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9.カルナと魔女の血

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「そういえば、なんとお呼びすれば……」

 男に居住館と呼ばれる、例の蔦生い茂る館へ通され、木の椅子に腰を落ち着けたところで、アルマは尋ねた。

「カルナだ。カルナ・アルフォンライン」

 カルナは手近にあった酒瓶を引き寄せたが、思い出したかのように外套を脱ぐ。
 晩秋の冷え込む季節とあって、カルナは外套の下にも、さらに毛皮などを着込んでいた。冷気に晒された頬は血の気を失って、ますます彫刻めいた顔を作り上げている。
 アルマもカルナにならって外套を脱いだ。

 普段ならボロ布同然の服では、室内でも寒さを感じる。けれど居住館の暖炉ではパチパチと音を立てながら盛んに薪が燃えており、墓守小屋より数倍暖かかった。
 アルマにとっては十分すぎるほどに暖かい室内だが、カルナはまだ寒いらしい。脱いだ外套をもう一度着込んで外へ出ると、大量の薪を抱えて戻ってきた。
 薪を足すと、カルナは暖炉の熱が届くところに椅子を寄せて、腰を下ろした。

「酒は?」

 カルナが木机に放り出していた瓶を引き寄せながら言う。
 アルマは、ほとんど酒を飲んだことがない。はるか昔に、母親が飲んでいた、ぶどう酒を一口舐めた程度だ。
 しばらく迷ったあと、断るのも悪いと思い、アルマはぎこちなく頷いた。
 カルナの差し出してきた瓶を受け取り、口を近づけるが、飲むより早くきつい酒の匂いが鼻を刺激する。

 薄く開けた唇に、瓶の口を押しつけ、アルマはひと思いにぐっと飲んだ。
 少し零しながらも、なんとか飲み下した瞬間、舌や喉が焼けるようにカッと熱くなる。飲みきれなかった残りが唇の端を伝う。胃の底が、ぐらぐらと燃えるような感覚がする。

「飲んだことねぇなら、そう言えよ」

 カルナはそう言って、うっすらと笑いながら、アルマの顎を伝い落ちそうな酒を指でぬぐう。
 アルマがひりつくような喉の熱さに戸惑っているうちに、カルナは瓶をひったくり、中身を飲み干してしまった。
 ようやくカルナの顔に血が通いはじめ、頬が上気してくる。

「人間より飢えには強いが、寒さには弱い。冬は特に、常に体を温めていないと、すぐに動けなくなる」

 アルマは動物が冬眠する様子を想像した。竜の血が流れているだけで、人間とは時間の流れも、気温の感じ方も違うらしい。
 カルナはどう見たって二十代そこそこの青年だが、アルマの母親が産まれるよりも、ずっと前から生きて、この砦にいるという。
 酒瓶を弄んでいたカルナが、ふと腰に差していた短剣に触れた。装飾のほとんどない、盗賊が使うような単純な作りの短剣を、鞘から抜いて、アルマに手渡してくる。

「少しで良い、血をよこせ」

 心臓が、どくりと跳ねた。やはり、人の血や肉を食べるつもりなのか。少しで良いと言うのは、味見のつもりかもしれない。
 手渡された短剣を持ったまま、アルマはしばし考えた。今この瞬間が、人生最期の夜かもしれない。

 アルマの戸惑いを察したのか、カルナがむっとした表情で「喰うためじゃない」と弁明した。
 本当の目的は分からないが、とにかく従うしかなさそうである。
 アルマは短剣の先で、そっと親指の腹を切った。すっと肌が切れる感触がしたが、強すぎる酒のせいで感覚が麻痺しているのか、そこまで痛みはない。

 カルナに短剣を返して、親指の傷口を見せる。切り口からぷっくりと浮いてきた血の玉を、カルナはすかさず舐め取った。
 目を白黒させているアルマには気もくれず、舌で転がすような素振りを見せている。やがてカルナは、ぼそっと呟いた。

「なんだ、魔女じゃないのか」
「え……?」

 カルナが、じっとアルマの瞳を観察していることに気づき、目を逸らす。

「カルナ様は、わたしが魔女だと思っていたのですか……?」
「いや、いちおう確認しただけだ。それに、お前が魔女だったら、とっくに俺は死んでるな」

 カルナは、なんてことないように、からからと笑う。歯列の間から見え隠れするカルナの舌が、人間の舌よりはるかに赤く、熟れた果実のようになまめかしいことに気づき、アアルマは気づかれないように息を整える。
 酔いが回ったせいもあるのだろうが、見てはいけないものを見た、そんな背徳感が湧き上がってくる。

「魔女の中には、竜の血を欲しがる奴が多い。今のところ、誰にも取られたことはないが」
「カルナ様は、半分だけ竜なのですよね?」
「そう、半分だけだ。人間の血が混ざっていようが、貴重な竜の血だからな。あとカルナ様はやめろ、気持ち悪い」

 カルナがげんなりした顔で、瓶を傾けるが、中身は残っていない。

「アルフォンラインの人間にとっては、邪魔だろうな。とっくに死んだ女の息子が、いまだ年寄りにもならず、生きている……」

 暖炉の暖かさと酒の酔いをもってしても、カルナの哀愁を吹き飛ばすことは、できなかった。
 アルマは声をかけようと口を開くも、結局なにを言えば良いのか分からずに、ただ暖炉の火を見つめる。なにを言っても、一人きりですごしてきたカルナには響かない。そんな確信があった。

 徐々に夜は更けていく。酔いと眠気で、アルマは起きながら夢を見ているようであった。
 もしかしたら、墓地であったできごとも、生贄に選ばれたことも、砦で竜人と向き合っていることも、すべては夢なのかもしれない。
 すっと整ったカルナの横顔を眺めながら、アルマはぼんやりと今後のことを考えていた。
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