『闇憑き語り ――五百夜、目を逸らしてはならぬ物語』

本能寺から始める常陸之介寛浩

文字の大きさ
25 / 38

『ただいまの声が、返ってこない』

しおりを挟む
 その家には、ひとつだけ決まりがあった。

「帰ってきたら、必ず“ただいま”と言うこと」

 そうすれば、家の中から必ず「おかえり」が返ってくる。
 それが、当たり前だった。

 母も、父も、妹も、祖母も。
 どんなに忙しくても、眠っていても、トイレにいても、必ず返事が返ってくる。

「ただいま」
「おかえり」

 それは“この家がこの家であるための鍵”のようなものだった。

 でも、ある夜だけ──その返事が返ってこなかった。

 きっかけは、三日前。

 大学帰り、夜遅くに帰宅したとき。

 マンションの廊下は静かで、玄関扉の前にも異変はなかった。

 いつも通り鍵を開け、ドアを引く。

 中は暗かった。
 家族の靴は揃っていた。

「……ただいま」

 何も返ってこなかった。

「……おーい?」

 沈黙。

 いつもなら、たとえ寝ていても、誰かが寝ぼけた声で「おかえり……」と返す。

 けれどその夜は、**完全な“無音”**だった。

 空気の層が一枚厚くなったような、耳が詰まるような圧力。

「ただいま?」

 試すようにもう一度声をかけた。

 けれど、返事はなかった。

 そのまま玄関に立ち尽くしていると、ふと、違和感を覚えた。

 廊下の奥。

 リビングのドアが、少しだけ開いていた。

 そこから、誰かの“顔の輪郭だけ”がのぞいている気がした。

 でも、影のせいかもしれなかった。

 明かりをつけようと手を伸ばした瞬間、

【入っちゃだめ】

 誰かの声がした。

 それは、小さな囁き。
 でも、耳元ではなかった。

 玄関の下、床のすぐ下から──地面から響いてきた。

【入ったら、“返事のないもの”がこたえるから】

 逃げるように玄関を閉めた。

 その夜は、近くのネットカフェに泊まった。

 次の日、昼過ぎに家へ戻った。

 母が出てきた。
「昨日どうしたのよ、心配したんだから」

「ただいま、って言ったんだけど……」

「言ってないでしょ。だって誰も聞いてないもの」

 父も妹も、いつも通りだった。

 けれど、ひとつだけ奇妙なことがあった。

 祖母の姿が、なかった。

 寝たきりだったはずの祖母のベッドが片付けられ、押入れの中も空。

「施設に移ったのよ」と母は言った。

 でも、そんな話は聞いていなかった。

 その日の夜、ふと、家の隅から擦れた音が聞こえた。

 押入れの裏。
 タンスの背面。
 床下。

【おか……え……り】

 聞こえてはいけない場所から、祖母の声がにじみ出ていた。

 次の日、祖母が使っていた部屋の床の間に、何かが落ちていた。

 乾いた“薄い皮”のようなもの。

 持ち上げると、それは──

 喉仏だった。

 小さく、軽く、カラカラに乾いた。

 その夜から、家では誰も「おかえり」を言わなくなった。

「ただいま」と言っても、家族は無視したように振る舞う。

 言っていないような顔をする。

 僕は、毎晩、玄関で立ち尽くすようになった。

「……ただいま」

【おかえり】

 返ってくるのは、“壁の中”からの声だけだった。

 母の声でも、妹の声でもない。

 もっと奥深いところ。
 音ではなく、気配として届く何か。

 そして気づいた。

「ただいま」に返事がなかった夜は、“家の中に入ってはいけない”日なのだと。

 その日、誰かが“すり替わる”。

 そして、翌朝には家族の誰かが“違うもの”になっている。

 祖母の部屋の仏壇に、写真が飾られていた。

 でも、それは──
 祖母ではなかった。

 見知らぬ女。
 黒い着物。笑っているけれど、口の中に歯がなかった。

 最近、妹がしゃべらなくなった。

 喉が痛いの、とだけ言った。

 そしてその翌朝。

 妹の部屋から、“喉だけ”が見つかった。

 白いタオルの上に、きれいに置かれていた。

 今日、帰り道でふと思った。

「今日は、返事があるかもしれない」

 でも、あの玄関の前に立った瞬間。

 ドアの内側から、“僕の声”が聞こえた。

【ただいま】

 誰かが、もう入っていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

(ほぼ)5分で読める怖い話

涼宮さん
ホラー
ほぼ5分で読める怖い話。 フィクションから実話まで。

奇談

hyui
ホラー
真相はわからないけれど、よく考えると怖い話…。 そんな話を、体験談も含めて気ままに投稿するホラー短編集。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【1分読書】意味が分かると怖いおとぎばなし

響ぴあの
ホラー
【1分読書】 意味が分かるとこわいおとぎ話。 意外な事実や知らなかった裏話。 浦島太郎は神になった。桃太郎の闇。本当に怖いかちかち山。かぐや姫は宇宙人。白雪姫の王子の誤算。舌切りすずめは三角関係の話。早く人間になりたい人魚姫。本当は怖い眠り姫、シンデレラ、さるかに合戦、はなさかじいさん、犬の呪いなどなど面白い雑学と創作短編をお楽しみください。 どこから読んでも大丈夫です。1話完結ショートショート。

処理中です...