三千世界の鴉なんて殺さなくても、我々は朝を迎えられる

片喰 一歌

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HONEYDEW RAIN

HONEYDEW RAIN<XXXIV>

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「「………………」」 

 彼は身体のどこもわたしにぶつけることなく湯船におさまった。なにか話すべきかと思ったけれど、なにも思い浮かばないあたまがまっしろだ。そして、会話の上手な彼も同じ状況らしく、しばらくは無言の状態が続いた。

「あ。そういえば言ってなかったね。お邪魔します♡」

 沈黙に慣れて声には出さずに時間を数え始めた頃、彼が思い出したように声を上げた。そんなのわたしだって忘れていたからいいのに、律儀なひとだ。

「え!? ……う、うん。全然邪魔じゃないから、お構いなく……?」

「あはは♡ なにそれ♡♡ 『お邪魔します』に『邪魔じゃない』って返されたのはじめてだよ♡ ……かわいいなぁ、もう♡♡」

 小さく笑い続ける彼の息がうなじや肩に当たるのと、後れ毛がふわふわと肌を撫でてくるのが擽ったい。
  
(いつもの君だったら…………というか、服着てたらぎゅーってしてくれてたよね。いまも気にしないでしてくれていいのに。前にきてもらってたらわたしからもできたのに、選択間違えたかなぁ。思いきって振り向いて飛び込む……のもできなくはないけど……!)

 ひとりで浸かっていたときよりも大きく揺れる水面も、わたしの気持ちを反映しているみたいだ。
 
「実は俺さ、こういうことするの夢だったんだよね♡♡」

 ひとしきり笑った彼は、肘を浴槽の縁にかけた。

「こういうことって?」

「彼女と一緒にお風呂入るでしょ?♡♡ ……で、いまみたいな形で湯船浸かるの♡♡ きみが俺の前にいて、俺がきみの後ろにいてまったりおしゃべりする……っていう、いまのこのシチュエーションが理想で♡」

 バスルームの反響度合を考えてか、普段より抑え気味のトーンの声は少し大人っぽく聞こえる。

「そうだったの?♡ でも、この座り方自体は前もしたことなかった?♡ 大ヒットした昔のホラー映画観たときに…………」 

「あぁ、あれね♡♡ きみがめちゃくちゃ怖がって、途中から俺の胸にすっぽり収まっちゃった作品♡♡」

「あのときはごめんね……。前から観たがってた作品なのに、全然集中できなかったんじゃない?」

 彼が指定した作品は十年以上前の作品だからか、昨今の作品とは違い映像が洗練されておらず、また幽霊や超常現象といった明確なホラー要素を抜きにしてもなかなか陰鬱な内容で、半分ほどで視聴を投げてしまったのだった。

「いや、ばっちり楽しんだよ♡♡ それに、映画に集中したかったら最初からひとりで観るし♡ 彼女と一緒にホラー観るなんて、イチャイチャする口実に決まってるでしょ♡♡ あの日はたくさん甘えてもらえて嬉しかったなぁ♡ 普段からあれくらい甘えてくれていいんだよ?♡♡」

 頭の向きは動かしていないけれど、わたしの視線は浴槽の縁に置かれた筋張った腕に集中していた。
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