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第二章 光となる人
第19話 気づかないふり
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一人で過ごすことが当たり前だった俺の生活に、同居人が加わってから一ヶ月。
日常はすっかり落ち着いたはずなのに、心の奥には、説明のつかない違和感が芽生え始めていた。
彼女に声をかけたのは、いつものお節介だった。
ただ困っている人を放っておけない性分が、彼女に手を差し伸べただけ――。
それ以上の意味なんてなかったはずだ。
元々特別なものを作れない俺は、困っている人を放っておけない性分ではあるけれど、手を差し伸べるのは求められている範囲に限っている。
必要以上に踏み込むことは、してはいけないことだと思ってきた。
だけど、ここ最近の自分はどこかおかしい。
彼女が理不尽に扱われているのを見ると、腹が立つ。
助けを求められたわけでもないのに、「大丈夫か」と声をかける前に、体が動いてしまうことが、何度かあった。
関わる人みんなに漠然と思う『幸せになってほしい』という願いが、彼女に対してだけは、『自分が幸せにしたい』に重なっていくような。
そんな違和感が、俺の脳裏にこびりつく。
抱いてはいけない感情だと、分かっているのに。
_/_/_/_/_/_/
風呂から上がると、リビングに灯りがついていた。
珍しく友人と飲みに行くと言っていた茉莉が帰ってきたんだろう。
「おかえり。帰ってたんだ」
そう声をかけながら扉を開けると、茉莉の後ろ姿が不自然にはねるのがわかる。
不思議に思って近づけば、テーブルの上に広げられている紙が目に入った。
広げられていたのはマンションの間取りが書かれたビラだった。
全てが見えるように一枚一枚広げられたたくさんの紙に、一瞬、思考が止まった。
「引っ越すの?」
声に驚きが混じってしまった気がする。
俺は、少し後悔して、誤魔化すようにタオルで濡れた髪に触れた。
茉莉は、慎重に言葉を選んでいるように見えた。
「柊真さんのおかげで、だいぶ、落ち着いてきましたし……そろそろ準備をしてもいいのかなって」
一度視線を落としたあと、柔らかく口角をあげてこちらをふんわりと見つめる。
その表情は、本心を隠すときの、彼女の癖だと分かっている。
——まあ、それがいいよな。
そう思うのと同時に、胸の奥で言葉にならないものが引っかかり、俺は黙り込んだ。
向けられている好意に気が付かないほど、俺はもう若くない。
最近の茉莉からはなんとなく、そんな好意を感じていて。
だからこそ、俺といることを選ばなかったのは、彼女にとって英断だと思う。
『茉莉に、幸せになってほしい』
いつだったか彼女に伝えたそれは、紛れもなく俺の本音だったから。
「そっか」
頷いて、いつも通りの距離感を保つ。
「決まったら教えて。準備、手伝うし。男手も必要だろうから」
それが、今の俺にできる精一杯だった。
ほんの少し、茉莉が寂しそうな顔をしたことには気づかないふりをする。
——いかないで。
言ってほしいことはわかるけれど、きっとそれは、言うべきじゃない。
少しの沈黙のあと、茉莉は小さく言った。
「……私、お風呂入ってきます」
逃げるみたいに立ち上がる背中を、何も言わずに見送る。
テーブルに残されたビラを見つめながら、ほんの少し暗く落ちる自身の心を認めようとしたとき。
手元のスマートフォンが、静かに震える。
画面に映った〈華〉という名前を見て、少しだけ目を伏せた。
——やっぱり、俺に彼女を引き止める資格はない。
「はい。どうしたの?」
通話ボタンを押すと自然に上がる声のトーンは、紛れもなく通話先の女性に向けての甘い声だった。
「柊真くん……っ」
すぐに聞こえてくる弱々しい声は、傷ついた心を感じさせる。
「すぐ行くから」
そう伝えると、小さく頷く声が聞こえた。
電話は切らないまま、ジャケットを掴む。
玄関を出るとき、お風呂場のドアが開く音が聞こえたけれど、俺は気付かないふりをして扉を開けた。
_/_/_/_/_/_/
第19話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!
ここまでずっと掴みどころがなかった柊真sideが始まりました。
次回もぜひよろしくお願いいたします。
日常はすっかり落ち着いたはずなのに、心の奥には、説明のつかない違和感が芽生え始めていた。
彼女に声をかけたのは、いつものお節介だった。
ただ困っている人を放っておけない性分が、彼女に手を差し伸べただけ――。
それ以上の意味なんてなかったはずだ。
元々特別なものを作れない俺は、困っている人を放っておけない性分ではあるけれど、手を差し伸べるのは求められている範囲に限っている。
必要以上に踏み込むことは、してはいけないことだと思ってきた。
だけど、ここ最近の自分はどこかおかしい。
彼女が理不尽に扱われているのを見ると、腹が立つ。
助けを求められたわけでもないのに、「大丈夫か」と声をかける前に、体が動いてしまうことが、何度かあった。
関わる人みんなに漠然と思う『幸せになってほしい』という願いが、彼女に対してだけは、『自分が幸せにしたい』に重なっていくような。
そんな違和感が、俺の脳裏にこびりつく。
抱いてはいけない感情だと、分かっているのに。
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風呂から上がると、リビングに灯りがついていた。
珍しく友人と飲みに行くと言っていた茉莉が帰ってきたんだろう。
「おかえり。帰ってたんだ」
そう声をかけながら扉を開けると、茉莉の後ろ姿が不自然にはねるのがわかる。
不思議に思って近づけば、テーブルの上に広げられている紙が目に入った。
広げられていたのはマンションの間取りが書かれたビラだった。
全てが見えるように一枚一枚広げられたたくさんの紙に、一瞬、思考が止まった。
「引っ越すの?」
声に驚きが混じってしまった気がする。
俺は、少し後悔して、誤魔化すようにタオルで濡れた髪に触れた。
茉莉は、慎重に言葉を選んでいるように見えた。
「柊真さんのおかげで、だいぶ、落ち着いてきましたし……そろそろ準備をしてもいいのかなって」
一度視線を落としたあと、柔らかく口角をあげてこちらをふんわりと見つめる。
その表情は、本心を隠すときの、彼女の癖だと分かっている。
——まあ、それがいいよな。
そう思うのと同時に、胸の奥で言葉にならないものが引っかかり、俺は黙り込んだ。
向けられている好意に気が付かないほど、俺はもう若くない。
最近の茉莉からはなんとなく、そんな好意を感じていて。
だからこそ、俺といることを選ばなかったのは、彼女にとって英断だと思う。
『茉莉に、幸せになってほしい』
いつだったか彼女に伝えたそれは、紛れもなく俺の本音だったから。
「そっか」
頷いて、いつも通りの距離感を保つ。
「決まったら教えて。準備、手伝うし。男手も必要だろうから」
それが、今の俺にできる精一杯だった。
ほんの少し、茉莉が寂しそうな顔をしたことには気づかないふりをする。
——いかないで。
言ってほしいことはわかるけれど、きっとそれは、言うべきじゃない。
少しの沈黙のあと、茉莉は小さく言った。
「……私、お風呂入ってきます」
逃げるみたいに立ち上がる背中を、何も言わずに見送る。
テーブルに残されたビラを見つめながら、ほんの少し暗く落ちる自身の心を認めようとしたとき。
手元のスマートフォンが、静かに震える。
画面に映った〈華〉という名前を見て、少しだけ目を伏せた。
——やっぱり、俺に彼女を引き止める資格はない。
「はい。どうしたの?」
通話ボタンを押すと自然に上がる声のトーンは、紛れもなく通話先の女性に向けての甘い声だった。
「柊真くん……っ」
すぐに聞こえてくる弱々しい声は、傷ついた心を感じさせる。
「すぐ行くから」
そう伝えると、小さく頷く声が聞こえた。
電話は切らないまま、ジャケットを掴む。
玄関を出るとき、お風呂場のドアが開く音が聞こえたけれど、俺は気付かないふりをして扉を開けた。
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第19話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
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ここまでずっと掴みどころがなかった柊真sideが始まりました。
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