「匂いを嗅ぐ名探偵は、高校生活に巻き込まれる! 臭気判定士の能力で転校生の秘密を嗅ぎ取る青春ラブコメ」

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第115話「香らない恋は、存在できないのか?」

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 放課後の教室。

 窓の外には淡い茜が差し始め、陽が落ちる匂いがほんのりと風に混じっていた。
 それでも教室の空気は、いつになく静かだった。

 誰もが、自分の“香り”と“想い”に向き合っていた。

 

 僕が席に戻ると、紅葉がそっと何かを僕の机に置いた。

 薄い冊子だった。見慣れない、けれど美しい装丁の文学雑誌。

「……これ、読んでみて。特集の後ろの方。わたしが投稿したやつ」

「え?」

「タイトルは、“君と香りのない部屋で”」

 

 ページを開く。
 白と黒の文字たちが、静かに僕の視界を埋めていく。

 短編小説──

 舞台は、視覚と嗅覚を失った青年と、無香の少女の“沈黙の恋”。

 ふたりは何も言葉にしない。
 香りも、手触りも、色もない。

 それでも、たしかに“通じていた”という、
 ただひとつの感覚の物語。

 

「……紅葉、これ……」

「“香りで始まった恋”しか、ないわけじゃないと思うの。
 香りに頼りすぎたら、きっと本音は伝わらない」

「だから……読んでほしかった。“匂いがない空間”でも、愛せる人間がいるってこと」

 

 彼女は、それだけ言って、背を向けて歩いていった。
 香りは、ほとんど残さなかった。

 けれど、強く印象に残ったのは──彼女の言葉と目の色だった。

 

 そして、別の方向から──美月が、僕のすぐ近くまで歩いてきた。

「白井くん」

 振り向くと、彼女はまっすぐこちらを見ていた。
 どこかためらいのある笑顔で、でも、その言葉は真っ直ぐだった。

 

「……香らなくても、私は、傍にいるよ」

 

 そう言った彼女の体からは、香りらしい香りは漂ってこなかった。

 でも、何より安心したのは、
 その無香の距離感だった。

 呼吸がしやすい。
 心が静かになる。

 それもまた、恋のひとつのかたちなのかもしれなかった。

 

 ──けれど。

 その空気を、破るように。

 

「待った」

 遥香が教室のドアを開けて入ってきた。

「ちょっと、いい?」

 彼女は教室をゆっくりと歩き、僕の真正面に立った。

 そして、何も言わずに、僕の目の前まで近づいて──
 そっと、僕の制服の袖に顔を近づけた。

 

「うん、まだ……残ってる。白井くんの香り」

 彼女の表情は、少しだけ切なかった。

 

「白井くんの香りが、私にとって恋の始まりだったんだから」

「部屋に残ってたシャツの香り。シーツの匂い。
 あの夜、触れた空気……全部、私の中に残ってる」

「だから私、“今の白井くん”じゃなくて、“記憶の白井くん”にも恋してるの」

 

 ……また、香りだった。

 彼女は、過去と今の香りを繋げてくる。

 香りは、記憶に残る。

 そしてその記憶が、恋を強く縛っていく。

 

 紅葉は、香りのない世界で恋を描いた。
 美月は、無香でいることのやさしさを示した。
 遥香は、香りを過去ごと抱きしめてきた。

 

 ──選べない。

 この気持ちは、鼻じゃ判断できない。

 それでも──

 香りがあるからこそ、
 僕は“誰か”の気持ちに気づけてしまう。

 

 そしてそのすべてが、本物だと知ってしまった今──

 どんな言葉も、選べなかった。

 

 つづく。

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