「匂いを嗅ぐ名探偵は、高校生活に巻き込まれる! 臭気判定士の能力で転校生の秘密を嗅ぎ取る青春ラブコメ」

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第116話「嵐の放課後、香りが消えた教室で」

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 雨が降り出したのは、六時間目の終わりだった。

 最初はポツポツと静かだった雨音が、みるみるうちに強くなり、
 茨城の空が、突然怒り出したかのような轟音と稲妻を連れてきた。

 

 そして──

 一瞬の雷鳴の直後、校舎全体が沈黙に包まれた。

 

「……っ、停電?」

 生徒たちはざわつき、スマホを取り出しながら早々に帰り支度を始める。

 だけど僕は、動けなかった。

 教室の奥、席に座ったまま、誰にも気づかれないようにじっとしていた。

 ヒロインたちの姿も、教室からひとりずつ消えていく。

 

 ──静寂。

 誰もいない教室。
 そして、電気も香りも失われた空気。

 エアコンも止まり、扇風機も動かず。
 なにより──

 香りが、しない。

 

 ほんの数時間前まで、僕の鼻を包囲していたあの複雑で、鮮烈で、愛しい“香りの戦場”は、
 今ではすっかり、無臭の箱になっていた。

 教室が、ただの「部屋」に戻っていた。

 

(……不思議だな)

 どこか、落ち着く。
 でも、ちょっとだけ寂しい。

 香りって、誰かの気配そのものだったんだな。

 僕はゆっくりと目を閉じる。

 そこに、ふわりと浮かんでくるのは──
 香り以外で、僕の中に残っている彼女たちの記憶だった。

 

 ──◆いぶき。
 ほんの少し袖を引っ張ってくれた、あのときのあの手。
「……平気。平気じゃなくても、香りで分かるでしょ」って、小さく笑ったあの瞬間。

 無香だった彼女の声が、今も耳に残っている。

 

 ──◆紅葉。
 授業中、僕のノートを覗いて、静かにメモを取っていた姿。
「“思い出に残す”って、香りと一緒にあると深くなるの」って、真面目に語ってくれた顔。

 香りだけじゃない。知性と温度が、彼女の中には確かにあった。

 

 ──◆美月。
 他の誰よりも冷静で、でも一番最初に僕を気づかってくれた。
「私はね、ちゃんと見てるから」って、目をそらさずに言ったその声。

 それが、ずっと支えになってた。

 

 ──◆ルナ。
 うるさくて、雑で、でも僕の緊張をほどいてくれた。
「白井ってば、鼻ばっか反応してるけど、顔もかわいいぞ?」って、照れ隠しの言葉。

 あれも、嬉しかった。

 

 ──◆遥香。
 夜。重なった呼吸。
 あのとき確かに──香りよりも先に、心で繋がっていた気がした。

「私、香りじゃなくて、ちゃんと“白井そのもの”が好きになったのかも」って、
 囁いてくれた彼女の声。

 

 ……みんなの香りに、ずっと翻弄されてきた。

 だけど、香りが消えたこの空間で、
 浮かんでくるのは“言葉”と“行動”と“記憶”だった。

 香りに惹かれたのは本当だ。
 でも、香りに“だけ”惹かれてたんじゃない。

 香りが消えて、ようやく気づいた。

 僕は、みんなのことを……ちゃんと“好き”になってたんだ。

 香りだけじゃなく。
 声も、しぐさも、笑い方も、視線も。

 全部、まるごと。

 

 雷はもう遠ざかり、雨も小降りになっていた。

 教室には、誰の香りも残っていない。

 それなのに、僕の中には“あの香りたち”が、くっきりと記憶されている。

 

 僕はそっと、息を吸った。

 

 香りは、消えても──
 想いは、残る。

 

 つづく。
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