遥かな星のアドルフ

和紗かをる

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第2章「憲兵隊准尉の憂鬱」

2-3

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ドイツ連邦地方都市、ミュンヘン。
 ヴェルサイユ条約から始まったドイツ連邦の内部の大混乱も、一見のどかなこの街に影響を与えなかったかのように見える。
 しかし、それはほんの表面上だけの事で、三年前までこのミュンヘンも、裏では人攫い、かどわかし、強姦から殺人まで、一口に言ってそれまで存在していなかった暴力が大手を振ってのさばっていたのだ。
 全てが三年前のあの日、リッティの家族が見せしめで襲われた日に変わった。
 街の誰もが、仕方が無い、どうしようもないと諦め、彼女の家族が襲われる事を防ぐことも無かった。情報だけならば実は殆どの街の人が知っていたのだ。
 犯罪組織は見せしめと考えていたので、誰もわからない様に襲うのでは効果半減だったから。
 でも、誰も大人は動かなかった。動いたのはある少女に率いられた年端も行かない子供達だけだった。
 それから三年、あの時街の全ての住民から歓呼の声で迎えられた、陸上競技にも使えそうな程もある黒の家の庭には、少年少女を心配する一部の気骨あるミュンヘン住民と、警備隊の面々がその瞳に心配の色を浮かべながら、円を描いて遠巻きにしていた。
 その中央には四列縦隊できっちりと並び、灰色の制服と肩にかかえた小銃も厳しい武装憲兵隊の姿。
 三年前にこの街を脅かしていた無秩序な暴力と違い、彼らが放つのは秩序ある暴力をにおわせる雰囲気だ。
「君がアドルフかい?」
 武装憲兵隊の先頭に立っていた青年兵が、目の前に立つ数十人の子供を守るように立つ少女に声をかける。
 後々、時間がだいぶ過ぎた頃、この場面を目撃したミュンヘン住民達は、そのことを話すとき、中年だろうが、老人だろうが、曲がったままの腰を無理に伸ばし、胸をそらせて誇り高く語ることになる。曰く、自分はあのアドルフの初陣に立ち会ったんだと。
「ボクがアドルフだよ、おじさん?」
「おっ、おじさん・・・・・・まあ君から見たらそうなのかも知れないが、俺はまだ二十代前半なんで出来ればおじさんは止めて欲しい」
「あはっ冗談、冗談、お兄さん、命令書は拝見済みだよ、黒の家はドイツ連邦参謀本部ならびに陸軍の命令を受けて活動を開始します」
 アドルフが誰に教わったわけでもないのに、ビシッと姿勢を正して、優雅とさえ言える手つきで敬礼する。
 その動きに合わせて、出来栄えはばらばらだが、心意気ならば一蓮托生といった感じで、彼女の背後にいる少年少女、それこそ十代にもなっていなさそうな幼児も敬礼を行う。
「いいのかい?本当に」
 少年少女の敬礼に圧倒されながらも、ユリウスはどうしても聞かずに入られなかった。
 黒の家に到着して、簡単に周囲を視察したが、どう見たってこの施設はただの孤児院でしかない。武器の類はほぼ無いだろうし、そろいの軍服だって無い。
 そんな黒の家が本当に、開戦の口火を切るような真似が出来るのだろうか?
 いや参謀本部の考えがそのまま行けば、彼女達はハンガリー同盟軍に虐殺され、そのあだ討ちを持って開戦するのだから、出来る出来ないで言えば、彼女達は充分にきっかけになりうる。
「大丈夫、ボク達だって馬鹿じゃないよ、お兄さん、出来ることはするし、やることはやるよ、そのための無茶は結構あるかも知れないけど」
 にこっとアドルフが笑う。
 ミュンヘンの住民で彼女の笑顔を見たことが無い住民は少ないが、それでもこの時の彼女の笑顔に集まった人類種や動物種の中から、どよめきが起こった。
 男性も女性も彼女の笑顔に魅了され、涙を浮かべている馬種や羊種もいる。
「さて儀式は終わりで宜しいか憲兵隊の方、すぐに作戦会議に入りたいので、中までご同道願いたい」
 ニコニコとしているアドルフの横から、笑顔成分を全部アドルフに持っていかれたんじゃないかって疑うくらいの、苦虫を噛み潰したような、神経質が顔を蹂躙している少年が進み出てきた。
「君は?」
「ああ、彼はボク達の策士、だよ?今回の事を何とかしなきゃいけないから、話し合いしなくちゃ、お兄さんもそれでいいよね?」
「あっ、ああ」
 命令が受領され、その命令を遵守すると言われたならば憲兵としては、後はそれを見守るだけなのだが、その場の勢いでユリウスは頷いてしまっていた。
 心中で必死に否定しているが、もしかしたらこの少女とこのまま別れるのが、なにか勿体ないと感じているのだろうか?
 首をひねりながら、アドルフと少年に先導されたユリウスは、武装憲兵小隊に大休止を命じてから、黒の家に入った。
 黒の家は外から見ても、中から見ても殆ど黒い部分は少ない木造三階建ての建物で、大きさだけなら義務教育機関で使用できるくらいの規模があった。
「ここに何人住んでいるんだ?」
「うん?そうだねぇリッヒ何人だっけ」
「アドルフ・・・・・そろそろ君もそれぐらいは把握しておいてくれよ、今ここで生活しているのは八十八人だ」
「え~そんなに少なかったっけ?」
「ああ、もう独立して支援してくれてる先輩方も居るからな、それを抜くとそんな物だよアドルフ」
「ふ~ん、八十八人ね、生活するなら、これで充分って事か」
 入口からすぐに右手にある渡り廊下を進む。中庭と思しき場所では、アドルフと同年代くらいの少女が数名の幼児に、洗濯物を手伝わせている和やかな風景が見える。
「平和だね、この場所は」
「ユリウス・アーレルスマイヤー准尉、不用意な発言はしないで下さい」
 とリッヒが言い切る前に、アドルフの足が動き、ユリウスの脛を蹴飛ばしていた。彼女が軽い体重だった為、倒れることは無かったが、そこそこに痛い。
「あのねぇ~そんな簡単に言わないでくれるかな?ここに居る子達だってみんな苦労してるんだから、差別凄かったし、ドイツの子が多いけど、ロシア=モスクワの子だって、その向こうの、もう、とんでもなく遠い、とんでもなく差別主義の国から、命からがら逃げて来た子だって居るの!」
「ああ、すまない、安易に言うことじゃないし、それに、これからお前ら戦場に向かうんだしな」
 ユリウスとしては残される子供達が平和なままで居られるか分からない不安を抱えている、とそう思ったのだ。だからアドルフの答えは意外だった。
「ボク達だけじゃないよ」
「はっ?」
「だからボク達だけじゃないよ、一緒に行くの」
「え、だってお前、あの子たちってまだそんな、子供じゃないか!」
「憲兵隊の方がどう判断しているのか分かりませんが、それを言えば黒の家自体子供しか居ないんですよ?僕もアドルフも充分に子供なんです、子供が戦場に行くのなら、一緒に行こうとするのは当然ですし、その為の策で、そのための僕です」
「そう、なのか・・・・・・」
 ここでユリウスは同じ失敗をしないように、不用意な発言はこらえた。瞬間的にそれは無謀だと、あの小さな子達まで未来を壊すつもりかと、言いそうになったが、こらえた。
 その言葉は、口に出す前にユリウスの心を貫いていたから
「何をしんみりしているんですか准尉、先に行きますよ」
「ああ」
 リッヒが先導し、アドルフが背中を押してくる。一緒にこの場所に入った筈の子供達の姿は見えない。多分自分の部屋にでも戻ったのだろうか?それもと先ほどの洗濯物を干していた彼女みたいに、何かの役割をこなしに行ってるのだろうか
「ほらほら、こっちだよ」
 アドルフに背後から押されて、ユリウスはくすぐったく思いながら、感覚的には施設の裏手、裏庭とでも呼ぶべき空間に出た。
 広さは正面の陸上きょいぎが出来るくらいの庭と比べると三分の一くらい。それでも騎兵が小隊横列を作れるぐらいには広い。そしてそこには
「これは!?」
「へへ~驚いて思わず踊っちゃうくらい?凄いでしょ、これがここ数日の戦利品なんだよ?」
 ユリウスの目の前には、憲兵隊本部でも見ない様な装備が陳列されていた。見た事が無い最新式の機関銃、ライフリング野戦砲とそれを移動させる台車、やや離れたところにはそれを運ぶ動力馬の姿も見える。
「なんでこんなに?」
「憲兵である准尉も把握していなかったとなれば重畳、この装備は参謀本部のめちゃくちゃな作戦で宙に浮いた装備を融通してもらったんです、機関銃は一丁だけですが、大砲は七門、馬が二十八頭と馬車十六台分の材料も有ります、それにオート自転車も数台」
 聞けば聞くほど贅沢な装備だ。
 これだけの装備を八十八人、増強一個中隊程度に配置しているのはこの世界でも最精鋭と言っていい。同じ数のドイツ連邦正規軍よりも装備の質は完全に上だ。
「これって参謀本部にも馬鹿だけじゃないって事か?」
 もしかしたらだが、今回のような命令が下る下地が参謀本部内部であったのかもしれない。その時の為、こんな事もあろうかと、どこかの誰かが装備一式を宙に浮かせた形でミュンヘンに配置しておいたのではないだろうか?
「まさかね」
 そんな陰謀論、幼等学生じゃあるまいしな。
「さて、そこで准尉には協力してもらいたいんだけど、ボク達は八十八人居るけど、それだけだし、それぞれ凄い事が出来る子も多いけど、守ってあげなくちゃいけない子もいるんだ」
「そうだろうな」
「だからさ、准尉」
「なんだよ?」
「准尉の部隊をください・・・・・・」
「???・・・・・・」
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