「匂いを嗅ぐ名探偵は、高校生活に巻き込まれる! 臭気判定士の能力で転校生の秘密を嗅ぎ取る青春ラブコメ」

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第105話「ヒロインズ動揺──“鼻が惹かれてる”新たな強敵」

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 放課後の教室は、どこか張りつめた空気で満ちていた。

 窓の外には西日が差し込み、教室全体を淡くオレンジ色に染めている。
 その柔らかい光の中にあって、空気だけが──妙にざわついていた。

 視線が交錯する。
 言葉が交わされぬまま、心の距離が測られていく。
 そして何より、香りが静かに火花を散らしていた。

「っかしーな……白井の鼻、ずっとピクピクしてない?」

 ルナが机に突っ伏したまま、頬をぷくっと膨らませながらぼやいた。

「てかアレ、完全に“アーニャの方向いてる”っての。ずるいわマジで!」

 その視線の先では、窓際の席でアーニャ・パラディールが静かに本を読んでいた。

 異国の布地のような深紅のスカーフが肩にかかり、褐色の肌が夕陽に照らされて、宝石のような光を放つ。

 その姿はまるで、そこだけ空間の温度が違うかのようだった。
 実際──香りの密度がまったく違っていた。

 チリ、クミン、ローズ、ミルラ……
 スパイスと花の香油、そして体温が入り混じった、濃密な空気が彼女を中心に発生していた。

 まるで“香りの圧”が一帯にだけかかっているようで、
 嗅覚が敏感な者にとっては、意識を引っ張られずにいられない磁場。

 そして──白井の鼻は、もろにそれに反応していた。

 ごく自然に。
 無意識に。

「……ああ、わかる」

 紅葉が珍しく、ため息混じりに言った。

「今日の白井くん、明らかに呼吸のリズムが変わってた。
 目線の追尾角度も、アーニャさんが通るときだけ12度ズレてたわ」

「ちょ、分析してる場合かーっ!!」
 ルナがわちゃわちゃと机を叩き、さらに大声でぼやく。

「ていうか、それ鼻が惹かれてんじゃなくてもう──心が吸われてんじゃん! バカァ!」

 だが、いぶきは黙っていた。

 一言も発せず、じっと白井の背中を見ていた。

 彼女の指先は、制服の袖を握りしめている。
 布地の下で、ハンカチの端がくしゃりと潰れていた。

(……あの香り、強すぎる)

(私みたいに、“香らないことで守ってきた”人間には、あんな存在──)

 圧倒的だった。

 自分が長い時間かけて築いてきた“距離と安心”が、あの少女の香りひとつで塗り替えられてしまう──
 そんな恐怖すら感じていた。

 一方、美月は教室の後ろの本棚前で立ち止まり、静かに白井を見つめていた。

 眼鏡の奥の瞳は、どこか冷静で、でもどこか揺れていた。

「……このままだと、本当に“香りで落ちる”かもね、白井くん」

 ぽつりとこぼれた言葉は、独り言のようで、でも明確な焦りを含んでいた。

 香りは記憶に残る。
 そして、記憶に残る香りは──想い出以上に心を侵食する。

 強い香りは、誰かの心に根を張る。
 それが“恋”だと自覚する前に。

(……私たちの“日常の香り”じゃ、もう勝てないのかもしれない)

 

 その瞬間、教室の空気が変わった。

 何かが、静かに始まったのを、全員が本能で感じていた。

「……ねぇ、美月」
 ルナが少し声を潜めて言う。
「これって……もう、戦争じゃね?」

「“香りの”ね」

 美月がうなずいた。

 それぞれの想いが、胸の奥で火を灯す。

 自分だけの香りで、あの人の記憶に入りたい。
 強い香りに心が惹かれても、負けたくない。

 

 そして、誰も気づかぬうちに──

 この教室で始まっていたのは、
 言葉も拳も交えない、香りを巡る正妻戦争の幕開けだった。
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