誰かが尾鰭をつけたがった話

片喰 一歌

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誰かが尾鰭をつけたがった話

誰かが尾鰭をつけたがった話<XII>

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「……あ、ねえ。あたしの声、ちゃんと聞こえてる?」

 背泳ぎ中の彼女が問うてきた。
 
 生死不明な状態で浮かんでいたあのときとは異なり、ばっちり視線が交差している。
 
「聞こえている。僕の声はどうだ?」

 意識して張っているわけでもなさそうなのに、小鳥が囀るようなかわいらしい声は、まるで隣にいるかのように耳に届いていた。

「大丈夫。きみの発音は聞き取りやすいし、あたし、耳はいいの!」

(そういえば…………)
 
 再会までにかかった五百八十二日(正確には違うらしいが、語感が気に入ったので採用してみた)のあいだに知り合ったある人間から、人魚という種族についての簡単な知識は得ていた。

 僕に人魚に関する知識を授けた研究者仲間曰く、彼らの美しい声には催眠作用があるそうだが――――。
 
 友人と呼ぶのも少し躊躇われる関係性の彼女相手に、まさか実践してみせてくれと頼み込むわけにもいかない。

 ――――このときはまだ、そう思っていた。
 
「…………母さんと父さんも…………」

 他愛もない話の途中、彼女は唐突に声を落とした。

「ん?」

「母さんが海で、父さんが川出身だって言ったでしょ? ふたりが出会ったのもね、母さんが河口に迷い込んだのがきっかけだったんだって」

 なにを語り出すのかと焦ったが、彼女から視線を外した一瞬で、すべての謎は解けた。

「そうか。別段、意識したこともなかったが、川は海に注ぐ。海の者と川の者が出会う可能性も……なくはないんだな……」

 前方には、出会いの場所よりも深い青をした海が僕たちを待ち構えており、彼女がこの時間短い旅の終わりを惜しんでいるのだとわかった。
 
 可動域の限界まで首を動かしても、視界の端から端まで切れ目のない、ひと続きの絵画さながらの光景に近付くほどに、これまで培ってきた語彙がごっそり取り上げられていく気がした。
 
「そうだよ? 海と川も繋がってるし、海と陸だってくっついてる! 生きる場所は違っても、会えないほど絶望的に遠すぎるってことはないんだよ」

 両腕をめいっぱい広げた彼女と、それから、前方で待ち受ける一枚の壮麗な絵画とが重なって見える。

 いまの僕たちは、かいなを広げる偉大なる存在の懐へ飛び込んでいく子どものようなものかもしれない。

 『母なる』という枕詞がつくのも頷ける大自然の全容は、内部に潜り込んだところで把握することなどできやしないだろう。
 
 何千、何億年、縦横無尽に泳いだとしても、永遠に。

「…………着いちゃったね」

 淡々とした声が、波間に消えていく。
 
「ああ……。運よく最後終点まで送り届けることができて安心した」
 
「ありがとね。楽しかった!」

「……君はもう行くのか?」

 人懐っこい笑顔は健在だが、まなじりから真珠を落とす寸前の彼女を、このまま帰す気にはなれなかった。

「話し足りない? もっと一緒にいたい?」

 引き留められていると感じたらしいことを理解した彼女が、返事を返す前に砂浜に上がってきてしまったものだから、重だるい足を押して駆け寄った。
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