フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ

文字の大きさ
21 / 48
第二章 光となる人

第20話 特別のあった過去

しおりを挟む
 彼女の部屋は、相変わらず散らかっていた。

 誰だって、心のゆとりがないタイミングは片付けになんて気が回らない。

 床に散乱したメイク道具や服には触れず、俺は膝を抱えて丸まっている彼女の隣に腰を下ろした。

「はい。華の好きな苺スイーツ」

「……柊真くん……!」

 コンビニの袋を置くと、彼女は少し顔を上げて、勢いよく俺の首に腕を回した。

 少し前に知り合った彼女は、ふわふわとした小動物のような女の子。

 一見明るく、人懐っこい見た目をしているけれど、その恋愛模様はなかなかに拗れているようで。

「また喧嘩したの?」

「だって、思いっきりリップがついてたの。本当最悪」

 そう言いながら俺の胸にすり寄る彼女も似たようなものだろうに。

 不安で愛されたくて仕方がない。

 そんな彼女の心を安心させるように、ぎゅっと抱きしめた。

 見慣れてしまった泣き腫らした目がじっとこちらを見つめる。

「柊真くんが来てくれると安心するの。いつもごめんね」

 弱々しくそう言う彼女に俺は何も言わず、抱き寄せる手を弱める。

 すると、自由になった体を起こした彼女は、ちゅっと俺にキスをした。

 拒むことはしない。

 辛さを抱える彼女の逃げ場として、必要なときだけ呼ばれる場所としてここにいることが、俺の存在意義なのだから。

 彼女の呼吸が落ち着き、すーっと眠りに落ちたのを確認して、ふと、窓の外に目を向ける。

 暗い空に、まばらに瞬く星。

 その光景が、胸の奥にしまい込んでいた記憶を、静かに呼び起こした。

 忘れようとしても、忘れられない。

 数年前の、あの雨の夜。

 ——あのときの俺は自覚もなく、最低だった。

 記憶がゆっくりと思い出され、俺を過去へ引きずり戻していく。


_/_/_/_/_/_/


 駅前の薄暗い街灯の下、俺は傘を差して立っていた。

 冷たい雨が地面を濡らし、水たまりが波を打つのをぼんやりと眺める。

 少し経って、見慣れたコートに身を包んだ彼女の姿が、遠くに見えた。

「待たせた?」

 その日の沙織の表情には疲れと覚悟が入り混じっていたと思う。

 雨音にかき消されそうな小さな声に違和感を感じなかったわけではないけれど。

「全然、大丈夫だよ」

 いつも通りのつもりで、俺は穏やかな笑顔を作った。
 だけど、沙織はじっと俺を見つめたまま、視線を外そうとしなかった。

「ねえ、柊真」

 立ち止まった彼女が、はっきりと口にした。

「別れよっか」

 それは、俺にとっては突然の出来事で。

 そのまっすぐな瞳に、思わず一歩下がってしまうほど衝撃的な言葉だった。

「ごめん、理由って教えてもらえる?」

 小指程度の冷静さをかろうじて残して尋ねると、沙織は目を伏せ、一度深呼吸をしてから顔を上げた。

「柊真の優しさって、残酷なの」

 雨音だけが耳に響く中で、その言葉が胸に深く刺さる。

「それは……どういう意味?」

 額に自然と皺が寄るのを感じながら、俺は問い返した。

「柊真は、本当に、誰にでも優しいよね」

 彼女の言葉には、寂しさが滲んでいた。

「困っている人を助けたり、悩んでいる人の話を親身に聞いたり……。誰かが助けを求めれば、柊真は必ず助けにいく。それって本当に素敵なことだと思う」

 褒められているのに、グサグサと突き刺される感覚が痛い。

「でも、私にはそれが怖いの」

 沙織は下がり気味だった傘を上げて、真っ直ぐ俺を見つめる。

「誰にでも手を差し伸べるし、どんな相手にも同じように優しい。その優しさが……私を特別だとは思わせてくれない」

 俺は何も言えなかった。

「もちろん、柊真が悪いわけじゃないよ。でも……どれだけ甘えたくても誰にでもできる優しさで包まれると、自分が特別じゃないって思っちゃうの」

 彼女の瞳に浮かんだ涙が、街灯の光にかすかに輝く。
 俺が流させてしまったその涙を拭わせてもらえない事実に、胸が締め付けられた。

「柊真はさ、私だけのために優しくなることってできる?」

 彼女が求めている言葉を言おうとしたけれど、喉が詰まったように声が出なかった。

 できないと、思ってしまったのだ。

 言ってほしいことややってほしいことは、手に取るように分かるのに。
 いつもなら、簡単にその気持ちに寄り添うことができるのに。

 俺は付き合っている彼女に対してだけ、寄り添うことができなかった。

 無言の俺に、沙織は肩を落とし、つぶやいた。

「これ以上一緒にいると、私は自分が嫌いになりそう。だから、もう終わりにしたい」

 小さな声で沙織が告げた言葉は、雨の音に溶け込みそうなほどだった。

 彼女は微笑んでいた。

 けれど、その微笑みはひどく痛々しく、俺の胸を締め付ける。

「待って、沙織」

「ごめんね、柊真。あなたに必要な人になれなかった私が悪いの」

 揺らがない意志を持った彼女の瞳は、あまりにも美しかった。

 雨の中、遠ざかるその姿がやがて街灯の影に溶けて消えていっても、俺はその場から動けなかった。

 分け隔てない優しさが誰かを傷つけてしまうことがあるなんて、それも一番身近な人をこんなにも傷つけることになるなんて、その時までは、想像もしていなかったのだ。


_/_/_/_/_/_/


 あの雨の夜の記憶が、まるで昨日のことのように蘇る。

 俺は目の前で安心したように寝息を立てる華に視線を落とした。

 涙が乾いたあとがうっすら残る頬に優しく触れながらぼんやり考える。

「特別な人を作ったら、俺はその人を泣かせることになる」

 ぽつりと零れた言葉が、静かな部屋の中に沈んでいく。

 困っている人を見かければ、つい手を差し伸べてしまうこの性分は、俺にとって生まれつきのものだった。

 だからこそ、それをやめられる自信は最初からない。

 それが例え、一番大切だと思った彼女の願いだったとしても。

 行き着いた先は、俺は特別な人を作ってはいけない人種なんだという結論だった。

 誰か一人に深く踏み込まなければ、誰も傷つけずに済む。
 都合のいい人間だと、思われても構わなかった。

 ーーなのに、ここ最近の俺は。

 華を起こさないようにベッドから降りて部屋を出る。

 冷たい夜の風とは裏腹に、心の中にはたったひとりの存在が焼き付いて離れない。

「引越しか……」

 本当は、彼女への思いが、少しだけ自分が選ぶべき道から踏み出してしまっていることにも、気づいている。

 好意に気づいても、応えたいと思っても、俺は彼女の隣にいることを選ぶことはできない。
 その先には、彼女を傷つける未来があるように感じられてしまうから。

「幸せになってくれればいいんだ。そのために俺といてはいけない」

 彼女を大切に思うからこそ、隣にいることはできない。

 俺が手を伸ばせば、茉莉の人生まで巻き込んでしまうかもしれない。

 それが怖くて、俺は今日も、都合のいい場所に立ち続けていた。


_/_/_/_/_/_/


第20話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!

次回もぜひよろしくお願いいたします。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!

楓乃めーぷる
恋愛
 見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。  秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。  呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――  地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。  ちょっとだけ三角関係もあるかも? ・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。 ・毎日11時に投稿予定です。 ・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。 ・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

偽装結婚を偽装してみた

小海音かなた
恋愛
「家借りるときさぁ、保証人が必要だと困るとき来そうで不安なんだよね」 酒の席で元後輩にそんなことをグチったら、旦那ができました――。 降って湧いたような結婚話を承諾したら、そこにはすれ違いの日々が待っていた?! 想いを寄せている相手の気持ちに確信が持てず、“偽装”を“偽装している”夫婦のモダモダ遠回り生活。 苦くてしょっぱくて甘酸っぱい、オトナ思春期ラブストーリー第2弾。 ※毎日19時、20時、21時に一話ずつ公開していきます。

会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)

久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。 しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。 「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」 ――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。 なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……? 溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。 王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ! *全28話完結 *辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。 *他誌にも掲載中です。

【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~

蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。 嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。 だから、仲の良い同期のままでいたい。 そう思っているのに。 今までと違う甘い視線で見つめられて、 “女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。 全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。 「勘違いじゃないから」 告白したい御曹司と 告白されたくない小ボケ女子 ラブバトル開始

わたしの愉快な旦那さん

川上桃園
恋愛
 あまりの辛さにブラックすぎるバイトをやめた。最後塩まかれたけど気にしない。  あ、そういえばこの店入ったことなかったな、入ってみよう。 「何かお探しですか」  その店はなんでも取り扱うという。噂によると彼氏も紹介してくれるらしい。でもそんなのいらない。彼氏だったらすぐに離れてしまうかもしれないのだから。  店員のお兄さんを前にてんぱった私は。 「旦那さんが欲しいです……」  と、斜め上の回答をしてしまった。でもお兄さんは優しい。 「どんな旦那さんをお望みですか」 「え、えっと……愉快な、旦那さん?」  そしてお兄さんは自分を指差した。 「僕が、お客様のお探しの『愉快な旦那さん』ですよ」  そこから始まる恋のお話です。大学生女子と社会人男子(御曹司)。ほのぼのとした日常恋愛もの

愛してやまないこの想いを

さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。 「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」 その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。 ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。

「君はいらない」と捨てられた夜、天敵の冷徹社長に「なら、俺が貰う」と拾われました。――手を出さない約束でしたが、彼の理性が限界のようです

白山 乃愛
恋愛
【婚約破棄から始まる、不器用なライオン(冷徹社長)の猛烈な求愛!】 「俺の妻になるなら覚悟しろ。……もう、指一本逃がすつもりはない」 ★あらすじ★ 「美月は完璧すぎて、可愛げがないんだよ」 28歳の誕生日。 一流ホテルのウエディングプランナーである相沢美月(あいざわ みつき)は、婚約者の裏切りにより、結婚目前ですべてを失った。 雨の降る路地裏。 ヒールも折れ、心も折れてうずくまっていた美月の前に現れたのは、かつての高校時代の天敵であり、現在は勤務先の冷徹な社長 一条蓮(いちじょう れん)だった。 「捨て猫以下だな」 そう憎まれ口を叩きながらも、彼は泥だらけの美月を躊躇なく抱き上げ、最高級ペントハウスへと連れ帰る。 そして、彼が突きつけたのは、あまりにも強引な提案だった。 「住む場所がないなら、俺の家に来い。その代わり――俺の『婚約者』役を演じろ」 利害の一致した契約関係。 条件は「お互いに干渉しないこと」、そして「決して手を出さないこと」。 ……のはずだったのに。 「髪、濡れたままだと風邪を引く」 「あんな男のために泣くな。顔が台無しだ」 同居生活で見えてきたのは、冷徹な仮面の下に隠された、不器用すぎるほどの優しさと独占欲。 美月が作った手料理を誰よりも美味しそうに食べ、元婚約者が復縁を迫ってくれば「俺の女に触れるな」と徹底的に排除する。 天敵だったはずの彼に守られ、凍っていた美月の心は次第に溶かされていく。 しかし、ある雷雨の夜。 美月が不用意に彼に触れた瞬間、一条の理性のタガが外れてしまい――。 「……手を出さない約束? 撤回だ」 「そんな無防備な顔で見つめて、何もしないでいられるほど、俺は聖人君子じゃない」 10年越しの片思いをこじらせたハイスペック社長 × 仕事熱心で恋愛に臆病なプランナー。 契約から始まった二人の関係が、本物の愛(溺愛)に変わるまで。 元婚約者への痛快な「ざまぁ」も収録した、極上の大人のシンデレラストーリー! 【登場人物】 ◆相沢 美月(28) ホテルの敏腕ウエディングプランナー。真面目でお人好しな性格が災いし、「つまらない女」と婚約破棄される。実は家事万能で、酔うと少しだけ甘えん坊になる(本人は無自覚)。 ◆一条 蓮(28) ホテルグループの社長。美貌と才覚を併せ持つが、他人に興味を示さないため「氷の貴公子」と呼ばれる。実は高校時代から美月を一途に想い続けており、彼女のこととなると冷静さを失う。

処理中です...