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プロローグ『この世で一番大切なものは、誰にも教わらなかった』
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午前三時五十八分。
茨城県つくば市はずれにある木造二階建てアパートの一室に、ひとつの命が静かに終わろうとしていた。
「──くっ……くぁ、あ゛あ゛あ……」
呻きと悲鳴の中間のような音が、どこか懐かしさすら漂わせるトーンで、部屋の隅に反響する。
正確にはそれは“叫び声”ではなかった。
喉から出たのではない。
もっと、腹の奥から。──腸、いや、直腸から、だった。
男の名前は常陸之介 寛浩(ひたちのすけ かんこう)。
ペンネームである。
本名はどうでもよかった。いまや誰にも覚えられていない。いや、覚えさせなかったのだ。
“常陸之介寛浩”──その奇妙な名義で世に送り出された作品は、数年前に刊行されたラノベ『異世界でハーレム築いたら寿命が減った件』。
粗野で下品で、おまけに挿絵がギリギリを攻めた表現だったせいで、たびたび自主回収騒ぎにすらなった問題作。
だが、その売り上げはすさまじく──
寛浩は一躍、業界で“問題児にしてヒット請負人”と呼ばれるようになった。
そして──
その代償として、“命”を削った。
「……また、便器が……真っ赤だ……」
ふらつく足でトイレのフタを閉じた彼は、まるで日課のように血に染まったティッシュを丸めて、ごみに放り投げた。
三日連続。もう驚きはなかった。
座りっぱなしの執筆。夜食のスナック菓子。睡眠は平均1.5時間。
毎月3冊同時連載。ネーム、構成、加筆、校正、リテイク。
編集は言った。
──「先生、命かけて書いてるって、伝わってきますよ!」
「……お前が言うなよ……」
ぽつりと呟いて、寛浩は机に戻る。
ディスプレイの光が、夜を照らしていた。
まるで、死後の世界の門前灯みたいに。
「寛浩先生、例の“児童書”の件、ぜひお願いします!」
編集が、電話口で明るく言った。
「今度の企画、“うんちで世界を救う冒険もの”なんです!」
「……は?」
寛浩の心が折れたのは、実はこの瞬間だったかもしれない。
「いや、いやいや……俺はもう、うんちとか、そういうので笑える年齢じゃ──」
「でも先生、“排泄”って命に直結してますよね?先生なら、絶対そういう“汚くて尊い”テーマ、描けると思って!」
言葉の刃が、静かに腸を刺す。
彼はその瞬間、便意を催した。
いや──それは便意ではなかった。
**“命意”**だった。
──その夜。
彼は原稿の上に突っ伏し、椅子から崩れ落ちるように倒れた。
筆圧の跡が、原稿用紙の上にぽつぽつと赤く滲んでいた。
血だった。
肛門からの出血。
過労、脱水、潰瘍、切れ痔、慢性疾患の複合。
あまりに雑な生き方を、身体が止めようとしたのだ。
視界が暗くなる中で、彼はぼんやりと、便器を見た。
まるで光り輝く神殿のようだった。
「……あそこに……還るのか……?」
意識は、ゆっくりと深く沈んでいった。
原稿も、書きかけの台詞も、スマホも、SNSも、書店ランキングも──
すべてが流れていく。
彼の最期の言葉は、ひとことだけだった。
「うんちって……命なんだよな……」
その言葉と共に、光が訪れた。
──そして、目を覚ました。
そこは土の中だった。
ほんのり温かく、やわらかく、そしてほんのすこし、くさい。
いや、違う。
これはくさいのではない。
芳醇だった。
濃密な発酵の香り。命の終わりと始まりが溶け合った、土と排泄物の混じる“再生の香”。
彼は、這い出るようにして地表に顔を出す。
六本の脚を動かしながら、ぬるりと泥の中から現れた。
「──俺……生きてる……?」
空は黄金色だった。
草木は幾何学のように整い、周囲には無数の虫たちがうごめいていた。
だが、なにより目を奪ったのは──
目の前に転がっていた、巨大な“うんち”だった。
直径50センチはあろうかという、完璧な球体。
湿りすぎず乾きすぎず、崩れぬ強度とほどよい艶を兼ね備えた、美しいうんち。
その光景を前にして、寛浩──いや、彼はもう人間ではなかった。
小さな虫となった彼の心が、震えた。
「……なんて、神々しい……」
一歩、近づく。
もう一歩、手を──いや、脚を伸ばす。
触れた。そのとき。
脳内に、声が響いた。
《ようこそ、フン界へ──聖なる転がし手よ》
その声は、やさしくもあり、どこかくすぐったい。
便意を我慢してるときに感じる、あの“耐える快感”に似ていた。
彼は、うんちを見上げた。
こんなにも美しく、温かく、堂々としていて、そして命を感じさせるものを、彼は知らなかった。
「書く必要なんて、なかったのかもしれない……」
「だって、ここにある……この球こそが……物語だ……」
彼は、うんちを転がし始めた。
まるで、ペンを走らせるように。
まるで、命を紡ぐように。
世界が、まわり始めた。
うんちと共に。
──それが、“フンコロガシとしての第1歩”だった。
茨城県つくば市はずれにある木造二階建てアパートの一室に、ひとつの命が静かに終わろうとしていた。
「──くっ……くぁ、あ゛あ゛あ……」
呻きと悲鳴の中間のような音が、どこか懐かしさすら漂わせるトーンで、部屋の隅に反響する。
正確にはそれは“叫び声”ではなかった。
喉から出たのではない。
もっと、腹の奥から。──腸、いや、直腸から、だった。
男の名前は常陸之介 寛浩(ひたちのすけ かんこう)。
ペンネームである。
本名はどうでもよかった。いまや誰にも覚えられていない。いや、覚えさせなかったのだ。
“常陸之介寛浩”──その奇妙な名義で世に送り出された作品は、数年前に刊行されたラノベ『異世界でハーレム築いたら寿命が減った件』。
粗野で下品で、おまけに挿絵がギリギリを攻めた表現だったせいで、たびたび自主回収騒ぎにすらなった問題作。
だが、その売り上げはすさまじく──
寛浩は一躍、業界で“問題児にしてヒット請負人”と呼ばれるようになった。
そして──
その代償として、“命”を削った。
「……また、便器が……真っ赤だ……」
ふらつく足でトイレのフタを閉じた彼は、まるで日課のように血に染まったティッシュを丸めて、ごみに放り投げた。
三日連続。もう驚きはなかった。
座りっぱなしの執筆。夜食のスナック菓子。睡眠は平均1.5時間。
毎月3冊同時連載。ネーム、構成、加筆、校正、リテイク。
編集は言った。
──「先生、命かけて書いてるって、伝わってきますよ!」
「……お前が言うなよ……」
ぽつりと呟いて、寛浩は机に戻る。
ディスプレイの光が、夜を照らしていた。
まるで、死後の世界の門前灯みたいに。
「寛浩先生、例の“児童書”の件、ぜひお願いします!」
編集が、電話口で明るく言った。
「今度の企画、“うんちで世界を救う冒険もの”なんです!」
「……は?」
寛浩の心が折れたのは、実はこの瞬間だったかもしれない。
「いや、いやいや……俺はもう、うんちとか、そういうので笑える年齢じゃ──」
「でも先生、“排泄”って命に直結してますよね?先生なら、絶対そういう“汚くて尊い”テーマ、描けると思って!」
言葉の刃が、静かに腸を刺す。
彼はその瞬間、便意を催した。
いや──それは便意ではなかった。
**“命意”**だった。
──その夜。
彼は原稿の上に突っ伏し、椅子から崩れ落ちるように倒れた。
筆圧の跡が、原稿用紙の上にぽつぽつと赤く滲んでいた。
血だった。
肛門からの出血。
過労、脱水、潰瘍、切れ痔、慢性疾患の複合。
あまりに雑な生き方を、身体が止めようとしたのだ。
視界が暗くなる中で、彼はぼんやりと、便器を見た。
まるで光り輝く神殿のようだった。
「……あそこに……還るのか……?」
意識は、ゆっくりと深く沈んでいった。
原稿も、書きかけの台詞も、スマホも、SNSも、書店ランキングも──
すべてが流れていく。
彼の最期の言葉は、ひとことだけだった。
「うんちって……命なんだよな……」
その言葉と共に、光が訪れた。
──そして、目を覚ました。
そこは土の中だった。
ほんのり温かく、やわらかく、そしてほんのすこし、くさい。
いや、違う。
これはくさいのではない。
芳醇だった。
濃密な発酵の香り。命の終わりと始まりが溶け合った、土と排泄物の混じる“再生の香”。
彼は、這い出るようにして地表に顔を出す。
六本の脚を動かしながら、ぬるりと泥の中から現れた。
「──俺……生きてる……?」
空は黄金色だった。
草木は幾何学のように整い、周囲には無数の虫たちがうごめいていた。
だが、なにより目を奪ったのは──
目の前に転がっていた、巨大な“うんち”だった。
直径50センチはあろうかという、完璧な球体。
湿りすぎず乾きすぎず、崩れぬ強度とほどよい艶を兼ね備えた、美しいうんち。
その光景を前にして、寛浩──いや、彼はもう人間ではなかった。
小さな虫となった彼の心が、震えた。
「……なんて、神々しい……」
一歩、近づく。
もう一歩、手を──いや、脚を伸ばす。
触れた。そのとき。
脳内に、声が響いた。
《ようこそ、フン界へ──聖なる転がし手よ》
その声は、やさしくもあり、どこかくすぐったい。
便意を我慢してるときに感じる、あの“耐える快感”に似ていた。
彼は、うんちを見上げた。
こんなにも美しく、温かく、堂々としていて、そして命を感じさせるものを、彼は知らなかった。
「書く必要なんて、なかったのかもしれない……」
「だって、ここにある……この球こそが……物語だ……」
彼は、うんちを転がし始めた。
まるで、ペンを走らせるように。
まるで、命を紡ぐように。
世界が、まわり始めた。
うんちと共に。
──それが、“フンコロガシとしての第1歩”だった。
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