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第103話「香りが違う、空気が違う──彼女の名は」
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夏の熱気がようやく和らぎ、風がどこか秋の気配を帯び始めた新学期初日の朝。
いつも通り、僕──白井健太は、教室のドアを開けて中に足を踏み入れた。
……そして、そこで完全に足を止めた。
「……なんだ、この香りは」
空気が──違う。
明らかに、いつもの“教室の匂い”ではなかった。
それは、汗と紙とインクと昼食の残り香が混じる、ごく平凡な日本の高校生の空気とは別物だった。
まるで異国。
正確に言えば──スパイス市場の路地裏にでも迷い込んだような、濃厚で、鮮烈な香り。
カレーでもなく、香水でもない。
チリ、クミン、カルダモン、シナモン。
鼻の奥を刺激するような複雑なスパイスの香りと、さらにその奥に潜む、沈香のような甘いウード系の香り。
そこには「意図された香り」の技巧と、「人間の体臭」が溶け合っていた。
(これは……ただの香りじゃない。“生きている香り”だ)
僕の嗅覚は、もはや反射的にセンサー全開となっていた。
鼻腔が軽くビリつく。
舌の奥で、香りが味に変わりかけるような錯覚さえある。
「ねぇ、なんか変な匂いしない?」
「え、うちのクラス今日カレー出てたっけ?」
「ちがうちがう、なんか香水系?でも……濃いっつーか……」
クラス中がざわつき始めたそのとき。
ガラッ。
教壇の横のドアが開いて、担任の先生が現れた。
「はいはい、席ついて。今日はね、新しい仲間を紹介しまーす」
先生のその一言に、なぜか空気が一段階、ピリッと引き締まった。
緊張の予兆が、風のように教室を駆け抜ける。
続いて現れたのは──
カツン、カツンと軽やかな足音。
ドアの向こうから歩み出た少女は、教室の空気ごとすべてを変えた。
褐色の肌。深紅のスカーフが肩に巻かれ、
漆黒の長い髪は、艶やかに揺れている。
エキゾチックという言葉が安っぽく感じるほど、彼女は“異質”だった。
その瞬間、クラスの男子たちがざわつくのが分かった。
でも僕は──それどころじゃなかった。
香りだ。
彼女が一歩近づくたびに、空気が変わる。
汗に近い体温、オイルに溶け込んだ花の精油、香辛料、肌から立ち上がる香りの記憶。
そのすべてが、呼吸と一緒に“生きて”いた。
「今日からこのクラスに入ることになった、留学生です」
先生の声が霞むほどに、僕の意識は“香り”に集中していた。
「名前は──アーニャ・パラディールさん。みんな、仲良くな」
その名が発音された瞬間、僕の中で何かがスッと腑に落ちた。
ああ、この子は──香りを武器にして生きてきたんだ。
彼女は静かに一礼すると、ゆっくりと顔を上げた。
そして、まっすぐ僕の方を見る。
微笑んだその瞳は、まるで琥珀のように、陽光を吸い込んでいる。
「わたし、日本語……まだ、ちょっとだけ。ヨロシクオネガイシマス」
その声が届く前に、香りが僕の鼻に届いていた。
まるで、彼女の声帯よりも、先に“心”が届いたかのように。
そして、彼女は言った。
「あなた……鼻、すごい。わかる、かおりで」
初対面なのに、なぜか確信のこもった言葉。
僕は、思わず息を呑んだ。
──この子、“香りで会話する”つもりだ。
呼吸の速度をひとつ落とし、僕は静かに彼女の香りを受け止めた。
異国の風が、僕の中に吹き込んだ。
そしてそれは、確かに──僕の日常を塗り替える匂いだった。
いつも通り、僕──白井健太は、教室のドアを開けて中に足を踏み入れた。
……そして、そこで完全に足を止めた。
「……なんだ、この香りは」
空気が──違う。
明らかに、いつもの“教室の匂い”ではなかった。
それは、汗と紙とインクと昼食の残り香が混じる、ごく平凡な日本の高校生の空気とは別物だった。
まるで異国。
正確に言えば──スパイス市場の路地裏にでも迷い込んだような、濃厚で、鮮烈な香り。
カレーでもなく、香水でもない。
チリ、クミン、カルダモン、シナモン。
鼻の奥を刺激するような複雑なスパイスの香りと、さらにその奥に潜む、沈香のような甘いウード系の香り。
そこには「意図された香り」の技巧と、「人間の体臭」が溶け合っていた。
(これは……ただの香りじゃない。“生きている香り”だ)
僕の嗅覚は、もはや反射的にセンサー全開となっていた。
鼻腔が軽くビリつく。
舌の奥で、香りが味に変わりかけるような錯覚さえある。
「ねぇ、なんか変な匂いしない?」
「え、うちのクラス今日カレー出てたっけ?」
「ちがうちがう、なんか香水系?でも……濃いっつーか……」
クラス中がざわつき始めたそのとき。
ガラッ。
教壇の横のドアが開いて、担任の先生が現れた。
「はいはい、席ついて。今日はね、新しい仲間を紹介しまーす」
先生のその一言に、なぜか空気が一段階、ピリッと引き締まった。
緊張の予兆が、風のように教室を駆け抜ける。
続いて現れたのは──
カツン、カツンと軽やかな足音。
ドアの向こうから歩み出た少女は、教室の空気ごとすべてを変えた。
褐色の肌。深紅のスカーフが肩に巻かれ、
漆黒の長い髪は、艶やかに揺れている。
エキゾチックという言葉が安っぽく感じるほど、彼女は“異質”だった。
その瞬間、クラスの男子たちがざわつくのが分かった。
でも僕は──それどころじゃなかった。
香りだ。
彼女が一歩近づくたびに、空気が変わる。
汗に近い体温、オイルに溶け込んだ花の精油、香辛料、肌から立ち上がる香りの記憶。
そのすべてが、呼吸と一緒に“生きて”いた。
「今日からこのクラスに入ることになった、留学生です」
先生の声が霞むほどに、僕の意識は“香り”に集中していた。
「名前は──アーニャ・パラディールさん。みんな、仲良くな」
その名が発音された瞬間、僕の中で何かがスッと腑に落ちた。
ああ、この子は──香りを武器にして生きてきたんだ。
彼女は静かに一礼すると、ゆっくりと顔を上げた。
そして、まっすぐ僕の方を見る。
微笑んだその瞳は、まるで琥珀のように、陽光を吸い込んでいる。
「わたし、日本語……まだ、ちょっとだけ。ヨロシクオネガイシマス」
その声が届く前に、香りが僕の鼻に届いていた。
まるで、彼女の声帯よりも、先に“心”が届いたかのように。
そして、彼女は言った。
「あなた……鼻、すごい。わかる、かおりで」
初対面なのに、なぜか確信のこもった言葉。
僕は、思わず息を呑んだ。
──この子、“香りで会話する”つもりだ。
呼吸の速度をひとつ落とし、僕は静かに彼女の香りを受け止めた。
異国の風が、僕の中に吹き込んだ。
そしてそれは、確かに──僕の日常を塗り替える匂いだった。
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