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《砂漠の秘宝と、快楽を記す遺跡へ》 ――触れ合いを石に刻んだ民の、失われた祈りとは?
第164話『リセの告白──私たちは、癒してなどいない』
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──海風は、夜に入ると香りを変える。
昼の潮香と薬湯の混ざった匂いが、
日が沈む頃には泡の静けさに変わっていく。
香が揮発し、癒された記憶と共に風に溶ける街。
だがその夜は、泡の香に紛れて、誰かの“祈り”の温度が残っていた。
*
「……忘れてほしくない、なんて……そんなこと、考えていません」
リセは最初、そう言い張った。
けれどその指先は、ひどく揺れていた。
香泡庵の中庭、湯を引いた小さな施術池の縁。
リセは白衣のまま、石縁に腰掛け、泡に手を浸していた。
向かいに座った流星は、何も言わずにその様子を見ていた。
しばらくして、リセの口がゆっくりと動いた。
「……私、最初からこの街で施術師として育てられました。
記憶を残さない癒し。記録しない接触。
ふれたあとには必ず香泡を焚いて、全部を洗い流すこと──
それが“正しい救い”だと、そう教えられてきました」
「でもある日──
施術を受けた少年が、記憶がなくなったあとに……震えながら泣いたんです」
「“こわい”って。
“なにが起きたのか分からないのに、涙が出るのが怖い”って」
「私は……そのとき初めて、
“忘れる癒し”が、かえって傷を深くすることもあるんだって知ったんです」
*
泡の水面が静かに波打つ。
「……この都市には、**“思い出すと壊れる人”**がたくさんいるんです」
リセは、声を震わせた。
「戦争で、拷問で、虐待で。
誰かの手が、自分の身体に触れた記憶を、二度と思い出したくない人たち」
「……それでも、触れなきゃ癒されない。
でも、触れられたことを覚えていれば、また壊れてしまう。
だから、“記録を残さない施術”が、この都市では必要だった」
「“忘れること”だけが、最後に残された癒しだったから──
私たちは、名を呼ばず、記録せず、ただ泡と香で包み込み、
施術のすべてを“無名の温度”にした」
「でも……」
流星が、静かに言葉を差し挟んだ。
「その手は、“無名”じゃなかったよ」
「……っ」
「俺の肩に触れた手。
あの震え方、あの圧、あの間。
全部、“誰かをちゃんと癒したい”って気持ちが乗ってた」
「忘れていいなら、そんなふうに触れない」
「……覚えていて、ほしいんです」
リセが、ぽつりと漏らした。
「たった一人でいい。
誰か一人に、
“あなたの手が、私を救ってくれた”って、言ってもらえるなら──
私、癒しを“記録”したい」
「それが“間違った癒し”だって、この都市では言われても……
それでも私は……」
彼女の手が、湯の中からゆっくりと上がる。
泡がこぼれ、掌からぽたりと湯に落ちた。
その手は、美しかった。
けれど、それ以上に――
“忘れてほしくない”と強く願っている手だった。
*
「……リセ」
流星は、焚き香の瓶を差し出した。
「これ、持ってけよ」
「……?」
「“記録香”。
施術後の泡に、これを少し混ぜると、
感情の残滓が石に“ふれた跡”として薄く残る」
「……でも、それって……」
「バレなきゃ大丈夫。
ていうか、バレてもお前なら言えるだろ。
“この香は、患者の心が癒された証です”って」
リセは、しばらく香瓶を見つめていた。
それから、そっと両手で受け取った。
「……ありがとう、常盤様」
「名前で呼べよ。
記録に残さないと、俺もへこむ」
「……流星様」
ふ、と微笑む。
その笑顔は、今までの“施術師の顔”とは違っていた。
ほんの少しだけ、照れているような。
ほんの少しだけ、あたたかいような。
そしてきっと、それは――
“残りたいと願った手の笑顔”だった。
昼の潮香と薬湯の混ざった匂いが、
日が沈む頃には泡の静けさに変わっていく。
香が揮発し、癒された記憶と共に風に溶ける街。
だがその夜は、泡の香に紛れて、誰かの“祈り”の温度が残っていた。
*
「……忘れてほしくない、なんて……そんなこと、考えていません」
リセは最初、そう言い張った。
けれどその指先は、ひどく揺れていた。
香泡庵の中庭、湯を引いた小さな施術池の縁。
リセは白衣のまま、石縁に腰掛け、泡に手を浸していた。
向かいに座った流星は、何も言わずにその様子を見ていた。
しばらくして、リセの口がゆっくりと動いた。
「……私、最初からこの街で施術師として育てられました。
記憶を残さない癒し。記録しない接触。
ふれたあとには必ず香泡を焚いて、全部を洗い流すこと──
それが“正しい救い”だと、そう教えられてきました」
「でもある日──
施術を受けた少年が、記憶がなくなったあとに……震えながら泣いたんです」
「“こわい”って。
“なにが起きたのか分からないのに、涙が出るのが怖い”って」
「私は……そのとき初めて、
“忘れる癒し”が、かえって傷を深くすることもあるんだって知ったんです」
*
泡の水面が静かに波打つ。
「……この都市には、**“思い出すと壊れる人”**がたくさんいるんです」
リセは、声を震わせた。
「戦争で、拷問で、虐待で。
誰かの手が、自分の身体に触れた記憶を、二度と思い出したくない人たち」
「……それでも、触れなきゃ癒されない。
でも、触れられたことを覚えていれば、また壊れてしまう。
だから、“記録を残さない施術”が、この都市では必要だった」
「“忘れること”だけが、最後に残された癒しだったから──
私たちは、名を呼ばず、記録せず、ただ泡と香で包み込み、
施術のすべてを“無名の温度”にした」
「でも……」
流星が、静かに言葉を差し挟んだ。
「その手は、“無名”じゃなかったよ」
「……っ」
「俺の肩に触れた手。
あの震え方、あの圧、あの間。
全部、“誰かをちゃんと癒したい”って気持ちが乗ってた」
「忘れていいなら、そんなふうに触れない」
「……覚えていて、ほしいんです」
リセが、ぽつりと漏らした。
「たった一人でいい。
誰か一人に、
“あなたの手が、私を救ってくれた”って、言ってもらえるなら──
私、癒しを“記録”したい」
「それが“間違った癒し”だって、この都市では言われても……
それでも私は……」
彼女の手が、湯の中からゆっくりと上がる。
泡がこぼれ、掌からぽたりと湯に落ちた。
その手は、美しかった。
けれど、それ以上に――
“忘れてほしくない”と強く願っている手だった。
*
「……リセ」
流星は、焚き香の瓶を差し出した。
「これ、持ってけよ」
「……?」
「“記録香”。
施術後の泡に、これを少し混ぜると、
感情の残滓が石に“ふれた跡”として薄く残る」
「……でも、それって……」
「バレなきゃ大丈夫。
ていうか、バレてもお前なら言えるだろ。
“この香は、患者の心が癒された証です”って」
リセは、しばらく香瓶を見つめていた。
それから、そっと両手で受け取った。
「……ありがとう、常盤様」
「名前で呼べよ。
記録に残さないと、俺もへこむ」
「……流星様」
ふ、と微笑む。
その笑顔は、今までの“施術師の顔”とは違っていた。
ほんの少しだけ、照れているような。
ほんの少しだけ、あたたかいような。
そしてきっと、それは――
“残りたいと願った手の笑顔”だった。
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