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前世の記憶 ②
しおりを挟むガリアナは元来、母譲りで明るく聡明な子だった。
母が亡くなるまでに簡単な文字は読めるようになっていたし、その記憶を頼りに文字を書くこともできるようになった。しかし、その後直ぐに母が亡くなり乳母に育てられるようになると、絵本を読み聞かせられることはなくなった。
そのため、絵本の中の簡単な単語のみ読み書きができる状態で、自分の複雑な感情を言語化して手紙にすることはできなかった。
ただでさえ母の死に塞ぎ込み、一時的に言葉を発することが極端に減ったガリアナにとって、乳母は“するべきこと”を教えてくれる唯一の指針となった。
乳母も、最初はガリアナを侯爵令嬢として扱い、母を亡くした幼い子どもへの憐れみの感情を持ち合わせていた。そのため、特別優しく接するわけではなかったが、乳母として適切な距離でガリアナに仕えていた。
父や兄と会う機会が減ったガリアナにとって、わずかでも優しさをくれるのは乳母だけだった。
ガリアナがそんな乳母の言葉を信頼するようになるのに時間はかからなかった。
少し時が経ち、ガリアナは父や兄に会いたいと泣くようになった。
この時侯爵は仕事に明け暮れ、ヘルベルトは既に後継者としての教育を受け始めていたため、執務室や図書室にこもりっきりでガリアナの生活圏にはいなかった。
もちろん、乳母が侯爵にガリアナの言うことを伝えていれば、侯爵は家族との時間を作ろうとしただろう。しかしそれが伝わることはなかった。
乳母は既に、侯爵は伝えない限り娘に会おうとはしないと察してしまっていた。
「おとうさまはいつあえるの?」と泣きながら聞いてくるガリアナに対し、乳母は冷酷な言葉を投げつけた。
「お嬢様、よく聞いてください。侯爵様は…お嬢様に、会う気はないと…。私も必死にお頼みしたのですが…申し訳ございません。うぅっ……お可哀想なお嬢様……!」
もし、この乳母の言葉が全て現実に起こった真実だったのならば、慈悲深く寄り添う立派な乳母であっただろう。
だが、全て嘘だ。自身の欲望を嘘で覆い隠して、自分はガリアナの味方だという認識を植え付けたのだ。
幼いガリアナは、優しかった父を、…いや、優しかったからこそ父を、そして乳母を疑うことをしなかった。
「どうして?」と繰り返すガリアナには、「お嬢様がお生まれになった時から奥様は体調を崩しがちになり……。」と、あえて最後を濁して答えた。
その先は言わなくてもわかってしまった。
ガリアナが、聡明な子だったせいで。
むしろ、「お前のせいで奥様が死んだんだ」と全て言葉で言われるよりも、自ら考えて「自分のせいだ」という結論に至ってしまったほうが傷は根深くなる。
自分で自分を罰するほど苦しいことなんて、他にこの世には存在しないのだから。
それからガリアナは、父や兄に会いたいと言わなくなった。
代わりに、家族全員で過ごした穏やかな時間が恋しくなると、母の部屋に出向くようになった。
母のベッドに寝転ぶと、まだ微かに残っている母の香りに包まれる気がして、ガリアナは何度も何度も何度も涙を流した。
けれど、母の香りが薄れないように、涙は決して布団には零さなかった。ドレスや腕がどれだけ濡れても構わなかった。扉は閉まっているから声が外に響くことはないけれど、もし父や兄に聞こえてしまったら迷惑になるからと声を押し殺して泣いた。どれだけ喉が焼けそうに痛くても、呼吸が苦しくなっても、決して声はださなかった。
やがて涙が止まると、泣き疲れてそのまま寝てしまっていた。
乳母はそんな様子を、慰めるでも諌めるでもなく、ただただ部屋の隅から傍観していた。
慰めたって金にはならない。必要なのは同じ部屋に居るという事実のみ。それならば、特に愛着もない子供をわざわざ慰めようという気にはならなかった。
一方ガリアナは、こんな態度の乳母に対し、「気を使って声をかけてこないでいる」と思ってしまうくらいには、乳母の言動をどこか神格化しているようであった。
……ここまでが、母の死からたった3ヶ月のことである。
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