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10.寝坊と商人リオ
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頬を撫でる風を感じ、うっすらと目を開ける。思ったよりも眩しく、アルマは一度、目を閉じてから覚悟を決めて起き上がる。
体には使い古された毛布が二、三枚かけられ、綿の詰まった袋を敷き詰めた即席のベッドに寝かされていた。
昨日カルナに促されて湯浴みをしたあと、暖炉の前で髪の毛を乾かしたことまでは覚えているが、自分がどうやってベッドにたどり着いたかの記憶はない。
綿と毛布のおかげで、夜中に一度も起きることなく、ぐっすり眠ったようだ。
窓枠からは光がたっぷりと降り注ぎ、アルマの寝ぼけた顔を照らす。
太陽はすでに、頭上近くまで昇っている。
アルマは自分の失態に気づき、大慌てで毛布から這い出した。
ここに置いてほしいと懇願したにも関わらず、仕事もせずに昼まで寝すごしてしまった。
昨日、通された部屋とは別の部屋で寝ていたようだ。寝室なのか、家具の類は一切ない。カルナの姿も当然、見当たらない。
扉を開けて廊下に出て、目についた階段を猛然と駆け下りる。
一階部分の部屋や調理場を見回すが、カルナはいない。暖炉の火はあいかわらず燃え続けているが、その前の椅子には、毛布だけが残されていた。
中途半端に開け放たれた扉を押して外に出ると、井戸の前でカルナと、見知らぬ若い女が話し込んでいるのが見えた。カルナの言うことを聞いて、女が手に持った紙の束に、なにかを書きつけている。
気づかれないようにそっと様子を窺っていたつもりだったが、カルナには見えていたらしく、ひらひらと手を振られた。
女もアルマに気づいたようで、短い会釈のあとに手招きをされた。艶めく長い茶髪と、カルナに負けず劣らずの美貌を持った、なかなかの美女である。
髪の毛を適当に手櫛で整えてから、カルナと男に歩み寄る。
「すみません、遅くまで寝てしまって……」
「特に困ることもない、気にするな」
カルナはそれだけそっけなく言って、美女を指し示す。
「こいつは砦の物資を運んでくる商人だ。アルフォンライン家に雇われている。名前は、なんと言ったかな」
「また忘れたんですか?」
綺麗な顔をゆがめてカルナに抗議をした女が、アルマに向き直る。
「はじめまして、お嬢さん。リオ・サランと申します。サラン商会の一人娘として、アルフォンライン家の方々とは懇意にさせていただいております」
リオが頭を下げると、ふんわりと花のような、果実のような良い香りが漂った。
「必要なものはこいつに頼め。お前が外にいって買いつけてくる必要はない」
リオはアルマの顔をまじまじと見たあと、意外そうに首を傾げる。
「北方の生まれで?」
その問いが自分に向けられていることに気づき、慌てて頷く。
「は、はい。母からは、そのように聞いています」
リオが俄然、興味を示したように、アルマの手を取る。女性らしい丸みがなく、やけに骨張った、働く人の手だ。
「その目の色じゃあ、ここらで生きていくのは大変でしょう! でも幸運でしたね、領主の家に拾われるなんて。野良でいたら、魔女狩りに遭うか、奴隷商人に見世物小屋へ売り飛ばされるか――」
「おい、口がすぎるぞ」
好奇を目に宿していたリオが、口をつぐむ。
リオの言ったことは間違いではない。異端者と罵られ、誰もやらない墓守の仕事を与えられていたアルマなど、まだ幸運な方だったのだ。
さらに生贄という形ではあるが、領主に拾われ、リオの言う、魔女狩りや奴隷商人の手からは逃れられた。この上ない幸運である。
これから先、生贄として食べられることになっても、アルマは自分の運命を呪わない。
つかの間の安寧は同時に、これ以上の幸せを求めてはいけないと自分を縛る鎖にもなっていた。
気まずい空気を切り裂くように、カルナが深く息を吐き出す。
「レスターからお前宛てに荷物が届いているそうだ。おい、広間に運んでおけ」
「かしこまりました」
リオはカルナに恭しく一礼をすると、砦の出入口に駆けていく。
ふいにカルナと二人きりになってしまったアルマは、会話の糸口を見つけられず、気まずい沈黙が辺りを支配した。
思えばアルマは母親以外と一緒に住んだことも、長く会話をしたこともない。他人との会話はせいぜい、埋葬にまつわることを遠くから二、三言、あるいは買い物をするための事務的なやり取り程度だ。
声の出し方を忘れたみたいに、喉が張りつく。
「これからの話だが」
リオが駆けていった方を見つめたまま、カルナが話し出す。
「レスターからの荷物を整理したら、俺を呼べ。砦を案内する」
早足で去っていくカルナと、木箱を抱えて苦しそうに階段を上ってくるリオの間で立ち尽くす。
砦の一員として認められた実感が、ふつふつと湧き上がってきていた。
体には使い古された毛布が二、三枚かけられ、綿の詰まった袋を敷き詰めた即席のベッドに寝かされていた。
昨日カルナに促されて湯浴みをしたあと、暖炉の前で髪の毛を乾かしたことまでは覚えているが、自分がどうやってベッドにたどり着いたかの記憶はない。
綿と毛布のおかげで、夜中に一度も起きることなく、ぐっすり眠ったようだ。
窓枠からは光がたっぷりと降り注ぎ、アルマの寝ぼけた顔を照らす。
太陽はすでに、頭上近くまで昇っている。
アルマは自分の失態に気づき、大慌てで毛布から這い出した。
ここに置いてほしいと懇願したにも関わらず、仕事もせずに昼まで寝すごしてしまった。
昨日、通された部屋とは別の部屋で寝ていたようだ。寝室なのか、家具の類は一切ない。カルナの姿も当然、見当たらない。
扉を開けて廊下に出て、目についた階段を猛然と駆け下りる。
一階部分の部屋や調理場を見回すが、カルナはいない。暖炉の火はあいかわらず燃え続けているが、その前の椅子には、毛布だけが残されていた。
中途半端に開け放たれた扉を押して外に出ると、井戸の前でカルナと、見知らぬ若い女が話し込んでいるのが見えた。カルナの言うことを聞いて、女が手に持った紙の束に、なにかを書きつけている。
気づかれないようにそっと様子を窺っていたつもりだったが、カルナには見えていたらしく、ひらひらと手を振られた。
女もアルマに気づいたようで、短い会釈のあとに手招きをされた。艶めく長い茶髪と、カルナに負けず劣らずの美貌を持った、なかなかの美女である。
髪の毛を適当に手櫛で整えてから、カルナと男に歩み寄る。
「すみません、遅くまで寝てしまって……」
「特に困ることもない、気にするな」
カルナはそれだけそっけなく言って、美女を指し示す。
「こいつは砦の物資を運んでくる商人だ。アルフォンライン家に雇われている。名前は、なんと言ったかな」
「また忘れたんですか?」
綺麗な顔をゆがめてカルナに抗議をした女が、アルマに向き直る。
「はじめまして、お嬢さん。リオ・サランと申します。サラン商会の一人娘として、アルフォンライン家の方々とは懇意にさせていただいております」
リオが頭を下げると、ふんわりと花のような、果実のような良い香りが漂った。
「必要なものはこいつに頼め。お前が外にいって買いつけてくる必要はない」
リオはアルマの顔をまじまじと見たあと、意外そうに首を傾げる。
「北方の生まれで?」
その問いが自分に向けられていることに気づき、慌てて頷く。
「は、はい。母からは、そのように聞いています」
リオが俄然、興味を示したように、アルマの手を取る。女性らしい丸みがなく、やけに骨張った、働く人の手だ。
「その目の色じゃあ、ここらで生きていくのは大変でしょう! でも幸運でしたね、領主の家に拾われるなんて。野良でいたら、魔女狩りに遭うか、奴隷商人に見世物小屋へ売り飛ばされるか――」
「おい、口がすぎるぞ」
好奇を目に宿していたリオが、口をつぐむ。
リオの言ったことは間違いではない。異端者と罵られ、誰もやらない墓守の仕事を与えられていたアルマなど、まだ幸運な方だったのだ。
さらに生贄という形ではあるが、領主に拾われ、リオの言う、魔女狩りや奴隷商人の手からは逃れられた。この上ない幸運である。
これから先、生贄として食べられることになっても、アルマは自分の運命を呪わない。
つかの間の安寧は同時に、これ以上の幸せを求めてはいけないと自分を縛る鎖にもなっていた。
気まずい空気を切り裂くように、カルナが深く息を吐き出す。
「レスターからお前宛てに荷物が届いているそうだ。おい、広間に運んでおけ」
「かしこまりました」
リオはカルナに恭しく一礼をすると、砦の出入口に駆けていく。
ふいにカルナと二人きりになってしまったアルマは、会話の糸口を見つけられず、気まずい沈黙が辺りを支配した。
思えばアルマは母親以外と一緒に住んだことも、長く会話をしたこともない。他人との会話はせいぜい、埋葬にまつわることを遠くから二、三言、あるいは買い物をするための事務的なやり取り程度だ。
声の出し方を忘れたみたいに、喉が張りつく。
「これからの話だが」
リオが駆けていった方を見つめたまま、カルナが話し出す。
「レスターからの荷物を整理したら、俺を呼べ。砦を案内する」
早足で去っていくカルナと、木箱を抱えて苦しそうに階段を上ってくるリオの間で立ち尽くす。
砦の一員として認められた実感が、ふつふつと湧き上がってきていた。
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