2 / 59
彼女の独白
『わたし』と二人のひと
しおりを挟むただ、大勢の人の命の果てを見送るのは決して楽な事ではなかった。
人口が目に見える形で減っていくのだ。一日に聞く声の種類が減り、合わせる顔が少なくなっていく。最後のほうには、仕事量と給金とが明らかに釣り合わなくなっていた。
いまになってみると、そういった精神的負荷を加味した金額の設定がなされていたのではないかと思う。ありのままを話すなら、わたしはそこまで腹を括れていなかった。
できていた覚悟といえば、おばあちゃんとの別離だけだ。血の繋がりなどなくても、彼女はわたしが家族だと思えるただ一人のひとだった。
ほとんどの事は、おばあちゃんが教えてくれた。生き抜くための知恵も、心躍る物語の数々も。仕事終わりに、おばあちゃんの話を聞きに行くのが楽しみだった。おばあちゃんは、わたしの話を聞きたがっていたみたいだったけれど、わたしには、他の人に語れるほどの上等な出来事も話術もなかった。
最初の頃こそ元気にしていたおばあちゃんだが、気持ちの若い彼女も寄る年波には勝てないようで、だんだんと話す事も困難になっていった。おばあちゃんはお喋りが得意で、大好きなのに。
神様がもしいるのなら、なんて残酷な事をなさるのか。これ以上は、彼女からなにも奪っていかないでほしいと願った。足がうまく動かせないのだから、口くらいは死ぬまで自由に動かせたっていいでしょう?
でも、嘆いたところで事態が好転するわけではない。できる事を探すほうが建設的だ。以前のわたしではできなかった発想の転換。彼に出会って、前向きな考えに触れ続けたいまのわたしだからこそ導き出せた答え。
幸い、おばあちゃんの耳の聞こえは、同じくらいの年齢の人たちよりも大幅にいいらしかった。……それなら、今度はわたしが話をする番だ。話題がないだの、話す事が苦手だのと逃げている場合ではない。
わたしは、ぎこちなくではあるものの、自分の話をするようになった。自分の……というよりは恋の話を。そして、恋人である彼の話を。人前で話す機会が多く、ひとを楽しませる方法に長けている彼をお手本に。
わたしの人生には、本当に二人のひとしか存在しないのだとそのとき思い知らされた。比率は均等ではない。わたしという人間の大部分を占めているのが彼。なにもかもが正反対の、偉大な人魚。彼はわたしの北極星。この海のずっと深く、どこかにある彼の祖国でも、あなたは人魚たちを導く光なのでしょう。
おばあちゃんはわたしの拙い雑談を熱心に聞いて、質問をしてくれるから……少しずつ、話す事への苦手意識が払拭されていった。気付けば、自分の感情をきちんと言語化できるまでに成長したのも、おばあちゃんのおかげだ。
恩人である彼女と過ごせる残りの時間について考えるのは、なるべく避けていた。彼女のいない未来については、そうなってから考えればいい。どうせ避けられはしないのだ。思い悩むより、ともに過ごせる時間を大切にしたかった。
紅茶を飲み頃に淹れるのもだいぶ上達した。おばあちゃんが飲み終える頃には冷え切ってしまうけれど。……昔は、一杯の紅茶を飲むのにそこまで時間をかけていなかったのは、思い違いではないだろう。頭から追いやっても、死の影は濃くなる一方だ。
だから、死別の覚悟ができていたというよりは、緩やかに、しかし確実に衰弱していくおばあちゃんの様子を見るにつけ、腹を括らざるを得ない状況になった……というべきなのかもしれない。
覚悟というよりは諦念と呼ぶべきだ。けれども、わたしにとってそれは覚悟だった。ただ、そうはいっても、実際におばあちゃんが目の前で亡くなったときはなかなかに堪えた。
……にも拘らず、自分がここまで脆い人間だという自覚を持っていなかったわたしには、その後数ヶ月、いや数年にわたったメンタルの不調と彼女との死別を結び付ける事は容易ではなかった。
なぜなら、大切な人との別れという一大イベントを、わたしはそのときはじめて経験したから。
もちろん、恋人である彼も大切なひとだ。でも、彼は存命だし、彼とわたしは家族ではない。
どれほど願っても、二人が家族になる未来など万に一つもない。種族の違いか、会う頻度か。現実的な理性か……。なにがそうさせていたのかはいまだに解明できていないが、わたしが彼を家族と認識する事は一度もなかった。
それでも、彼は彼で、わたしにとってはあまりに特別な存在だった。
だが、彼の事はまたあとで死ぬほど語ろう。いまはおばあちゃんの話の途中だ。
0
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
偽姫ー身代わりの嫁入りー
水戸けい
恋愛
フェリスは、王女のメイドだった。敗戦国となってしまい、王女を差し出さねばならなくなった国王は、娘可愛さのあまりフェリスを騙して王女の身代わりとし、戦勝国へ差し出すことを思いつき、フェリスは偽の王女として過ごさなければならなくなった。
田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜
侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」
十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。
弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。
お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。
七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!
以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。
その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。
一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜
桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。
上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。
「私も……私も交配したい」
太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる