織田信長の姪ーprincess cha-chaー悪役令嬢?炎の呪縛と復讐の姫 

本能寺から始める常陸之介寛浩

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⑥⑤話 岐阜の譲渡と近江への旅立ち

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 冬の風が岐阜城下を包み、細かな雪が空から舞い落ちていた。

 私は岐阜城のすぐそばにある屋敷の縁側に立ち、白く霞んだ庭を見下ろしていた。

 桃の木の裸の枝には、薄く雪が積もり、風が吹くたびにその白い粉がふわりと舞い上がる。まるで、春を待ちわびる木々が、白い夢を見ているかのようだった。

 地面は凍てつき、足元の土が軋む音が微かに耳に届く。庭の向こうには、雪に包まれた岐阜城がそびえ、その荘厳な姿が灰色の空の下で凛とした存在感を放っていた。

 空は厚く垂れ込めた雲に覆われ、日差しはなく、庭全体が淡い影に包まれている。冷たい風が髪をなびかせ、私は藍色の着物の襟元を少しきつく合わせた。

 遠く、長良川の流れがかすかに響き、町のざわめきも雪に吸われたかのように、静寂の中に溶けていく。雪片が頬に触れ、その冷たさが心までも染み渡った。

 この屋敷には、母上様、お初、お江と共に暮らしていた。信長伯父上の築いたこの岐阜の地で、私たちは静かに時を重ねていた。

 座敷では、母上様が囲炉裏のそばに座り、一通の手紙を手にしていた。昨日、岐阜城から届けられたものだ。

 お初とお江は畳の上に並んで座り、時折ふたりで囁きあいながら、障子越しにちらつく雪を見つめている。

 私は縁側に立ったまま、母上様が読んだ手紙の内容を思い出していた。伯父・織田信長が岐阜城を信忠様に譲り、自らは近江の琵琶湖畔へと移る準備を進めている――そんな知らせだった。

 それは、風のように静かに、けれど確かに変化を告げる便りだった。

 私はふと目を伏せ、座敷へと戻った。囲炉裏の火がぱちりと弾け、その熱が手先に染み渡る。湯気に混じった炭の香りが、静かに心を落ち着けていった。

 この報せが私たちの暮らしにどんな意味を持つのか。私は火を見つめながら、思いを巡らせていた。

 その時だった。庭の向こうから馬の蹄の音が聞こえ、木戸の軋む音が続いて鳴った。

 やがて、ささつきが慌ただしく座敷に駆け込んできた。

「お市様、大変です。信忠様が……ご来訪なされました」

 その名を耳にした瞬間、私は自然と背筋を伸ばした。

 母上様も手にしていた手紙を静かに置き、目を細めて「信忠が?」と問い返す。

 ささつきは頷きながら、「はい、信忠様が兄上様と話された後、こちらへ」と続けた。

 信忠様。伯父上の嫡男にして、岐阜城を継がれた御方。

 その温和な物腰と、時に人を惑わすような静かな瞳――私は鼓動が早まるのを感じ、膝の上で手を握りしめた。

 母上様が「座敷へお通ししなさい」と告げ、私たちは囲炉裏のそばで整えて座った。

 お初とお江が私の左右に寄り添い、火の赤い光が三人の顔を優しく照らしていた。

 雪は静かに舞い続け、障子の外に白い絨毯が広がっていく。

 襖がスーッと開き、信忠様が現れた。

 灰色の平服に身を包み、肩にはうっすらと雪が積もっていた。囲炉裏の光にその姿が淡く照らされ、落ち着いた顔立ちの中に柔らかな微笑みが浮かんでいた。

 母上様が「信忠殿、ようこそおいでくださいました」と丁寧に迎えると、彼は膝をつき、

「叔母上、茶々殿、お初殿、お江殿――父上様が岐阜城を儂に譲られ、近江の地へ移られることとなりました」と静かに口にされた。

 私はその言葉を聞きながら、心の奥がきゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。

 信長伯父上が、岐阜を離れる。

 その現実が、今まさに目前に迫っているのだと、痛感させられた。

 ささつきが湯を注いだ茶碗を持ってきて、信忠様の前にそっと差し出す。

「ありがとうございます」と微笑む彼の声に、私は知らず、目を奪われていた。

 母上様が、慎重に言葉を選びながら口を開く。

「兄上様が近江へ……耳にしておりましたが、これ程早くにとは」

 信忠様は頷き、「はい。父上様は、長篠の勝利で織田の基盤は整ったとお考えです。次は近江にて、天下の礎を築くおつもりです。岐阜のことは、すべて儂が預かることとなりました」と語られた。

 私は茶碗を手に取りながら、その一言一言に静かに耳を澄ませていた。

「叔母上、父上様は近江に新たな城を築かれます。儂は岐阜で、皆様とともに歩んでいきます」

 その言葉に、私は小さく安堵を覚えた。母上様や妹たちと離れずにすむ。そのことが、どれほど心強いことか。

「姉上様、信忠様、やさしいね」

 お初がふとつぶやき、お江が私の袖を引いて、

「姉上様、近江って遠いの?」と首をかしげた。

 私は微笑みながら答えた。「お江、少し遠いけれど、大丈夫よ。ここからでも、ちゃんと想える距離よ」

 信忠様が席を正し、「叔母上、父上様が旅立たれる前に、岐阜の皆の顔を見ておきたかったのです。これで心残りなく、岐阜城へ戻れます」と静かに言った。

 母上様は少し頷き、

「兄上様が近江に向かわれても、私たちはこのまま、岐阜で暮らします」

 信忠様は深く一礼し、「はい。皆がこの地にあれば、儂は心強い限りです」と微笑まれた。

 そして、彼は静かに立ち上がり、座を下がった。

 私は母上様と並んで縁側に立ち、信忠様が馬に乗り、岐阜城へと帰っていく姿を見送った。

 雪の中、彼の背中はすぐ近くの城へと消えていった。

 その翌日、雪はさらに厚く積もり、空一面が白く染まった。

 昼過ぎ、庭の向こうから馬の蹄の音が響き渡り、遠くの道に織田信長伯父上の行列が姿を現した。

 彼が近江へ旅立つ時が来たのだ。

 私たちは母上様、お初、お江とともに屋敷の外へ出た。岐阜城のすぐそば、雪道の脇に並び立ち、私は母上様の手をそっと握った。

 黒の平服を纏い、鋭い眼差しのまま馬に跨る伯父上の姿が、風の中で近づいてくる。赤い帯が風に揺れ、まるで彼の強い意志が目に見えるかのようだった。

 従える兵たちの足音が雪を踏みしめ、行列は静かに、しかし力強く進んでいく。

 母上様が、小さく「兄上様、どうかご無事で……」と呟いたその声が、胸に残った。

 その瞬間、信長伯父上の瞳が私たちをかすかに捉えた。

 私はその鋭い視線に息を呑んだ。伯父上は言葉を発することなく、馬を止めることもなく、ただ近江への道を真っ直ぐに進んでいった。

 その後ろ姿が雪の彼方に消えるまで、私は手を握りしめたまま、立ち尽くしていた。

 お初が、「姉上様、馬、たくさんいたね」とぽつりと呟き、お江が「姉上様、伯父上様、ほんとうに遠くへ行っちゃうの?」と不安そうに聞いた。

「ええ、お江。近江は……少し遠いところね」

 私はそう答えながら、寂しさを感じていた。お江は近江の記憶を持たず、だからこそ、その距離の重さを知らない。

 けれど私は知っている。遠く離れても、そこに在る想いは消えないということを。

 屋敷に戻り、私は再び囲炉裏のそばに座った。

 母上様が穏やかな口調で言った。

「茶々、兄上様が近江へ向かわれましたが、私たちは信忠殿が治める岐阜で、これからも暮らしていきます」

 私は頷き、「はい、母上様にお任せいたします」と答えた。

 囲炉裏の火がゆらりと揺れ、私たちの時間をあたたかく包み込んだ。

 岐阜城が信忠様のもとへ渡り、信長伯父上が近江へと去った今――

 私は変わりゆく季節と共に、心の中でも新しい暮らしの始まりを感じていた。

 雪の庭を見つめながら、私は静かに、未来を見つめていた。
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