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第一〇六話 もう一度、私を見て
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放課後の校舎は、日常の喧騒が消え、どこか異質な静けさを湛えていた。
その静けさの中で、黒瀬りあは、昇降口の柱の影にひっそりと佇んでいた。
制服のスカートのポケットには、小さな紙袋。
それを何度も指先で撫でながら、彼女は深く息を吸い、吐く。
さっきのやりとりが、脳裏に何度も蘇る。
弘弥の声、彼の目、そして——拒絶。
『やめろ、りあ。俺は、そういうことで“誰かを選ぶ”つもりはない』
『自分を安売りするようなことしてほしくない』
言葉そのものよりも、その目の奥にあった“まっすぐな否定”が、胸に焼き付いていた。
それでも。
りあは、今ここに立っていた。
(こんなことで、諦めるわけにはいかない)
優しさだけで、終わらせる気なんてない。
彼の中に、他の誰より深く入り込むためには、もうひと押しが必要だと、直感していた。
彼女の手にある袋の中には——
一枚のパンツ。
ただの下着ではない。
自分の身体にぴったりと沿って、一日中密着していた“そのまま”を、丁寧に折り畳み、包んだものだった。
彼が“下着”に対して、過剰に反応してしまうことは知っている。
ルナのものを受け取ったときのあの表情も、反射的な拒否も、すべて観察していた。
でも、それでも。
——私は私のやり方で、もう一度踏み込む。
そして、ついに。
弘弥が昇降口に姿を見せた。
ひとり、携帯を見ながらゆっくりと靴を履き替えようとしている。
その背に向かって、りあは歩き出した。
足音を忍ばせることもせず、正面から堂々と。
彼が顔を上げる。
その目が自分を捉える。
けれど、何も言わせるつもりはなかった。
「……弘弥くん」
「りあ……?」
「これ、受け取って」
彼女は、制服のポケットからそっと袋を取り出し、そのまま彼の胸元に押しつけた。
「なっ……これ……」
「察しの通り。“私のパンツ”」
「ま、待てって……お前、それ——」
「洗ってないよ」
その一言が、彼の言葉を止めた。
「だから、たぶん匂いとか、残ってる。
……今日の私が、ちゃんと、ここに入ってる」
言葉にしながら、りあの声が少しだけ震えた。
けれど、その目は揺れていなかった。
「みんなが、“脱ぎたて”とか“プレゼント”とか、軽く言ってるのを見てて……悔しかった。
私だって、あなたの前で、そういうふうに見られたかった。
……私を、感じてほしかった」
弘弥の手は、紙袋を受け取ったまま、固まっていた。
りあは、もう一歩だけ近づいた。
顔と顔が触れるほどの距離。
「私ね……本当は、こんなことしたくない。
でも、好きって気持ち、届かないのが一番こわいの」
彼の胸に、おでこをそっと預ける。
「変な女だって思っていい。軽蔑してもいい。
だけど、忘れないで。
私は、弘弥くんのことを、“ちゃんと本気で好き”なんだよ」
数秒。
何も言わない弘弥。
彼女は、そっと身体を離す。
そして、背を向けた。
「……それ、捨ててもいい。
でも、もし、少しでも私のこと考えてくれるなら——
返さなくて、いいから」
そう言い残して、りあはゆっくりと校舎の外へと歩いていった。
夕陽が、彼女の背中を赤く染めていた。
静かな風が、制服の裾を揺らす。
弘弥の手には、あたたかい袋が残ったまま。
その重みと熱が、いつまでも消えなかった。
(つづく)
その静けさの中で、黒瀬りあは、昇降口の柱の影にひっそりと佇んでいた。
制服のスカートのポケットには、小さな紙袋。
それを何度も指先で撫でながら、彼女は深く息を吸い、吐く。
さっきのやりとりが、脳裏に何度も蘇る。
弘弥の声、彼の目、そして——拒絶。
『やめろ、りあ。俺は、そういうことで“誰かを選ぶ”つもりはない』
『自分を安売りするようなことしてほしくない』
言葉そのものよりも、その目の奥にあった“まっすぐな否定”が、胸に焼き付いていた。
それでも。
りあは、今ここに立っていた。
(こんなことで、諦めるわけにはいかない)
優しさだけで、終わらせる気なんてない。
彼の中に、他の誰より深く入り込むためには、もうひと押しが必要だと、直感していた。
彼女の手にある袋の中には——
一枚のパンツ。
ただの下着ではない。
自分の身体にぴったりと沿って、一日中密着していた“そのまま”を、丁寧に折り畳み、包んだものだった。
彼が“下着”に対して、過剰に反応してしまうことは知っている。
ルナのものを受け取ったときのあの表情も、反射的な拒否も、すべて観察していた。
でも、それでも。
——私は私のやり方で、もう一度踏み込む。
そして、ついに。
弘弥が昇降口に姿を見せた。
ひとり、携帯を見ながらゆっくりと靴を履き替えようとしている。
その背に向かって、りあは歩き出した。
足音を忍ばせることもせず、正面から堂々と。
彼が顔を上げる。
その目が自分を捉える。
けれど、何も言わせるつもりはなかった。
「……弘弥くん」
「りあ……?」
「これ、受け取って」
彼女は、制服のポケットからそっと袋を取り出し、そのまま彼の胸元に押しつけた。
「なっ……これ……」
「察しの通り。“私のパンツ”」
「ま、待てって……お前、それ——」
「洗ってないよ」
その一言が、彼の言葉を止めた。
「だから、たぶん匂いとか、残ってる。
……今日の私が、ちゃんと、ここに入ってる」
言葉にしながら、りあの声が少しだけ震えた。
けれど、その目は揺れていなかった。
「みんなが、“脱ぎたて”とか“プレゼント”とか、軽く言ってるのを見てて……悔しかった。
私だって、あなたの前で、そういうふうに見られたかった。
……私を、感じてほしかった」
弘弥の手は、紙袋を受け取ったまま、固まっていた。
りあは、もう一歩だけ近づいた。
顔と顔が触れるほどの距離。
「私ね……本当は、こんなことしたくない。
でも、好きって気持ち、届かないのが一番こわいの」
彼の胸に、おでこをそっと預ける。
「変な女だって思っていい。軽蔑してもいい。
だけど、忘れないで。
私は、弘弥くんのことを、“ちゃんと本気で好き”なんだよ」
数秒。
何も言わない弘弥。
彼女は、そっと身体を離す。
そして、背を向けた。
「……それ、捨ててもいい。
でも、もし、少しでも私のこと考えてくれるなら——
返さなくて、いいから」
そう言い残して、りあはゆっくりと校舎の外へと歩いていった。
夕陽が、彼女の背中を赤く染めていた。
静かな風が、制服の裾を揺らす。
弘弥の手には、あたたかい袋が残ったまま。
その重みと熱が、いつまでも消えなかった。
(つづく)
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