同居のヒロイン達に夢精がバレる俺は、正妻戦争の中心にいるらしい件

第九十話 境界線と叱責と、揺れる心

黒瀬りあの部屋——その静かな空間に、俺と彼女だけの空気が流れていた。

　カップから立ちのぼる紅茶の湯気。
　隣に座った彼女の体温と香り。

　そして——

「……安心して。何もしないよ。
　でも、もし弘弥くんの方から“何か”したら、私は拒まないよ」

　その言葉が、俺の心を深く揺らした。

　甘い。
　危うい。
　そして、なにより……悲しい。

　だから——俺は、言った。

「……りあ」

　彼女が少し驚いたようにこちらを見る。

　俺は正面から、その瞳を見据えた。

「“相手するよ”なんて——冗談でも、言うもんじゃない」

　りあの表情が、一瞬だけ固まった。

「……え？」

「俺が弱ってるように見えて、チャンスだと思ったかもしれない。
　でも、それで距離を詰めようとするのは、違う。
　それは、自分を安売りしてるだけだ」

　言葉が鋭くなったのはわかっていた。
　でも、それでも言わずにいられなかった。

「りあ、お前の気持ちが本物なら……そんな風に“抱かれたがってるフリ”なんてするなよ」

「……っ」

　しばしの沈黙。

　彼女は視線を落とし、握った手をそっと膝に置いた。

「……本気だったの」

「え？」

「私は本気で、“拒まない”って思ってた。
　誰かに、求められるなら、それでいいって……。
　そう思うことでしか、自分を保てなかったから」

　その声は、細くて、震えていた。

「でも……弘弥くんに、そう言われたら、なんか……ダメになりそう……」

　彼女はぽろぽろと涙をこぼした。
　声を殺して泣くその姿が、痛いほど胸に突き刺さった。

　俺は、そっと隣に座り直し、彼女の肩に手を置いた。

「俺は、そういうお前ごと、受け止めたいと思ったよ。
　でも、“壊れかけた自分を誰かに委ねて安心したい”って気持ちと、“本当の恋”は別物だ」

　彼女は小さくうなずいた。

「じゃあ……本当の恋って、なに？」

「それは、時間をかけて作るものだよ。
　一緒に、少しずつでいいから」

　りあは、顔を上げた。
　その目は赤く腫れていたけど、どこかほっとしたように微笑んでいた。

「……ほんと、変な人」

「よく言われる」

　そんな他愛のない会話が、ようやくふたりの空気をやわらげてくれた。

　俺たちは並んで、静かに紅茶を飲んだ。

　りあが、ひとりの女の子として笑ってくれたことが、今夜のいちばんの救いだった。

（つづく）