「匂いを嗅ぐ名探偵は、高校生活に巻き込まれる! 臭気判定士の能力で転校生の秘密を嗅ぎ取る青春ラブコメ」

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第89話:香木と静けさと、あなたの温度

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和室に満ちる香りは、煙のようにゆっくりと揺れ、時間の流れすらも柔らかくする。

僕と遥香は並んで畳に座り、小さな香炉の前に身を寄せていた。

沈香の香りは深くて、どこか懐かしく、心の奥を撫でるようだった。

「……静かだね」

遥香がぽつりと呟く。

「うん。でも、嫌な静けさじゃない。必要な音だけが残ってる、って感じ」

「風の音、香の音、心の音……かな」

「白井、詩人みたいなこと言うんだ」

「香道ではね、香りを“聞く”って言うんだ。音じゃなくて、心で感じること」

「音も、香りも、恋も……きっと全部“聞く”ものなのかもね」

遥香の言葉に、僕は少し驚く。

彼女の横顔は、どこか穏やかで、でも芯の強さが見えた。

香りの世界に触れて、彼女の中にも何かが変わっていくのがわかった。

その時、香道体験会の先生がそっと声をかけてくれた。

「次、香合わせをしてみましょうか。おふたりで、香りの違いを聞いてみてください」

香炉が交換され、新たな香木が焚かれる。

香りは少し甘く、少し焦がしたような渋さがあった。

遥香が目を閉じて、息を吸い込む。

「……さっきより、熱がある。ちょっと苦くて、でも……最後に残るのが、優しい」

「白井っぽい」

僕は思わず吹き出しそうになる。

「それ、褒めてるの?」

「もちろん。ちょっと焦げても、ちゃんと優しさが残るのって、すごいじゃん」

沈香の煙が二人の間をふわりと漂う。

香りの中で、彼女の言葉が心の奥にゆっくりと沈んでいく。

この空間、この時間、この香り──全部が、心地いい。

帰り道。

夕焼けの中を並んで歩きながら、遥香がぽつりと呟いた。

「ねえ白井。今日、来てよかった。……すごく大事なこと、知れた気がする」

「白井のことも、香りのことも、自分のことも」

僕はふっと笑って、彼女の髪に残る香りを感じながら言った。

「香りはね、残らないけど、忘れられない。
だからこそ、大切なんだ」

「……恋も、そうかもね」

遥香が小さく笑い、僕たちは言葉よりも静かな香りを背中に感じながら、ゆっくりと歩き続けた。

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