フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ

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第二章 光となる人

第15話 ずるい人

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 会議室を出てフロアに戻ると、空気がどこかざわついているのが分かった。

 耳に入ってくるのは、ひそひそとした声。

「……また木崎さんが部長を怒らせたらしいよ」

「前もあったよね。資料の準備不足とかで」

 その内容に、足がわずかに止まる。

「今回はイベントの数字が違ってたんでしょ」

「村上さんも大変だよね。フォローに回って」

 視線が、刺さるような気がして私はぎゅっと俯いた。

 聞こえないふりをしようとしても、鋭い言葉は逃すことなく私の耳に入ってくる。

 少し離れたところで、村上さんの声が聞こえた。

「こちらで確認して、木崎さんに直させますので」

 責任を押し戻すその一言が、私の心に刃物を突き刺す。

 こんな場面、これまでも何度もあったはずだ。

 そのたびに、心を凍らせてやり過ごしてきたのに。

 ーーどうしてこんなにも……。

 情けなく、目頭が熱くなっていくのを止められなくて、私は踵を返してフロアを出た。

 階段をかけ登り、利用頻度の少ない資料室に逃げ込む。

 ドアを閉めた瞬間、張りつめていたものが途切れたように大粒の涙が溢れだした。

「……っ」
 こんな風に会社で泣いてしまうのは、本当に久しぶりのことだった。

 悔しい。
 辛い。
 苦しい。

 胸の奥がいっぱいになって、息がうまくできない。

 今までずっと心を殺してきた。

 感じないふりをして、耐えてきた。

 それが、自己防衛のためだったことを今になって初めて自覚する。

 だって今回は。
 自分の力で成長したいと思ってしまっていたから。

 ——だから、こんなにも、苦しい。

 息が苦しくなってどうしようも無い絶望に呑み込まれる中、私の心に浮かんだのは柊真さんの腕の温かさだった。

「……あはは、なんで……」

 私は、ペタンと床に座り込んで、また涙を落とした。


_/_/_/_/_/_/


 何分経っただろう。

 いつまで経っても止まることを知らない涙と苦しい感情に、肺が悲鳴をあげそうになっていた頃。

 ドアが、静かにノックされた。

 ……今日に限って。

 開けられる前に奥へと移動しようとするものの、それよりも早く扉は開かれ、私の目の前に大きな影が落ちた。

「茉莉」

 聞こえた優しい声に、私の胸は再び大きく震える。

 顔を上げるより先に、彼の大きな腕に包み込まれた。

「……ずる、いです……っ」

 泣き疲れた肺が邪魔をして上手く喋れないまま、私は続けた。

「なんでこんなときばっかり、来てくれるの」

 ポロポロと床に雫を落とす私を、柊真さんは強く引き寄せて頭ごと抱き抱える。

「ほんとに、放っておけないよね」

 頭の上で、小さく息をつく音がした。

「概要は聞いた。茉莉には何も非はないよ。頑張ってたことは、坂本さんも分かってる」

 背中を撫でる手が、ゆっくりと呼吸を整えてくれる。

 私はしばらく、彼の腕の中で泣き続けた。


_/_/_/_/_/_/


「すみません、柊真さんもお忙しいのに……」

 少し時間が経ち、冷静を取り戻しつつある私は、ゆっくりと彼から身を離した。

 まだ胸の奥は苦しいし、ちょっとでも気を抜けば涙は溢れ出すけれど、いつまでもこのままという訳にはいかない。

「全然大丈夫だけど、そうだね。気になることもあるし、じゃあ先に戻ってるよ」

 柊真さんは、ポンポンと優しく私の髪に触れてから、赤くなった目元を指先で辿った。

「落ち着いたら、戻っておいで。大丈夫だから」

 温かい言葉にほんの少しだけ安心する。

 大丈夫と言われたって、戻ればまたたくさんの非難や厳しい意見が耳に入ることは分かってる。

 でも、柊真さんが分かってくれてるのなら、私は、頑張れるのかもしれない。

 そう思わせてくれる彼の優しさはやっぱり不思議だった。

「ありがとうございます」

 小さく呟くと、柊真さんは優しく微笑んで、先に資料室を出ていった。


_/_/_/_/_/_/


 赤くなった目元をメイクでごまかした私は、深呼吸をしてフロアに戻った。

 扉を開けた瞬間に、一瞬静まったフロアの居心地はすこぶる悪い。

 私は意識的に音を拾わないように、早足で自分の席に着いて、パソコンを開いた。

 けれど、席に着いた途端、待っていたように坂本さんに声をかけられた。

「……ごめんね、木崎さん」

 唐突なその言葉に、思わず驚いて顔を上げる。

 しまった……。

 泣いたのがバレないようにずっと俯いていようと思っていたのに。

 坂本さんは私と目を合わせて、申し訳なさそうに表情を暗くした。

「木崎さんはあんなに頑張ってくれたのに。でも、大丈夫。みんな、もう分かってるから」

「……え?」

 不思議に思って、坂本さんの視線の先を追う。

 そこには、村上さんと部長、それに上の役職の人たちが集まっていた。

 藤堂さんも、その輪の中にいる。

 村上さんは肩をすくめるように立っていて、部長から厳しい言葉を浴びせられているのが、遠目に分かった。

「データの管理の担当が村上さんだった事をちゃんと伝えたから。部長も木崎さんに悪かったって言ってた」

 驚きながらその様子を見ていると、横から椅子を引く音がして、夏目さんが顔を近づけてきた。

「大変だったみたいですね」

 声は潜めているけれど、目には隠しきれないきらきらを纏った彼女は椅子のキャスターを転がして私の隣までやってきた。

「木崎さんが出ていったあと、藤堂さん、すごかったんですよ」

「え?」

「……夏目さん」

 坂本さんが静かに止めに入る。

「いいじゃないですか!」

 けれど、夏目さんは無邪気に続けた。

「部長のところに、ものすごい剣幕で行って『データ元の責任と、資料作成の責任は違います』って」

 胸が、どくんと鳴る。

「『これまでデータを管理してきた人の元データが間違っていたら、それを資料に落とすのは無理だと思います。そこの管理は見直したんですか』って、かなり詰めてました」

 絶妙に似ている真似を披露する夏目さんに、坂本さんが苦笑しながら頷く。

「……俺があの場で言うべきだったんだけどね。藤堂さんには、本当に頭が上がらないよ。木崎さんにも申し訳ない」

 視線の先では、村上さんが完全に立場を失っているのが見えた。

 その向かいで真剣な表情をして立つ柊真さんに、胸が苦しくなる。

 自分の誤解が解けた安堵よりもずっと大きな感情が胸に込み上げていた。

 ああ、もう。

 本当にずるい人。

 特別になんて、してくれないくせに。

 ひとりじゃ立てなくなってしまうくらいに、とことん私を甘やかす彼に。

 溺れてしまわないようになんて思っても、もう遅かったのだ。


_/_/_/_/_/_/


第15話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
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次回もぜひよろしくお願いいたします。
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