星渡る舟は、戻らない。

蘇 陶華

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君の声が見える時

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高岡 唯心。澪は、彼が嫌い。彼の声の色が、そう思わせる。マットな黒い色。これが、彼が策略家だという事を現している。その声は、黒く渦巻き、澪の閉ざされた闇よりも濃い。
「今日は、アポロンは、いないのかな?」
「アロマの仕事の時は、アポロンは、留守番です」
澪は、冷たく言い放った。
「だったら、送ろうか?」
「近いし、自分え、帰れます」
「雨降るって」
「お気になさらずに」
澪は、話しかける機会を与えず、部屋を出る。
「え?ちょっと、澪さん?」
引き止めようとする高岡を空気を察したスタッフが引き留める。
「この間の、企画の件なんですけど」
チーフに引き止められ、横目に、澪を見ながら、諦める高岡。澪は、知っている。高岡は、澪が気になるのではなく、澪の家が気になるだけ、本当の自分の事を、好きな訳ではない。見た目も良く、女性にモテる高岡が、自分に惹かれるなんてない。心の様子は、声に現れる。こんな気分の時には、清涼感のある声が聞きたい。ふと、思い浮かべるのは、昨夜も聴いてしまったYouTubeのシーイの声。なんか、飲み物に似てる。暑い夏に、カラカラに乾いた喉に流し込むサイダーの様な。
「早く、帰ろ」
自宅は、公園を挟んだ反対側。一口に言うと、近いようだが、公園が広すぎる。近道を使っても、結構歩く。
「雨が降るって言っていたような」
外の空気は、雨の匂いを含んでいる。少し埃っぽい土の匂いと甘い水の匂い。鼻先を一塵の風が抜ける。やはり、雨が降って来るようだ。母親に迎えに来てもらおうか?だめだ。今日は、来月の茶会の為に、友人達と試食会を行うと言っていた。贔屓にしている和菓子屋に頼んで、幾つかの生菓子を試食すると言っていた。
「呑気なもの」
母親は、昔から自分の事を優先する人だった。気にかけてくれる人は、亡くなった彼だけだった。
「そうね。仕方がない」
気を取り直して、白杖を手に歩き出した。運が良ければ、降り出す前に、自宅にたどり着ける筈。春には、桜。夏には、花壇一杯のひまわり。秋には、紅葉や銀杏並木。冬には、枯れ葉を落とした木々の間を飛ぶ、小鳥達を眺めながら、一緒に歩いた。
「澪。泣いているの?」
泣いてなんかない。時折、自分の中に住む彼が声をかけて来る。
「泣いていいんだよ」
「泣かない」
澪の心の中に、濃くついた染み。その中にいる彼が、時折、目を覚ます。
「もう、泣く事も出来なくなった」
空を仰ぐ、澪の頬にポツンと、何かが、あたった。
「あぁ・・・」
雨が降り始めていた。
「降り出したか・・・」
間に合わなかった華。そう思う、澪にふと、影が重なった。
「大丈夫ですか?」
頭の中で、サイダーの泡が弾け飛んだ。そう、あの声に似た彼が、目の前に立っていた。
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