10 / 29
10.寝坊と商人リオ
しおりを挟む
頬を撫でる風を感じ、うっすらと目を開ける。思ったよりも眩しく、アルマは一度、目を閉じてから覚悟を決めて起き上がる。
体には使い古された毛布が二、三枚かけられ、綿の詰まった袋を敷き詰めた即席のベッドに寝かされていた。
昨日カルナに促されて湯浴みをしたあと、暖炉の前で髪の毛を乾かしたことまでは覚えているが、自分がどうやってベッドにたどり着いたかの記憶はない。
綿と毛布のおかげで、夜中に一度も起きることなく、ぐっすり眠ったようだ。
窓枠からは光がたっぷりと降り注ぎ、アルマの寝ぼけた顔を照らす。
太陽はすでに、頭上近くまで昇っている。
アルマは自分の失態に気づき、大慌てで毛布から這い出した。
ここに置いてほしいと懇願したにも関わらず、仕事もせずに昼まで寝すごしてしまった。
昨日、通された部屋とは別の部屋で寝ていたようだ。寝室なのか、家具の類は一切ない。カルナの姿も当然、見当たらない。
扉を開けて廊下に出て、目についた階段を猛然と駆け下りる。
一階部分の部屋や調理場を見回すが、カルナはいない。暖炉の火はあいかわらず燃え続けているが、その前の椅子には、毛布だけが残されていた。
中途半端に開け放たれた扉を押して外に出ると、井戸の前でカルナと、見知らぬ若い女が話し込んでいるのが見えた。カルナの言うことを聞いて、女が手に持った紙の束に、なにかを書きつけている。
気づかれないようにそっと様子を窺っていたつもりだったが、カルナには見えていたらしく、ひらひらと手を振られた。
女もアルマに気づいたようで、短い会釈のあとに手招きをされた。艶めく長い茶髪と、カルナに負けず劣らずの美貌を持った、なかなかの美女である。
髪の毛を適当に手櫛で整えてから、カルナと男に歩み寄る。
「すみません、遅くまで寝てしまって……」
「特に困ることもない、気にするな」
カルナはそれだけそっけなく言って、美女を指し示す。
「こいつは砦の物資を運んでくる商人だ。アルフォンライン家に雇われている。名前は、なんと言ったかな」
「また忘れたんですか?」
綺麗な顔をゆがめてカルナに抗議をした女が、アルマに向き直る。
「はじめまして、お嬢さん。リオ・サランと申します。サラン商会の一人娘として、アルフォンライン家の方々とは懇意にさせていただいております」
リオが頭を下げると、ふんわりと花のような、果実のような良い香りが漂った。
「必要なものはこいつに頼め。お前が外にいって買いつけてくる必要はない」
リオはアルマの顔をまじまじと見たあと、意外そうに首を傾げる。
「北方の生まれで?」
その問いが自分に向けられていることに気づき、慌てて頷く。
「は、はい。母からは、そのように聞いています」
リオが俄然、興味を示したように、アルマの手を取る。女性らしい丸みがなく、やけに骨張った、働く人の手だ。
「その目の色じゃあ、ここらで生きていくのは大変でしょう! でも幸運でしたね、領主の家に拾われるなんて。野良でいたら、魔女狩りに遭うか、奴隷商人に見世物小屋へ売り飛ばされるか――」
「おい、口がすぎるぞ」
好奇を目に宿していたリオが、口をつぐむ。
リオの言ったことは間違いではない。異端者と罵られ、誰もやらない墓守の仕事を与えられていたアルマなど、まだ幸運な方だったのだ。
さらに生贄という形ではあるが、領主に拾われ、リオの言う、魔女狩りや奴隷商人の手からは逃れられた。この上ない幸運である。
これから先、生贄として食べられることになっても、アルマは自分の運命を呪わない。
つかの間の安寧は同時に、これ以上の幸せを求めてはいけないと自分を縛る鎖にもなっていた。
気まずい空気を切り裂くように、カルナが深く息を吐き出す。
「レスターからお前宛てに荷物が届いているそうだ。おい、広間に運んでおけ」
「かしこまりました」
リオはカルナに恭しく一礼をすると、砦の出入口に駆けていく。
ふいにカルナと二人きりになってしまったアルマは、会話の糸口を見つけられず、気まずい沈黙が辺りを支配した。
思えばアルマは母親以外と一緒に住んだことも、長く会話をしたこともない。他人との会話はせいぜい、埋葬にまつわることを遠くから二、三言、あるいは買い物をするための事務的なやり取り程度だ。
声の出し方を忘れたみたいに、喉が張りつく。
「これからの話だが」
リオが駆けていった方を見つめたまま、カルナが話し出す。
「レスターからの荷物を整理したら、俺を呼べ。砦を案内する」
早足で去っていくカルナと、木箱を抱えて苦しそうに階段を上ってくるリオの間で立ち尽くす。
砦の一員として認められた実感が、ふつふつと湧き上がってきていた。
体には使い古された毛布が二、三枚かけられ、綿の詰まった袋を敷き詰めた即席のベッドに寝かされていた。
昨日カルナに促されて湯浴みをしたあと、暖炉の前で髪の毛を乾かしたことまでは覚えているが、自分がどうやってベッドにたどり着いたかの記憶はない。
綿と毛布のおかげで、夜中に一度も起きることなく、ぐっすり眠ったようだ。
窓枠からは光がたっぷりと降り注ぎ、アルマの寝ぼけた顔を照らす。
太陽はすでに、頭上近くまで昇っている。
アルマは自分の失態に気づき、大慌てで毛布から這い出した。
ここに置いてほしいと懇願したにも関わらず、仕事もせずに昼まで寝すごしてしまった。
昨日、通された部屋とは別の部屋で寝ていたようだ。寝室なのか、家具の類は一切ない。カルナの姿も当然、見当たらない。
扉を開けて廊下に出て、目についた階段を猛然と駆け下りる。
一階部分の部屋や調理場を見回すが、カルナはいない。暖炉の火はあいかわらず燃え続けているが、その前の椅子には、毛布だけが残されていた。
中途半端に開け放たれた扉を押して外に出ると、井戸の前でカルナと、見知らぬ若い女が話し込んでいるのが見えた。カルナの言うことを聞いて、女が手に持った紙の束に、なにかを書きつけている。
気づかれないようにそっと様子を窺っていたつもりだったが、カルナには見えていたらしく、ひらひらと手を振られた。
女もアルマに気づいたようで、短い会釈のあとに手招きをされた。艶めく長い茶髪と、カルナに負けず劣らずの美貌を持った、なかなかの美女である。
髪の毛を適当に手櫛で整えてから、カルナと男に歩み寄る。
「すみません、遅くまで寝てしまって……」
「特に困ることもない、気にするな」
カルナはそれだけそっけなく言って、美女を指し示す。
「こいつは砦の物資を運んでくる商人だ。アルフォンライン家に雇われている。名前は、なんと言ったかな」
「また忘れたんですか?」
綺麗な顔をゆがめてカルナに抗議をした女が、アルマに向き直る。
「はじめまして、お嬢さん。リオ・サランと申します。サラン商会の一人娘として、アルフォンライン家の方々とは懇意にさせていただいております」
リオが頭を下げると、ふんわりと花のような、果実のような良い香りが漂った。
「必要なものはこいつに頼め。お前が外にいって買いつけてくる必要はない」
リオはアルマの顔をまじまじと見たあと、意外そうに首を傾げる。
「北方の生まれで?」
その問いが自分に向けられていることに気づき、慌てて頷く。
「は、はい。母からは、そのように聞いています」
リオが俄然、興味を示したように、アルマの手を取る。女性らしい丸みがなく、やけに骨張った、働く人の手だ。
「その目の色じゃあ、ここらで生きていくのは大変でしょう! でも幸運でしたね、領主の家に拾われるなんて。野良でいたら、魔女狩りに遭うか、奴隷商人に見世物小屋へ売り飛ばされるか――」
「おい、口がすぎるぞ」
好奇を目に宿していたリオが、口をつぐむ。
リオの言ったことは間違いではない。異端者と罵られ、誰もやらない墓守の仕事を与えられていたアルマなど、まだ幸運な方だったのだ。
さらに生贄という形ではあるが、領主に拾われ、リオの言う、魔女狩りや奴隷商人の手からは逃れられた。この上ない幸運である。
これから先、生贄として食べられることになっても、アルマは自分の運命を呪わない。
つかの間の安寧は同時に、これ以上の幸せを求めてはいけないと自分を縛る鎖にもなっていた。
気まずい空気を切り裂くように、カルナが深く息を吐き出す。
「レスターからお前宛てに荷物が届いているそうだ。おい、広間に運んでおけ」
「かしこまりました」
リオはカルナに恭しく一礼をすると、砦の出入口に駆けていく。
ふいにカルナと二人きりになってしまったアルマは、会話の糸口を見つけられず、気まずい沈黙が辺りを支配した。
思えばアルマは母親以外と一緒に住んだことも、長く会話をしたこともない。他人との会話はせいぜい、埋葬にまつわることを遠くから二、三言、あるいは買い物をするための事務的なやり取り程度だ。
声の出し方を忘れたみたいに、喉が張りつく。
「これからの話だが」
リオが駆けていった方を見つめたまま、カルナが話し出す。
「レスターからの荷物を整理したら、俺を呼べ。砦を案内する」
早足で去っていくカルナと、木箱を抱えて苦しそうに階段を上ってくるリオの間で立ち尽くす。
砦の一員として認められた実感が、ふつふつと湧き上がってきていた。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
死んでるはずの私が溺愛され、いつの間にか救国して、聖女をざまぁしてました。
みゅー
恋愛
異世界へ転生していると気づいたアザレアは、このままだと自分が死んでしまう運命だと知った。
同時にチート能力に目覚めたアザレアは、自身の死を回避するために奮闘していた。するとなぜか自分に興味なさそうだった王太子殿下に溺愛され、聖女をざまぁし、チート能力で世界を救うことになり、国民に愛される存在となっていた。
そんなお話です。
以前書いたものを大幅改稿したものです。
フランツファンだった方、フランツフラグはへし折られています。申し訳ありません。
六十話程度あるので改稿しつつできれば一日二話ずつ投稿しようと思います。
また、他シリーズのサイデューム王国とは別次元のお話です。
丹家栞奈は『モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します』に出てくる人物と同一人物です。
写真の花はリアトリスです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる