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幕間 雨の降る日
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二人は市場をひととおり見て回るとヒーニ広場をあとにした。だが、広場を出たあたりでぽつぽつと雨が降ってきた。
「あ、しまった」
ライオルは空を見上げて呟いた。エラスム泡の天井付近に灰色の雲が広がり始めている。
「今日は降雨の日だったのを忘れてた」
「俺も忘れてた。早く帰ろう」
しかしすぐに雨足が強くなり、二人は近くの香水店の軒先に駆けこんだ。マントを着ているので走って帰ってもいいが、買ったばかりの本を濡らすわけにはいかない。
「少しすればやむから、ここで待つか」
ライオルはそう言って外に出してあった樽の上に本の束を置いた。
「そうだね」
ルイもうなずいて同じように樽の上に本を置いた。雨雲は王宮のほうからどんどん流れてきている。ルイが王宮から風を吹かせているように、王宮魔導師が王宮から雨雲を送りこんでいるのだ。こうして定期的に雨の日が訪れ、植物に水を与えて道路の汚れを洗い流してくれる。
ふと香水店のドアが開き、初老の男が外に出てきた。雨の様子を見に来たようだ。
「おや、雨宿りかい」
男は軒先に立つルイとライオルを見て声をかけた。
「中に入って待ったらどうだ? 雨が降ってるあいだは客も来ないしさ」
「いや、ここで待たせてもらえれば十分だ。ありがとう」
ライオルは彼の申し出を丁寧に断った。
「そうかい? ま、入りたくなったら入りなよ」
「そうさせてもらうよ」
「今日のはずいぶん強い雨だな。雨の魔導師は調子がいいのかねえ」
「だろうな」
ライオルと香水店の男の会話を聞き、ルイは首をかしげた。
「調子がいいと雨が強くなるのか? そんなに変わるもん?」
「結構変わるよ。カリバン・クルスの天気は魔導師の気分次第さ」
香水店の男は笑って言った。
「ここのところ強風続きだっただろ? 風の魔導師はご機嫌ななめなのかねって客と話してたよ」
「えっ、そうだった!? 全然気づかなかった……」
「気づかなかったの? でもここ数日はまた穏やかな風に戻ったから、きっと機嫌が直ったんだろうね」
「そ、そう……」
ルイはいつも通り風を起こしているつもりだったので、とても驚いた。
「はは、きっとそうだな」
ライオルは笑って相づちを打った。香水店の男はライオルと少し世間話をしてから店の中に戻っていった。
雨足はどんどん強くなり、雨が石畳を打ち付ける音だけが響いている。一人の男がマントを頭までかぶって道を小走りに横切っていった。
「お前最近不機嫌だったのか? なんで?」
隣に立つライオルがしらじらしく聞いてきた。
「確かにお前が宿舎に行ってから朝夕の風が少し強かったな。なんでだろうな?」
「……さあな」
「で、うちに戻ってきたのが数日前だったな。俺が婚約してないってわかって気持ちが落ち着いたのか?」
「…………」
「かわいいやつ」
ルイは照れくさくなって顔をそむけた。ライオルは喉を鳴らして笑い、店の壁に寄りかかった。
静かな時間が流れた。ライオルが黙ったままなので、ルイはこっそりライオルの顔をうかがった。ライオルは穏やかな表情で雨を見つめている。黙っていればただの美形の男だ。伏し目がちの横顔がきれいで、ルイは思わず見入ってしまった。
不意にライオルの左手がルイの右手をつかんだ。ルイは体をこわばらせたが、ライオルはそれ以上なにかするわけでもなく、ただルイの手を握って雨を眺めていた。ルイは恥ずかしかったが、誰も見ていないからと自分に言い訳をして、ライオルの隣で壁に寄りかかって一緒に雨の降る様子を見て過ごした。
つないだ手は温かかった。こんな日がずっと続けばいいのにと思った。
◆
少しすると雨があがったので、ルイとライオルは屋敷に戻った。ルイは自室で着替えながらテオフィロに今日行った店のことを事細かに報告した。テオフィロはにこにこしながら話を聞いてくれた。
「雨が降り始める前には帰ってくると思ってたのに遅いなと思ってたんですけど、ヒーニ広場まで足を伸ばしてたんですね」
「うん。ライオルも俺も雨のことをすっかり忘れててさ。買ったばかりの本をちょっと濡らしちゃったよ」
「少しくらい大丈夫ですよ。すぐ乾きます。りんごも食べたようですし、おなかいっぱいですか? お茶はどうします?」
「温かいお茶が一杯だけほしいかな」
「わかりました。今お持ちしますね」
「ありがとう」
ルイはいつになくいい気分だった。
「テオフィロ」
ルイが呼ぶと、テオフィロはルイが脱いだ服をたたむ手を止めて顔を上げた。
「なんですか?」
「俺、ここに来られて本当によかったよ。ここの暮らしはすごく楽しい」
テオフィロはぱっと顔を輝かせた。
「それはよかったです。そう言ってもらえて俺も嬉しいです」
「いつもありがとう、テオフィロ」
「ふふ、こちらこそ」
ルイは鼻歌を歌いながら買ったばかりの本を書棚にしまい始めた。テオフィロはそんなルイを見て優しくほほ笑んだ。
その日の夜、夕食と風呂を済ませたルイはライオルの部屋をたずねた。ライオルはソファに座って新しい剣を磨いていた。ルイはライオルの隣に座り、ライオルの作業を眺めた。磨いたおかげで刀身がつやつやになっている。
「いい剣だね」
「だろ?」
「今日はありがとう、ライオル」
ルイが礼を言うと、ライオルは驚いて顔を上げた。
「珍しい……ずいぶん素直じゃないか」
「だって今日はすごく楽しかったんだ。行きたいところも行けたし、本もいっぱい買ってもらったし。昼食も最高においしかった」
「そうか」
「またあの市場に行こうよ。今度は鞄を持っていって、いろいろ買い物したい」
「ああ、いいよ。次の休みにでもまた行くか」
「うん!」
ルイは嬉しくなって足をぱたぱたさせた。ライオルは磨き終えた剣を鞘にしまい、テーブルの上に置いた。
「ルイ」
ライオルはルイの背中に腕をまわして引き寄せた。ルイはライオルの胸に顔から突っこみそうになり、ライオルの肩に手をついて踏みとどまった。
「な、なんだよ」
「今日のお礼に、またお前からキスしてくれよ。前のときみたいに」
「えっ」
ルイは目をぱちくりさせた。ライオルは両腕でルイをしっかり抱えこんで逃げられないようにした。鼻がくっつくほど近いところから見下ろされ、ルイはたちまち真っ赤になった。
「そ、それは……」
「早く」
ライオルはルイの背中にまわした手に力をこめてさらに引き寄せた。ルイはどうすることもできずに硬直した。前のときは、ライオルが自分を好きでいてくれたことがわかり、嬉しくて思わず自分からしてしまった。だが、今考えると恥ずかしくてたまらない。
「あ、あとでしてあげるよ」
「今」
「また今度」
「だめ。今」
「……今は無理」
ライオルは不満げに目を細めた。
「なんでだよ。自分からキスして腰振ってるのかわいかったから、またやってくれよ」
「いやだ」
「……お前、俺のこと好きなんだろ? キスくらいしてくれよ」
「う……」
「ほら、早く」
ライオルは辛抱強くルイが行動するのを待っている。ルイは頭が沸騰しそうだったが、この年になってキスの一つもできないと思われたくなくてしぶしぶ了承した。
「わかったよ……じゃあ目をつむって」
「ん」
ライオルはおとなしく目を伏せた。ルイはどきどきしながら、少し背伸びをしてライオルに口づけた。軽く唇を触れさせて素早く離れたが、ライオルはルイを解放してくれなかった。仕方なくルイはもう一度口づけた。ライオルがいつもやるように舌を突っこもうとしたが、勇気が出なくて唇をほんのちょっとなめるだけで終わってしまった。すると、突然ライオルにかみつかれるように口づけられた。
「んんっ」
あごをつかまれて口を開かされ、くちゅりと音を立てて口内をなめ回された。いきなりがっつかれ、ルイはなにが悪かったのかわからずに混乱した。
「ん、んっ……」
乱暴なキスだったがとても気持ちがよかった。ルイは目をとろりと閉じてライオルに身をゆだねた。キスは長く続き、気づくとソファに押し倒されて夜着を脱がされていた。
「いつの間に……ってちょっと!」
あっという間に下着も脱がされてしまった。
「ま、待ってよ、こんな明るいところで……」
「恥ずかしい?」
「当たり前だろ……」
「ふっ、わかったよ」
ライオルはルイをひょいと抱えて寝室に連れて行き、ベッドに横たえるとその上にのしかかった。
「あ、しまった」
ライオルは空を見上げて呟いた。エラスム泡の天井付近に灰色の雲が広がり始めている。
「今日は降雨の日だったのを忘れてた」
「俺も忘れてた。早く帰ろう」
しかしすぐに雨足が強くなり、二人は近くの香水店の軒先に駆けこんだ。マントを着ているので走って帰ってもいいが、買ったばかりの本を濡らすわけにはいかない。
「少しすればやむから、ここで待つか」
ライオルはそう言って外に出してあった樽の上に本の束を置いた。
「そうだね」
ルイもうなずいて同じように樽の上に本を置いた。雨雲は王宮のほうからどんどん流れてきている。ルイが王宮から風を吹かせているように、王宮魔導師が王宮から雨雲を送りこんでいるのだ。こうして定期的に雨の日が訪れ、植物に水を与えて道路の汚れを洗い流してくれる。
ふと香水店のドアが開き、初老の男が外に出てきた。雨の様子を見に来たようだ。
「おや、雨宿りかい」
男は軒先に立つルイとライオルを見て声をかけた。
「中に入って待ったらどうだ? 雨が降ってるあいだは客も来ないしさ」
「いや、ここで待たせてもらえれば十分だ。ありがとう」
ライオルは彼の申し出を丁寧に断った。
「そうかい? ま、入りたくなったら入りなよ」
「そうさせてもらうよ」
「今日のはずいぶん強い雨だな。雨の魔導師は調子がいいのかねえ」
「だろうな」
ライオルと香水店の男の会話を聞き、ルイは首をかしげた。
「調子がいいと雨が強くなるのか? そんなに変わるもん?」
「結構変わるよ。カリバン・クルスの天気は魔導師の気分次第さ」
香水店の男は笑って言った。
「ここのところ強風続きだっただろ? 風の魔導師はご機嫌ななめなのかねって客と話してたよ」
「えっ、そうだった!? 全然気づかなかった……」
「気づかなかったの? でもここ数日はまた穏やかな風に戻ったから、きっと機嫌が直ったんだろうね」
「そ、そう……」
ルイはいつも通り風を起こしているつもりだったので、とても驚いた。
「はは、きっとそうだな」
ライオルは笑って相づちを打った。香水店の男はライオルと少し世間話をしてから店の中に戻っていった。
雨足はどんどん強くなり、雨が石畳を打ち付ける音だけが響いている。一人の男がマントを頭までかぶって道を小走りに横切っていった。
「お前最近不機嫌だったのか? なんで?」
隣に立つライオルがしらじらしく聞いてきた。
「確かにお前が宿舎に行ってから朝夕の風が少し強かったな。なんでだろうな?」
「……さあな」
「で、うちに戻ってきたのが数日前だったな。俺が婚約してないってわかって気持ちが落ち着いたのか?」
「…………」
「かわいいやつ」
ルイは照れくさくなって顔をそむけた。ライオルは喉を鳴らして笑い、店の壁に寄りかかった。
静かな時間が流れた。ライオルが黙ったままなので、ルイはこっそりライオルの顔をうかがった。ライオルは穏やかな表情で雨を見つめている。黙っていればただの美形の男だ。伏し目がちの横顔がきれいで、ルイは思わず見入ってしまった。
不意にライオルの左手がルイの右手をつかんだ。ルイは体をこわばらせたが、ライオルはそれ以上なにかするわけでもなく、ただルイの手を握って雨を眺めていた。ルイは恥ずかしかったが、誰も見ていないからと自分に言い訳をして、ライオルの隣で壁に寄りかかって一緒に雨の降る様子を見て過ごした。
つないだ手は温かかった。こんな日がずっと続けばいいのにと思った。
◆
少しすると雨があがったので、ルイとライオルは屋敷に戻った。ルイは自室で着替えながらテオフィロに今日行った店のことを事細かに報告した。テオフィロはにこにこしながら話を聞いてくれた。
「雨が降り始める前には帰ってくると思ってたのに遅いなと思ってたんですけど、ヒーニ広場まで足を伸ばしてたんですね」
「うん。ライオルも俺も雨のことをすっかり忘れててさ。買ったばかりの本をちょっと濡らしちゃったよ」
「少しくらい大丈夫ですよ。すぐ乾きます。りんごも食べたようですし、おなかいっぱいですか? お茶はどうします?」
「温かいお茶が一杯だけほしいかな」
「わかりました。今お持ちしますね」
「ありがとう」
ルイはいつになくいい気分だった。
「テオフィロ」
ルイが呼ぶと、テオフィロはルイが脱いだ服をたたむ手を止めて顔を上げた。
「なんですか?」
「俺、ここに来られて本当によかったよ。ここの暮らしはすごく楽しい」
テオフィロはぱっと顔を輝かせた。
「それはよかったです。そう言ってもらえて俺も嬉しいです」
「いつもありがとう、テオフィロ」
「ふふ、こちらこそ」
ルイは鼻歌を歌いながら買ったばかりの本を書棚にしまい始めた。テオフィロはそんなルイを見て優しくほほ笑んだ。
その日の夜、夕食と風呂を済ませたルイはライオルの部屋をたずねた。ライオルはソファに座って新しい剣を磨いていた。ルイはライオルの隣に座り、ライオルの作業を眺めた。磨いたおかげで刀身がつやつやになっている。
「いい剣だね」
「だろ?」
「今日はありがとう、ライオル」
ルイが礼を言うと、ライオルは驚いて顔を上げた。
「珍しい……ずいぶん素直じゃないか」
「だって今日はすごく楽しかったんだ。行きたいところも行けたし、本もいっぱい買ってもらったし。昼食も最高においしかった」
「そうか」
「またあの市場に行こうよ。今度は鞄を持っていって、いろいろ買い物したい」
「ああ、いいよ。次の休みにでもまた行くか」
「うん!」
ルイは嬉しくなって足をぱたぱたさせた。ライオルは磨き終えた剣を鞘にしまい、テーブルの上に置いた。
「ルイ」
ライオルはルイの背中に腕をまわして引き寄せた。ルイはライオルの胸に顔から突っこみそうになり、ライオルの肩に手をついて踏みとどまった。
「な、なんだよ」
「今日のお礼に、またお前からキスしてくれよ。前のときみたいに」
「えっ」
ルイは目をぱちくりさせた。ライオルは両腕でルイをしっかり抱えこんで逃げられないようにした。鼻がくっつくほど近いところから見下ろされ、ルイはたちまち真っ赤になった。
「そ、それは……」
「早く」
ライオルはルイの背中にまわした手に力をこめてさらに引き寄せた。ルイはどうすることもできずに硬直した。前のときは、ライオルが自分を好きでいてくれたことがわかり、嬉しくて思わず自分からしてしまった。だが、今考えると恥ずかしくてたまらない。
「あ、あとでしてあげるよ」
「今」
「また今度」
「だめ。今」
「……今は無理」
ライオルは不満げに目を細めた。
「なんでだよ。自分からキスして腰振ってるのかわいかったから、またやってくれよ」
「いやだ」
「……お前、俺のこと好きなんだろ? キスくらいしてくれよ」
「う……」
「ほら、早く」
ライオルは辛抱強くルイが行動するのを待っている。ルイは頭が沸騰しそうだったが、この年になってキスの一つもできないと思われたくなくてしぶしぶ了承した。
「わかったよ……じゃあ目をつむって」
「ん」
ライオルはおとなしく目を伏せた。ルイはどきどきしながら、少し背伸びをしてライオルに口づけた。軽く唇を触れさせて素早く離れたが、ライオルはルイを解放してくれなかった。仕方なくルイはもう一度口づけた。ライオルがいつもやるように舌を突っこもうとしたが、勇気が出なくて唇をほんのちょっとなめるだけで終わってしまった。すると、突然ライオルにかみつかれるように口づけられた。
「んんっ」
あごをつかまれて口を開かされ、くちゅりと音を立てて口内をなめ回された。いきなりがっつかれ、ルイはなにが悪かったのかわからずに混乱した。
「ん、んっ……」
乱暴なキスだったがとても気持ちがよかった。ルイは目をとろりと閉じてライオルに身をゆだねた。キスは長く続き、気づくとソファに押し倒されて夜着を脱がされていた。
「いつの間に……ってちょっと!」
あっという間に下着も脱がされてしまった。
「ま、待ってよ、こんな明るいところで……」
「恥ずかしい?」
「当たり前だろ……」
「ふっ、わかったよ」
ライオルはルイをひょいと抱えて寝室に連れて行き、ベッドに横たえるとその上にのしかかった。
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