竹達香守庵綴り

ニャンコろう

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そうろかの章 チョコミント色の嘘⑤

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 今日も今日とてあくびをしながら学校に向かう。

 二日連続の寝不足は晶の身体に堪えていた。
 スマホの目覚まし機能のアラームが鼓膜を直接刺すようにやかましく響く。それでも目を開ける力さえ弱々しい。一歩先の机上で鳴っているのにどこか別世界から届いているようだ。しかしこのまま寝ているわけにもいかない。手足の指先に神経が戻ったことを確かめながら身体を起こしたまでは良かったものの、半開きの目では部屋の輪郭を正確に捉えきれず、アラームを止めるより先に机の角に足の指をぶつける羽目に。痛めた指を両手で抑えながらぴょんぴょん跳んでベッドに倒れ込む。部屋に響くその痛みがくしくも今朝の目覚まし代わりになった。

 昨日の夜の内に、悩み苦しんでいる亜梨紗に寄り添える秘密兵器を鞄に忍ばせていた。これが今の晶にできる精一杯。

 寝る前は掛け布団を琴弧として抱きしめる。この体勢になるとなぜか全身の細胞が準備万端とばかりに役目を全うするようになる。脳は琴弧を想起し、心臓は血液を巡らせて全身を熱くさせる。そのおかげで手足は一番の力強さを発揮できる。いやがうえにも夜が長くなるのだった。

「竹達くん、おっはよう!」

 急に後ろから声をかけられ驚いて振り向く。亜梨紗だ。そして隣には琴弧がいる。

「おはよう。」

 琴弧の声が少々小さい気もする。

「おはよう。今日も一緒なんだね。」

「うん。そこで亜梨紗ちゃんと会ったんだ。」

「僕の方もちょうど良かった。3人で話したいことがあって。」

「話しって何さ、もしかしてここじゃ話せないこと~?」

 亜梨紗はいたずら顔をしている。

「うん、ここじゃちょっとね。だから昼休みに3人で恋寄樹こいよりぎに行こう。」

「えっ恋寄樹⁉」

琴弧と亜梨紗はまるで「どういうこと?」と問いかけるように互いを見やった。

 昼休みになると食堂に行く生徒の波をかき分けて3人は恋寄樹へ足を運んだ。強い陽の光をたっぷり含んだ緑がそよいでいる。大きく広がった枝のおかげで木陰は思いのほか広く心地良い。行き慣れた恋寄樹に自分から誘ったことに少しむず痒さを覚えていた晶だが、はしゃぐ琴弧と亜梨紗の姿に、まるでピクニックに来た気分になり、引率の先生のように静かな笑みを浮かべて2人を見守っていた。
 楽しんでいる2人に、晶はどこか申し訳なさげに神妙な面持ちで口を開いた。

「久慈さん、昨日の昼休みに僕たちに大切な話をしてくれてありがとう。」

「琴ちゃんと竹達くんには話しても良いって思ったんだ。」

「でも僕はその時から大きな勘違いをしてた。」

「勘違い?」

 亜梨紗が不思議そうに聞き返す。

「僕は、久慈さんの好きな人を勝手に決めつけてた。」

「どういうこと?」

「久慈さんの好きな人は三崎くんだと決めつけてたってこと。でも違った。斉藤さんだね。」

 表情を変えない亜梨紗の隣で琴弧は目を丸くして亜梨紗を見る。

「そうだよ。私は遥のことが好き。憧れなんだ。ダンスに打ち込んで、成績も良くて、動きにも華がある。毎日追いかけてる。私の幼馴染み。」

「アイスショップで会った日に、最初に琴弧ちゃんを誘ったのは斉藤さんへのアクセサリーを買うためだよね。」

「うん、付き合いが長いからね。遥のことは何でも知ってるつもり。好きなアクセサリーも、もちろん奏真と付き合ってることも・・・。ただあの日はラッキーだった。琴ちゃんとは行けなかったけど、遥と一緒にいられたから。」

「ラッキー?クラスは違うけどダンス部では一緒だよね?」

「奏真と付き合ってから、私と一緒にいた時間は奏真と一緒にいる時間に置き換わったんだ。だから私は部活の時間だけじゃ足りない。」

「久慈さんのアドバイスのおかげで、三崎くんは斉藤さんと付き合えたんじゃない?」

「多分ね。奏真に嘘を教えてやろうかと思った。だけど出来なかった。だから自分に噓をついてライバルに花を持たせてあげたってわけ。遥は元々、恋愛に興味ないって言ってたけど、段々その気になっていったんだと思う。私が本気で好きになったのは高校に入学してから。文武両道の遥を少し遠くに感じた時に、今までにはない感情が湧き上がったのを今でも覚えてる。」

「拙い言い方だけど、久慈さんはすごく辛かったと思う。でももう自分には噓をつかないで。斉藤さんを好きな気持ちは本当なんだ。自分の本心にだけは向き合って欲しい。本心に蓋をして抑えつけると、いつか久慈さんが久慈さんじゃなくなってしまう。」

「でももうどうすることもできないんだよ。遥とアイスショップに行けた日は嬉しかったけど何だか寂しかった。奏真との約束がなくなったから私が行けた・・・もう優先順位が変わっちゃってるんだなって・・・。だから昨日は諦め方を相談しようと思ってたんだけど、2人と話してる内に申し訳なくなっちゃった。」

「もうそんなことを考えなくても大丈夫。久慈さんは僕たちを信じてくれたから、 力になりたくてそばにいる。」

「私も亜梨紗ちゃんのそばにずっといるよ!」

「琴ちゃんも竹達くんも・・・本当にありがとう。」

「今日は久慈さんにプレゼントを持ってきたんだ。これから3人で久慈さんが幸せになるお祈りをしたい。」

 と言って鞄から用意していた一鉢の香草を取り出す。

「これは想露香草そうろかそう。前に言ってた特殊な力を持った香草なんだ。まだ蕾で香りもない。だけどこれを摘んだ人の想いが香りとなって漂う。」

「摘んだ人の想いが香りとなって・・・?」

「うん、摘む人の想いによって香りが変わるんだ。斉藤さんを思い浮かべながら摘んでみて。」

「遥のことを・・・。」

「摘むってことは奪うことじゃない、本当はね・・・決断するってこと。」

 亜梨紗は甘く穏やかな微笑みを浮かべ、そっと想露香草に手を伸ばし、ためらうことなく摘んだ。蕾の中からほのかな光が漏れ、微かな拍動を繰り返し、呼吸するようにゆっくりと花開いた。

 亜梨紗を中心に、放射状に波打つようにしてじんわりと広がる香りが優しく3人を包み込んでいく。それは決して外界の重荷が交錯した複雑な香りではない。鼻腔を通るのは亜梨紗の一点の曇りもない「好き」だけを凝縮したかのような爽快な香りだ。胸いっぱいに吸い込むたびに身体が浄化されていくほど清々しい。亜梨紗がこれまで流した涙が沁み渡り、しっとりとした潤いを纏っている。やがて香りに包まれた自分たちの時間さえも抱き留められたような静けさが訪れる。そして周囲には亜梨紗が胸の奥に抑え込んできた気持ちが無数の露となって漂い、それぞれの滴に遥の姿が儚く映し出されていた。笑みも、涙も、怒りも、弱さも・・・。すべては亜梨紗が見つめ続けてきた遥だ。すべてはただ「好き」という思いだけで追いかけてきた証だ。

 ありがとう。遥がいてくれたから、今の私がいる。

 亜梨紗はそっと目を閉じる。頬に伝う涙が静かな決意を告げていた。隣にいた琴弧が静かに亜梨紗を抱き締めると、陽の光が当たらない場所で育ててきた気持ちを解放できた亜梨紗の涙は止まり、梅雨が明けた空のように生き生きとした表情が戻っていた。
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