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第二章 光となる人
第16話 甘く優しい本当の理由
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定時である17時の時計を見て、私はパソコンの電源を落とした。
一日中、感情が忙しすぎて、頭の中がぼんやりしていた。
今日の私に、残業する気力は1ミリたりとも残っていない。
誰とも目を合わせないまま席を立ち、そのまま会社を出て家に向かって歩き出した。
_/_/_/_/_/_/
駅に着いて、改札へ向かおうとしたときだった。
「茉莉」
聞き慣れた声がして、足が止まる。
振り返ると、少し息を切らした柊真さんが、こちらに向かって走っていた。
「美味しいもの、食べに行こ」
答えるより先に、彼が続ける。
走ってきた彼の眉を下げた笑顔と、その温かい言葉に、ずっと張りつめていた心が、ようやく区切られた気がした。
_/_/_/_/_/_/
連れて行かれたのは、柊真さんの行きつけだというレストランだった。
ゴージャスな派手さはないけれど、背筋が伸びるような落ち着いた雰囲気。
案内された席は、窓際に並んで座る半個室だった。
外の夜景だけが見える空間に、少しだけ肩の力が抜ける。
「ここ、静かでいいでしょ」
「……はい。素敵です」
慣れたように注文をする柊真さんをぼんやりと眺めているうちに前菜とドリンクが運ばれてきた。
照明は柔らかく、料理の盛り付けも上品で、今日の会社での出来事が遠い記憶みたいに感じられた。
「どう? 食べられそう?」
「はい。すごく美味しそうです」
そう言うと、柊真さんは少しだけ笑った。
「良かった。無理させてたらどうしようと思ってた」
隣から私の顔を覗き込む彼に、私は驚いて少し身を引いた。
「そんなわけない、ずっと助けてもらってばかりです」
思ったよりずっと小さい声で心の奥を伝える。
やけにうるさい胸の音に、私はぎゅっと手のひらを握りしめた。
——ああ、もう。
何度も何度も、自分に言い聞かせ誤魔化し続けてきたけれど、もう認めざるを得ないところまで来てしまっていた。
困った時、辛い時、ヒーローみたいにかけつけて甘やかしてくれる彼に。
私はもう、まんまと惹かれ始めている。
「本当?」
じっと見つめられて、胸の鼓動が益々大きくなる。
視線を合わせたら、きっと顔に全部出てしまうだろう。
私は慌てて目を逸らし、俯いた。
その様子をきっと私が落ち込んでいるのだと受け取った柊真さんは静かに距離を詰めた。
腕を引かれた。
ふわりと、体温が近づいて、落ち着かなくなる。
「……今日は、いろいろあったもんな」
そう言って、頭の上に手が置かれる。
ぽん、ぽん、と落ち着かせるみたいに撫でられて、心臓が壊れそうだった。
こんなのこれまでもたくさんあったのに。
安心する手のひらだって思っていたのに。
……自覚って怖い。
京介のことだって、よくよく考えてみれば、思い出す日が減っていた。
柊真さんはそんなこととは知らずに、私を心配するように、静かに抱きしめたまま、頭を撫でてくれていた。
_/_/_/_/_/_/
美味しい料理と、心地よいアルコールの力を借りて、私は、彼の肩にそっと頭を預けていた。
心地よい温度の中、小さな声でぽつりと尋ねる。
「……ずっと不思議なんです。どうして、こんなにしてくれるのか」
頭への振動で、柊真さんがこちらへ視線を向けたことが分かる。
彼は、静かなトーンで回答を口にした。
「俺は、茉莉に笑っててほしいだけだよ」
あまりにも迷いのない答えに、余計に分からなくなる。
ボロボロなところばかり見せているから、同情されているだけなのかもしれない。
そう思おうとしても、いくら同情したってここまで優しくできるものだろうかと、別の私が否定する。
考えようとした頭を、回ってきたアルコールがやわらかく鈍らせて、私は深く考えることを放棄した。
そっと手を伸ばすと、何も言わずに握り返してくれる。
その温もりに、無邪気に「幸せだ」と感じてしまう自分が、少し怖くなった。
——やっぱり、何か返さないといけない。
体を起こして、彼の顔を見つめる。
「私、助けてもらってばかりで……でも、本当に嬉しいから。
だから、私も何か……柊真さんに返したい」
まっすぐ伝えると、彼はロックグラスを口に運びながら、静かにこちらを見つめた。
その横顔が、妙に色っぽくて、目を逸らせなくなる。
「柊真さんは、何が好きなんですか。何を、求めてるんですか?私に……できることはありますか?」
深い瞳に飲み込まれてしまわないように、私は質問を重ねた。
少しの沈黙の後、ほんの一瞬だけ、彼の瞳の奥が冷たくなった気がした。
けれど驚く間もなく、彼はいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべる。
「茉莉が幸せになってくれることが、俺の願い」
——どういうこと?
とても優しいその言葉は、彼の内側を何ひとつ教えてはくれなかった。
この人は、何を考えているんだろう。
何を抱えて、何を欲しがって、どこまでが本音なんだろう。
どんどん分からなくなっていって、私は途方に暮れた。
だけど本当は——彼の一瞬の冷たい瞳に驚いて。
踏み込んだ先が怖くなって、逃げてしまったのだと思う。
_/_/_/_/_/_/
第16話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!
日々、しおりの動きを無邪気に喜んでいます。
第二章も中盤となりました。
次回もぜひよろしくお願いいたします。
一日中、感情が忙しすぎて、頭の中がぼんやりしていた。
今日の私に、残業する気力は1ミリたりとも残っていない。
誰とも目を合わせないまま席を立ち、そのまま会社を出て家に向かって歩き出した。
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駅に着いて、改札へ向かおうとしたときだった。
「茉莉」
聞き慣れた声がして、足が止まる。
振り返ると、少し息を切らした柊真さんが、こちらに向かって走っていた。
「美味しいもの、食べに行こ」
答えるより先に、彼が続ける。
走ってきた彼の眉を下げた笑顔と、その温かい言葉に、ずっと張りつめていた心が、ようやく区切られた気がした。
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連れて行かれたのは、柊真さんの行きつけだというレストランだった。
ゴージャスな派手さはないけれど、背筋が伸びるような落ち着いた雰囲気。
案内された席は、窓際に並んで座る半個室だった。
外の夜景だけが見える空間に、少しだけ肩の力が抜ける。
「ここ、静かでいいでしょ」
「……はい。素敵です」
慣れたように注文をする柊真さんをぼんやりと眺めているうちに前菜とドリンクが運ばれてきた。
照明は柔らかく、料理の盛り付けも上品で、今日の会社での出来事が遠い記憶みたいに感じられた。
「どう? 食べられそう?」
「はい。すごく美味しそうです」
そう言うと、柊真さんは少しだけ笑った。
「良かった。無理させてたらどうしようと思ってた」
隣から私の顔を覗き込む彼に、私は驚いて少し身を引いた。
「そんなわけない、ずっと助けてもらってばかりです」
思ったよりずっと小さい声で心の奥を伝える。
やけにうるさい胸の音に、私はぎゅっと手のひらを握りしめた。
——ああ、もう。
何度も何度も、自分に言い聞かせ誤魔化し続けてきたけれど、もう認めざるを得ないところまで来てしまっていた。
困った時、辛い時、ヒーローみたいにかけつけて甘やかしてくれる彼に。
私はもう、まんまと惹かれ始めている。
「本当?」
じっと見つめられて、胸の鼓動が益々大きくなる。
視線を合わせたら、きっと顔に全部出てしまうだろう。
私は慌てて目を逸らし、俯いた。
その様子をきっと私が落ち込んでいるのだと受け取った柊真さんは静かに距離を詰めた。
腕を引かれた。
ふわりと、体温が近づいて、落ち着かなくなる。
「……今日は、いろいろあったもんな」
そう言って、頭の上に手が置かれる。
ぽん、ぽん、と落ち着かせるみたいに撫でられて、心臓が壊れそうだった。
こんなのこれまでもたくさんあったのに。
安心する手のひらだって思っていたのに。
……自覚って怖い。
京介のことだって、よくよく考えてみれば、思い出す日が減っていた。
柊真さんはそんなこととは知らずに、私を心配するように、静かに抱きしめたまま、頭を撫でてくれていた。
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美味しい料理と、心地よいアルコールの力を借りて、私は、彼の肩にそっと頭を預けていた。
心地よい温度の中、小さな声でぽつりと尋ねる。
「……ずっと不思議なんです。どうして、こんなにしてくれるのか」
頭への振動で、柊真さんがこちらへ視線を向けたことが分かる。
彼は、静かなトーンで回答を口にした。
「俺は、茉莉に笑っててほしいだけだよ」
あまりにも迷いのない答えに、余計に分からなくなる。
ボロボロなところばかり見せているから、同情されているだけなのかもしれない。
そう思おうとしても、いくら同情したってここまで優しくできるものだろうかと、別の私が否定する。
考えようとした頭を、回ってきたアルコールがやわらかく鈍らせて、私は深く考えることを放棄した。
そっと手を伸ばすと、何も言わずに握り返してくれる。
その温もりに、無邪気に「幸せだ」と感じてしまう自分が、少し怖くなった。
——やっぱり、何か返さないといけない。
体を起こして、彼の顔を見つめる。
「私、助けてもらってばかりで……でも、本当に嬉しいから。
だから、私も何か……柊真さんに返したい」
まっすぐ伝えると、彼はロックグラスを口に運びながら、静かにこちらを見つめた。
その横顔が、妙に色っぽくて、目を逸らせなくなる。
「柊真さんは、何が好きなんですか。何を、求めてるんですか?私に……できることはありますか?」
深い瞳に飲み込まれてしまわないように、私は質問を重ねた。
少しの沈黙の後、ほんの一瞬だけ、彼の瞳の奥が冷たくなった気がした。
けれど驚く間もなく、彼はいつもと同じ穏やかな笑みを浮かべる。
「茉莉が幸せになってくれることが、俺の願い」
——どういうこと?
とても優しいその言葉は、彼の内側を何ひとつ教えてはくれなかった。
この人は、何を考えているんだろう。
何を抱えて、何を欲しがって、どこまでが本音なんだろう。
どんどん分からなくなっていって、私は途方に暮れた。
だけど本当は——彼の一瞬の冷たい瞳に驚いて。
踏み込んだ先が怖くなって、逃げてしまったのだと思う。
_/_/_/_/_/_/
第16話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!
日々、しおりの動きを無邪気に喜んでいます。
第二章も中盤となりました。
次回もぜひよろしくお願いいたします。
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