銀色の精霊族と鬼の騎士団長

文字の大きさ
20 / 97
二章 地下牢

しおりを挟む

 精霊祭が無事に終わり、デアマルクトは日常に戻った。激務続きだった守手もりてらは、ようやく肩の荷が下りて一息ついている。祭の反動で仕事の依頼も少なく、みんな守手本部の談話室でだらだらと過ごしている。

 しかし、スイは戦々恐々としていてまったく気が休まらなかった。精霊祭で再会したエリトは、相当スイに怒っている様子だった。

 あれ以来エリトは姿を見せないが、オビングでのスイへの執着ぶりを考えると、このまま静かに放っておいてもらえるとはとても思えない。きっとまたなにか起きるに違いない。そんなことばかり考えていて、不安は募っていく一方だった。



 そんなある日、スイはニーバリに呼び出された。ほかにもガルヴァとスイより少し年上の花族の守手が呼ばれ、三人で二階にあるニーバリの執務室に向かった。

「あー……だりい……」

 ガルヴァがぼやく。スイはそうだなと言って同意した。

 三人はニーバリの執務室に入った。小さな個室には書斎机が置かれ、窓を背にしてニーバリが座っている。三人はニーバリの前に横一列に並んで立った。

「急に呼び出して悪いな。お前たちに仕事の依頼だ」

 ニーバリは机に両肘をついて手を組み、重々しく口を開く。

「デアマルクト近辺を拠点としてる犯罪組織イルグは知ってるな? 少し前にイルグのボスが治安維持に捕まったことで後継者問題が勃発して、イルグはグリーノ一派とマグン一派に分裂したんだ。で、グリーノ一派はイルグの人身売買稼業を継いでいて、最近派手に動いてるそうなんだ。マグン一派より上に立とうと資金集めに必死になってて、ここのところデアマルクトのスラムで失踪者が続出してるのは連中の仕業らしい。そこでだ」

 ニーバリは三人に意味ありげな目配せをした。

「お前たちの誰か一人でいいから、商品としてやつらに捕まって内部に潜入しろ」
「ええっ!?」

 ガルヴァがすっとんきょうな声をあげた。

「人さらい組織に潜入するんですか!?」
「そうだ。でも難しい工作する必要はないぞ。やつらがさらった人を隠しておく場所が知りたいだけだから、なにも知らないふりして捕まってくれればそれでいい。もちろんすぐに助けに行くからな」
「でも、それって治安維持部隊の仕事じゃないんですか?」

 スイも同感だった。どう考えてもこれは守手の仕事ではない。花族の守手も不安そうな顔をしている。

「あー、そうだな、確かに本来なら治安維持の仕事だよ。だけど、あの人たちは場慣れしてるから潜入には向かないんだ。犯罪者どもは鼻が利くから治安維持や憲兵をすぐに見分けちまうんだと。だから戦闘慣れしてない守手が適役なんだ」
「……守手の中で俺たちが呼ばれた理由は?」
「花族と若葉族の若い男は需要が高いからだよ。本当は女がいいんだけど、さすがに女にやらせるのはまずいからなあ」

 ガルヴァと花族の守手が渋い表情になる。当然だろう。女の代わりに好色な男に売られるために捕まるなんて、誰だってまっぴらごめんだ。

「デアマルクトの善良な民を守るためだ。これ以上の被害を食い止めるために勇気を出してくれるやつはいないか?」

 スイ以外の二人が同時に下を向く。安全なところで指示を出すだけのニーバリは気楽なものだ。だが、実際に捕まるほうは痛い思いや嫌な思いを覚悟しないといけない。捕まった人がどんな目に遭うのかもわからないのに、立候補する酔狂な者などいるはずがない。

「おいおい、気概のあるやつはいないのかよ?」

 ニーバリがため息混じりに言う。スイはすっと手を挙げた。

「おれやります」
「おっ! そうか!」

 ニーバリは喜色を浮かべ、ガルヴァはぎょっとしてスイを見た。

「お前正気か!?」

 スイはこくりとうなずく。

「やるよ」
「相当あぶねえ仕事だぞ? お前そんなの向いてねーだろ!」
「大丈夫だよ。精霊祭の準備ではみんなに迷惑をかけちゃったから、ここはおれにやらせてくれ」

 殊勝なことを言うスイにニーバリは満足げに笑う。

「スイ、見直したぞ! お前みたいな勇敢な部下を持てて俺は嬉しい!」

 ニーバリは書斎机の向こうから手を伸ばしてスイと握手し、ぶんぶんと上下に振った。ガルヴァは信じられないとでも言いたげにスイを見つめている。花族の守手はスイの言葉に感心したようだった。

 ニーバリが嬉しそうなのはスイの行動が上官である自分の成果になるからだろう。手柄を横取りされそうな気もするが、今のスイにはどうでもよかった。潜入任務を任されればしばらく家を空けざるを得ない。エリトに会いたくなかったスイにとっては渡りに船だった。



 さっそくその日の夜に作戦を決行することになった。日が暮れたころ、スイは再びニーバリの執務室に行き、服を脱いで上半身裸になるとニーバリに背中を向けて立った。

「よし、じゃあやるぞ」
「はい」

 ニーバリはスイの背中に手のひらを置いた。触れられた部分がじくりと熱くなっていく。どんどん熱さは増していき、そろそろ火傷するんじゃないかと心配になったころにようやくニーバリは手を離した。

「これでよし。見てみろ」

 スイは体をねじって背中を見た。腰の上に手のひらほどの大きさの黒い印がついている。細かな文字がびっしりと並んだ魔法陣だ。

「これがあれば、離れていてもお前の位置が手に取るようにわかる。潜入して内部の情報を集め終えたら、これに魔力を注いで術を発動させろ。それを合図に助けに行く」
「わかりました。でもこれちょっと目立ちません?」
「そんなの目くらましをかけとけばいいだろ」
「そこはやってくれないんですか……」
「甘えんな。守手だろ」

 スイは仕方なく自分で背中に目くらましの結界をかけた。追跡用の魔法陣はほとんど認識できないくらいに薄くなった。

「よし、じゃあ着替えて出発しろ」
「はい。行ってきます」
「気をつけろよ」

 スイはニーバリが準備したぼろのシャツとつぎの当たったズボンに着替え、くたびれた鞄を肩にかけて守手本部を出た。ニーバリの話ではスラム街の入り口近辺でよく人さらいが出没するらしい。

 スイは地図を片手にスラム街と呼ばれる地区にやってきた。さっきまでは普通の商店街だったのに、一本通りを越えると急に景色が変わった。道幅が狭くなり、入り組んだ路地が蜘蛛の巣のように縦横無尽に続いている。民家の窓は鉄格子がはめられているか板で打ち付けてある。痩せた犬が道ばたに寝転んでいて、歩くスイをじっと見つめている。

 まだ日が暮れてそんなに時間も経っていないのに、狭い通りに人通りはほとんどなかった。でもなぜかたくさんの人の気配がする。不思議なところだった。

 あまりに雰囲気が違いすぎて、別の世界に迷いこんだような気分だった。歩いていくと、三人の娼婦が立ち話をしているところに出くわした。スイは早足で彼女たちの脇を通り過ぎたが、通り過ぎる際に無遠慮な視線を感じた。居心地が悪くてたまらず、スイは早くさらわれたい一心であちこちうろついた。

 しばらく歩き回ったが誰も接触してこなかった。スイはそばの塀に寄りかかり、ニーバリにもらった地図を取り出した。近くに街灯がないので、月明かりに目をこらして地図を眺める。

「どこだよここ……」

 かなり細かい道も載っている地図だったが、この辺りは道が入り組んでいて自分がどこにいるのかさっぱりわからない。周りは似たり寄ったりの建物ばかりで目印になるようなものはなにもない。かといってこの辺の人には怖くて話しかけられない。

「……人さらいより先に強盗に遭うんじゃないか?」

 スラムは犯罪の温床になっているし、そう都合良く人さらいがスイを狙うとも限らない。

「狙うなら美女とか美少年とかだよな。おれじゃ無理かも……」

 お腹も空いてきて、スイのやる気は急激に低下していった。エリトから逃げたいからといって簡単に引き受ける仕事ではなかった気がする。

「今日のところは引き上げるか」

 スイは地図をたたんで鞄にしまい、来た道を引き返した。

「……あれ……?」

 だが、なかなか元の場所に戻れなかった。路地が中途半端に湾曲しているせいで、歩いているうちに正しい方角がわからなくなってしまう。

「ま、迷った……」

 石造りの背の高いアパートが狭い道の両側にそそり立ち、スイの視界を遮っている。そのせいで大聖堂のオベリスクも城壁も見えず、それらを目印にすることができない。スイは仕方なく勘を頼りにスラム街をさまよい歩いた。

 迷っているうちに夜も更けて空気が冷たくなってきた。後ろから一人の男が歩いてきてスイを追い越していった。スイは道をたずねるべきか迷って男の後頭部を見つめる。

 前方で男が立ち止まった。なんだろうと思った瞬間、背後からにゅっと手が伸びてきてスイの顔に布を押しつけた。変な刺激臭のする布だ。

「っんんん!?」

 スイは男の手をふりほどこうとしたが、変な匂いを嗅いでいるうちに視界がまっ暗になっていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜

COCO
BL
「ミミルがいないの……?」 涙目でそうつぶやいた僕を見て、 騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。 前世は政治家の家に生まれたけど、 愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。 最後はストーカーの担任に殺された。 でも今世では…… 「ルカは、僕らの宝物だよ」 目を覚ました僕は、 最強の父と美しい母に全力で愛されていた。 全員190cm超えの“男しかいない世界”で、 小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。 魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは── 「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」 これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。

公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜

上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。 体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。 両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。 せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない? しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……? どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに? 偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも? ……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない?? ――― 病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。 ※別名義で連載していた作品になります。 (名義を統合しこちらに移動することになりました)

ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」 (いえ、ただの生存戦略です!!) 【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】 生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。 ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。 のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。 「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。 「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。 「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」 なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!? 勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。 捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!? 「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」 ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます! 元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

世界を救ったあと、勇者は盗賊に逃げられました

芦田オグリ
BL
「ずっと、ずっと好きだった」 魔王討伐の祝宴の夜。 英雄の一人である《盗賊》ヒューは、一人静かに酒を飲んでいた。そこに現れた《勇者》アレックスに秘めた想いを告げられ、抱き締められてしまう。 酔いと熱に流され、彼と一夜を共にしてしまうが、盗賊の自分は勇者に相応しくないと、ヒューはその腕からそっと抜け出し、逃亡を決意した。 その体は魔族の地で浴び続けた《魔瘴》により、静かに蝕まれていた。 一方アレックスは、世界を救った栄誉を捨て、たった一人の大切な人を追い始める。 これは十年の想いを秘めた勇者パーティーの《勇者》と、病を抱えた《盗賊》の、世界を救ったあとの話。

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

処理中です...