23 / 132
誰かが尾鰭をつけたがった話
誰かが尾鰭をつけたがった話<XII>
しおりを挟む「……あ、ねえ。あたしの声、ちゃんと聞こえてる?」
背泳ぎ中の彼女が問うてきた。
生死不明な状態で浮かんでいたあのときとは異なり、ばっちり視線が交差している。
「聞こえている。僕の声はどうだ?」
意識して張っているわけでもなさそうなのに、小鳥が囀るようなかわいらしい声は、まるで隣にいるかのように耳に届いていた。
「大丈夫。きみの発音は聞き取りやすいし、あたし、耳はいいの!」
(そういえば…………)
再会までにかかった五百八十二日(正確には違うらしいが、語感が気に入ったので採用してみた)のあいだに知り合ったある人間から、人魚という種族についての簡単な知識は得ていた。
僕に人魚に関する知識を授けた研究者仲間曰く、彼らの美しい声には催眠作用があるそうだが――――。
友人と呼ぶのも少し躊躇われる関係性の彼女相手に、まさか実践してみせてくれと頼み込むわけにもいかない。
――――このときはまだ、そう思っていた。
「…………母さんと父さんも…………」
他愛もない話の途中、彼女は唐突に声を落とした。
「ん?」
「母さんが海で、父さんが川出身だって言ったでしょ? ふたりが出会ったのもね、母さんが河口に迷い込んだのがきっかけだったんだって」
なにを語り出すのかと焦ったが、彼女から視線を外した一瞬で、すべての謎は解けた。
「そうか。別段、意識したこともなかったが、川は海に注ぐ。海の者と川の者が出会う可能性も……なくはないんだな……」
前方には、出会いの場所よりも深い青をした海が僕たちを待ち構えており、彼女がこの時間の終わりを惜しんでいるのだとわかった。
可動域の限界まで首を動かしても、視界の端から端まで切れ目のない、ひと続きの絵画さながらの光景に近付くほどに、これまで培ってきた語彙がごっそり取り上げられていく気がした。
「そうだよ? 海と川も繋がってるし、海と陸だってくっついてる! 生きる場所は違っても、会えないほど遠すぎるってことはないんだよ」
両腕をめいっぱい広げた彼女と、それから、前方で待ち受ける一枚の壮麗な絵画とが重なって見える。
いまの僕たちは、腕を広げる偉大なる存在の懐へ飛び込んでいく子どものようなものかもしれない。
『母なる』という枕詞がつくのも頷ける大自然の全容は、内部に潜り込んだところで把握することなどできやしないだろう。
何千、何億年、縦横無尽に泳いだとしても、永遠に。
「…………着いちゃったね」
淡々とした声が、波間に消えていく。
「ああ……。運よく最後まで送り届けることができて安心した」
「ありがとね。楽しかった!」
「……君はもう行くのか?」
人懐っこい笑顔は健在だが、まなじりから真珠を落とす寸前の彼女を、このまま帰す気にはなれなかった。
「話し足りない? もっと一緒にいたい?」
引き留められていると感じたらしい彼女が、返事を返す前に砂浜に上がってきてしまったものだから、重だるい足を押して駆け寄った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
そんなに義妹が大事なら、番は解消してあげます。さようなら。
雪葉
恋愛
貧しい子爵家の娘であるセルマは、ある日突然王国の使者から「あなたは我が国の竜人の番だ」と宣言され、竜人族の住まう国、ズーグへと連れて行かれることになる。しかし、連れて行かれた先でのセルマの扱いは散々なものだった。番であるはずのウィルフレッドには既に好きな相手がおり、終始冷たい態度を取られるのだ。セルマはそれでも頑張って彼と仲良くなろうとしたが、何もかもを否定されて終わってしまった。
その内、セルマはウィルフレッドとの番解消を考えるようになる。しかし、「竜人族からしか番関係は解消できない」と言われ、また絶望の中に叩き落とされそうになったその時──、セルマの前に、一人の手が差し伸べられるのであった。
*相手を大事にしなければ、そりゃあ見捨てられてもしょうがないよね。っていう当然の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる