風の魔導師はおとなしくしてくれない

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五章 風の吹く森

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 フェイを仲間に加えて先に進んでいくと、不意にゾレイがあっと声をあげて走り出した。ゾレイはとある木の根もとに座りこみ、くねくね曲がった太い根っこをじっと見つめた。

「ライオル様、自然の紋章です!」
「なにっ」

 ライオルと第九部隊の魔導師たちは一斉にゾレイのところに駆け寄った。ルイは閉ざされた森に浮かぶ紋章を見ようと押し合いへし合いする仲間をかき分け、木の根もとを見た。ごつごつした茶色い幹には、魔力のこもった紋章が網目状に浮かび上がっている。

「これ……初めて見る紋章です」

 ゾレイは肩にかけていた鞄からノートと鉛筆を取り出し、紋章を書き写しはじめた。ライオルはあごに手を当てて紋章を見つめた。

「もしかして、風の紋章か?」
「可能性は高いです! これを読み解けば、風の魔導具を作れるかもしれません!」

 ゾレイは注意深く幹に指をはわせながら、曲がりくねって広がる紋章の全体像をつかもうと躍起になった。あまり紋章に詳しくない第九部隊の隊員たちも、新たな魔導の発見にざわついた。

「本当に風に関する紋章だったらすごいですよ……」

 カドレックが感動して言った。ライオルは大きくうなずいた。

「ああ。もしそうなら、ここまで来た価値は十分すぎるほどあるな」

 ライオルは一人の第一部隊の隊員を呼んだ。

「書き写すのにしばらくかかるだろう。それまでゾレイの護衛を頼む」
「わかりました」

 剣に長けた第一部隊の兵士は、敬礼して王宮魔導師を護衛する役目を請け負った。地面にほとんど腹ばいになったゾレイは一心不乱に鉛筆を走らせている。ライオルはゾレイと兵士一人を残し、先を急いだ。

 ルイは嬉しそうな仲間たちのあいだでただ一人浮かない顔をしていた。ライオルはルイに明るく声をかけた。

「どうしたルイ。嬉しくないのか? 風の魔導具の開発に成功したら、お前はもう毎日王宮に通わなくてもいいんだぞ」

 ルイは眉をひそめた。

「……そっちこそ、なんで喜んでるんですか? 俺の価値がなくなったら困るのは隊長でしょう」
「お前の仕事がなくなったところで別に困らないな」

 ライオルはにやりと笑い、隊の先頭に戻っていった。

 ルイは困惑したが、新しい魔道具が開発されるのには時間がかかることを思いだした。あと数月で王太子は決定する。そのあとに風の魔導師の価値がなくなり、ルイが仕事を失おうが関係ないということだろうか。ルイは恨みがましくライオルの背中をにらんだ。


 ◆


 ライオル一行は寄り道しながら、ルイが上空から見つけた開けた場所にたどり着いた。そこだけ木が生えておらず、だだっ広い草原になっている。ライオルは木の影から草原を注意深く観察し、眉間にしわを寄せた。ライオルはハンドサインで第一部隊と第九部隊の班長計四人を呼びつけた。

「……野営の跡がある。誰かいるぞ」

 草原には簡素な天幕が五つと、たき火の跡が二つあった。

「俺の班で見てきます」

 第一部隊の班長が偵察に名乗りを上げた。

「タールヴィ隊長とほかの皆はここで待っていてください」
「ああ、頼む。問題がなければ合図をくれ」

 班長は班員を集め、剣を抜いて草原に走っていった。注意深く野営地に近づき、天幕の中を一つずつあらためていく。ひととおり周囲を確認し終えると、班長が手を上げた。

「行くぞ」

 ライオルと残りの三班も草原に足を踏み入れた。偵察を終えた班長がライオルに報告した。

「天幕は無人です。荷物もありません」
「そうか。海中師団が気づく前に誰かが入ったんだろう。盗賊のたぐいでないといいんだが……天幕は全部で五つか。それにしてはどうも……」

 ルイは踏み荒らされた雑草を足でつついていた。ライオルはルイのそばのたき火の燃え残りに手を突っこんだ。

「まだ少し温かい……」
「え?」 

 ルイが目を丸くしたとき、なにかが空を切る鋭い音が聞こえてきた。見上げると、四方から何本もの矢が降り注いできていた。気づいたライオルが怒鳴った。

「上から攻撃だ!」

 ライオルは抜刀すると硬直してしまったルイを左手で抱き寄せ、上空に炎を放った。放たれた矢はすべて燃えて地面に落ちた。その場の全員が剣を抜いて周囲を警戒した。

 再び森の中から矢の雨が降ってきて、ライオルが炎で迎え撃った。

「ちっ、囲まれていたか」

 矢は草原を囲む森の前後左右すべてから飛んできた。ライオルの指示で、第九部隊の隊員が円錐形の魔導具を真上に投げた。魔導具は上空で破裂し、パンと乾いた音を立てて一筋の煙を上げた。ギレットたちへの敵発見の合図だ。

「矢はすべて俺が落とす。白兵戦に備えろ」

 ライオルが言った。敵は森に隠れて様子をうかがっているようだ。弓矢での攻撃が通用しないことは十分わかったはずだ。ライオルたちは敵が姿を現すのを待った。

 ルイは剣を構え、痛いほど鳴り続ける心臓の鼓動を聞いていた。時間は遅々としてなかなか進まず、ルイは神経をすり減らした。

 枝が折れる音がして、ルイたちがやってきた方角から一人の男が現れた。分厚い毛皮のコートを着た人相の悪い男だ。背中に弓を背負い、右手によく使いこまれた剣を握っている。さらに数人、同じ格好の男たちが四方八方からやってきてルイたちを取り囲んだ。

「全員じゃないな……」

 ライオルが呟いた。男たちはある程度まで距離を詰めると立ち止まった。ライオルが黙っていると、最初に姿を見せた男が口火を切った。

「海王軍だな。なにしに来た?」
「調査のためだ」

 ライオルは短く答えた。

「お前たちは何者だ?」

 男はライオルを観察していて答えない。ライオルの隣にいた第一部隊の班長が息をのんだ。

「どうして……まさか……チャティオン盗賊団だ!」
「なに?」

 ライオルは敵から視線をそらさずに聞いた。

「チャティオン盗賊団? お前たちが壊滅させたんじゃなかったのか?」
「でもあの服に塗られた赤い印、あれはチャティオン盗賊団の印です……! おそらく残党かと!」

 男たちが身につけているものはばらばらだが、どの服にも赤い塗料で斜めの線が引かれていた。

「そうだ。俺たちはチャティオン盗賊団だ。もう頭領はいないけどな」
「縛り首になった頭領の復讐でもする気か?」
「いやいや、まさか。交渉させてくれ」
「なんだ。言ってみろ」
「俺たち泳いでここまで来たんだ。だからお前らの乗ってきた海馬車を俺たちにくれ」
「交渉というからには、そっちも我々になにか有益なものを提供してくれるんだろうな?」
「ああ、もちろんだ」

 男は笑うと後ろの藪に向かって指を二回鳴らした。森の木に隠れていた仲間が二人、茂みの中からこちらにやってきた。ゾレイを連れている。

「この銀髪のきれいな兄ちゃんを代わりにやるよ! いいだろ?」

 男はやに下がった笑みを浮かべた。ライオルたちの空気が重くなった。ゾレイは両手を背中で縛り上げられ、首にナイフを突きつけられて蒼白になっている。今にも気を失ってしまいそうだ。

「ちっ、クズめ」

 盗賊団の男は悪態をついたライオルをせせら笑った。ルイはゾレイと一緒に残った第一部隊の隊員の姿がないことに怖くなった。まさか殺されてしまったのだろうか。

 ルイは手が震えてしまい、剣を強く握りしめて震えを抑えた。海王軍に入りたいと言ったルイをライオルがあれだけ怒った意味をかみしめた。命がけの仕事だと覚悟していたものの、いざ戦いの場に放りこまれると怖くてたまらない。

 人数はこちらの方が多い。しかし、ライオルの見立てでは全員ではないとのことだった。それに人質を取られてはもはや優位には立てない。

「わかった、言う通りにしよう」

 ライオルは構えていた剣を下ろした。それを見た全員が次々と剣を下ろしていく。ルイもそれにならった。

「よーし」

 盗賊団の男は満足げに笑い、全員に武器を投げ捨てるよう指示した。ルイはおとなしく剣を地面に放り投げた。海王軍側の全員の武装が解除されると、盗賊団はルイたちを一列に並ばせて歩かせた。ゾレイは最後尾、ライオルは道案内をかねて先頭を歩かされた。指揮官と人質を離し、反撃されないようにしているようだ。

 ルイたちは来た道をたどり、海馬車を停めていた場所に戻ってきた。ギレット組の姿はなく、森の入り口は静かなままだった。

 盗賊たちはルイたちを一カ所に集めて座らせ、五台の海馬車を点検した。数人が中に入り、いらない荷物を外に放り出していく。縄や紐を引っ張り出しているのはルイたちを縛るためだろう。ゾレイは少し離れたところで二人の男に挟まれて立っている。

 不意に一陣の風が起こり、ルイたちを見張っていた男が目を閉じた。その一瞬の隙にライオルは素早く振り返り、すぐ後ろにいるルイに言った。

「ルイ、俺に続いて援護しろ」
「おい喋るな!」

 見張りの男はすぐに気づいて剣を振りかざして迫ってきた。ライオルは立ち上がりざまに叫んだ。

「カドレックはゾレイを助けろ!」

 ライオルは男に向かって火の玉を投げつけた。顔面を火であぶられた男は悲鳴をあげて倒れこんだ。ライオルは走りながら手を振った。理解したルイは、風を起こしてライオルの火を分厚く燃え上がらせた。炎の壁ができて海馬車を取り囲み、盗賊団はその中に閉じこめられた。

「行け!」

 ライオルが怒鳴ると、おとなしくしていた隊員全員が立ち上がって盗賊団に向かっていった。第一部隊の班長は、火を消そうと地面に転がっている男の手から剣を奪い、カドレックに渡した。カドレックは剣を持ってゾレイのほうへ走っていった。

 炎に巻かれてパニックになった盗賊団に、第一部隊の隊員たちは臆せず素手で飛びかかった。戦闘慣れしている彼らは武器を持たなくても十分に強かった。

 ある隊員は目をやられてがむしゃらに剣を振る男の斬撃を避け、柄を持つ手をなぐって剣を奪った。第九部隊の隊員たちも負けじと盗賊団に向かっていった。

 ライオルは隠し持っていたナイフを投げて一人の腕を刺し、ひるませたところで剣を奪った。ライオルを危険視した五、六人が一斉に斬りかかってきた。ライオルのすぐ後ろにいたルイは、風の流れを変えて盗賊たちが越えてきた炎をふくれあがらせた。盗賊たちは背後から火に包まれ、熱された空気を吸いこんでしまい悲痛な叫び声をあげた。それでも気丈に剣を振る者もいたが、ライオルに斬られて地面に転がった。

 盗賊団は大多数が倒され、何人かがちりぢりになって森の中に逃げていった。だがそれもすべて追いかけられて捕らえられた。

 最後にカドレックが森の中から一人の盗賊を捕まえて戻ってきた。普段穏やかなカドレックも、人が変わったように冷たい表情をしている。

 ルイは解放されて座りこんでいるゾレイに駆け寄った。

「ゾレイ、大丈夫か? 怪我は?」
「だ、大丈夫……」

 ゾレイは縛られていた手をさすりながら言った。泣き出したいのを必死にこらえているようで、震える唇をきゅっと結んでいる。手首が赤くなっているが、ほかに怪我はなさそうだった。

「そっか。よかった」
「うん……」

 ゾレイは鼻をすすり、手をついて立ち上がった。海馬車を囲む炎は水の魔導師の手で消され、白い煙が辺りを包んでいる。

 盗賊団は縛り上げられて中央に集められた。第一部隊の隊員は、最初に姿を現した盗賊団の男を慣れた手つきで締め上げた。

「ほかの仲間の居場所を言え。お前たちで全員じゃないのはわかってんだ」

 腕を背中でねじりながら詰問すると、男は悲鳴をあげた。

「いででで、ほかの連中も森の中にいるよ! 二手に分かれたもう片方を追ってった!」
「やっぱりか」

 隊員はライオルと目を合わせた。

「ヴァフラーム隊長も襲われたに違いありません」
「仕方ない、行くか」

 盗賊団の男は血走った目をカッと見開いた。

「はあ!? かしらを殺しやがった奴がいたのか!? 俺もそっちに行ってぶっ殺してやればよかっ……」

 第一部隊の隊員は迷わず男の肩の関節を外した。鈍い音がして、男は激痛にもだえた。

「あの妙に目立つところにあった天幕はおとりだな」

 ライオルが言った。

「数をごまかそうとした跡があった。足跡の数も多かったし、ここにいるのはおよそ半数だろう」
「助けに行きましょう」
「そうだな」

 捕まえた盗賊たちの見張りは第一部隊の班に任せ、ライオルたちは予備の剣を持ってギレット組を追った。そのあいだ、ゾレイは海馬車の中で休ませることにした。
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