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鶯音を入る
第四十三夜
しおりを挟む「…………翠、泣いてる。そんな怖かった?」
軽く握り込まれた拳が視界に映り込んだが、避けずにじっとしていた。彼女が私を害する行動など取る筈がないからだ。
「え?」
だが、美しい手を私なんかの涙で汚してしまうのは忍びなく、彼女が私に触れる前に自らの両目の下を押さえた。
妙齢の女性が両手でグーを作って目の下に当てている絵面など間抜け極まりないが、彼女に涙を拭かせてしまう事を防げてひとまず安心した。
「これは…………その、紅さんの優しさに感動しただけで、前に開けたときの事思い出して怖くなってるとかじゃ……!」
「針、苦手な人は苦手だよね。……アタシもそんな得意じゃない」
本当にピアスの穴を開けるのが怖くてぐずっている訳ではないのだが、彼女の思いやりを無下にするのも嫌だ。
「ふ…………ふふふ。なんか変ですね。紅さんは『ひゅもす』なんでしょう? 人間の女性以外にメスの蚊の性質も持ってるって話でしたよね。メスの蚊はお尻の針で人間を刺して血を吸うじゃないですか。あそこがお尻なのかもあれが針なのかも知りませんけど。……それなのに、自分は針が得意じゃないなんて。そんな事あるんですか?」
「刺す方と刺される方は違う。あと、アタシには針ないし。使うのは、翠がよく見てる爪。引っ掻いて傷作って、そこから吸って――」
彼女はネイルを新調した事を知らせるときに撮影する写真のように指先を折り込み、長い爪を私に見せた。
「わかりましたわかりました。紅さんは何にもおかしくありません」
「…………ホントにわかった?」
「わかりましたよ。キスマはフェイク……って言ったら聞こえが悪すぎますね。多分、封蝋とか絆創膏みたいなものだったんだって事が。勿論、目隠しのためでもあったんでしょうけど、付けたくて付けた傷じゃないでしょうから、治りが早くなるようにって願いとか愛情とかも込めてあったんじゃないですか? 私は紅さん本人じゃないんで、推測しか出来ませんけど」
笑顔を浮かべたときに目尻が突っ張る感じがした。早くも涙が渇きかけているようだ。
「私も決心出来ました。さっき見つけてくれたダブりのピアッサー使って、開けてくれますか? 私の耳に、新しい穴。別に初めてなんかじゃありませんけど、今回が初めてって思う事にします。都合の悪い事は全部忘れちゃって良いんですもんね。……いつだって、どこからだって、好きな時に好きな場所から始めて良いんですもんね。いつまでも過去に囚われなくたって良いんですもんね」
「ん。アタシはそう思う事にしてる。何度でもやり直して良い。どんな人でも、どんな状況でも」
力強く断言した彼女を見て、ふと思った。
マダム・ルージュが紅さんであると判明する前に耳にした彼女の噂のひとつに、『頻繁に住居を変えているらしい』というものがあった。
彼女は積み上げたものを崩さなくてはならない経験をいくつしてきたのだろう。愛した場所から、そして人から、離れなくてはならない経験をいくつ繰り返して今に至るのだろう。
彼女が各地を転々としている本当の理由は(まだ訊いていないから)わかっていないし、この部屋をいつ引き払う予定かもわからないが、私一人を残して彼女が行方を眩ます事はないだろう。本当は保証などどこにもないが、そう思いたい。
――――もしそんな事をされる位なら、この取るに足らないちっぽけな命を摘み取って行ってくれないだろうか。
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