」
「通りが少し広いの、気づきました?」
「うん。でも、どこかで見た気もする」
「見た?」
「うん。……同じ場所なのに、違うみたいな」
 怜子は一瞬だけ言葉を止め、微笑んだ。
「そういうこと、ありますね」

 沈黙が流れる。けれど重くはない。
 ガス灯の炎がわずかに揺れ、光の輪が二人の膝のあたりを撫でていく。
「この灯り、落ち着きますね」
 和毅が言うと、怜子は頷いた。
「炎は呼吸しますから」
「呼吸?」
「ほら、見てください」
 怜子は指でガス灯を指した。炎が風に合わせて揺れ、影が壁をゆらゆらと動かす。
「……ほんとだ。息してるみたいだ」
「でしょう?」
 怜子の目が光を受けて少しだけ明るくなった。

 通りを紙風船が転がっていく。子どもたちの笑い声が庇に跳ね、炎の光がその笑いに合わせて強くなったり弱くなったりする。
 怜子がそれを見て、微笑む。
「この辺の子は、風を見るのが上手なんです」
「風を、見る?」
「ええ。風の通り道を知ってると、紙風船が遠くまで飛ばせます」
「なるほど」
 和毅がうなずくと、怜子はうれしそうに目を細めた。

 女将が甕に水を足す音がして、冷たい響きが静かに広がる。怜子はその音に耳を傾けた。
「ここは夏でも涼しいんですよ」
「たしかに。息が軽い」
 和毅の言葉に怜子は頷き、袖口を整える。布の動きが風の流れに合い、和毅の側で紙片が一枚だけふわりと浮かんだ。

 その紙片は風に乗り、飴の瓶の上をかすめ、縁台の端をかるく打った。
 陽の名残のような光が透け、文字のような影が一瞬だけ石畳に映る。
 怜子が息を吸い、袖で押さえようとしたが、紙はするりと逃げた。
 和毅は手を伸ばしかけてやめる。追えば届く距離だったが、触れてはいけない気がした。
 風が一度だけ逆に流れ、二人の間を抜けていった。

 二人はそれを追わず、ただ見送った。
 紙片が石畳に落ち、金柑の香りが淡く残る。

「また……来られますか」
 怜子の声は小さいが、確かだった。
「うん。たぶん」
「たぶん、ですか」
「いや、きっと」
 怜子は静かに笑い、のれんの端を押さえた。
 その笑みの奥に、和毅は昨日と同じ空気を見つけた。
 炎が揺れ、通りの光が少しだけ濃くなった。
 トンネルの湿度も、風の匂いも、もう恐ろしくはなかった。
 そこに“戻ってきた”という確信だけが、彼の胸にあった。

 読んでくれて、ありがとう。次回は金曜の夜に。
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