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12.わたしの名前
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気まずい沈黙が辺りを覆った。聞き方を間違ったのか、カルナに真意が伝わったとは考えにくい。しかし、アルマの頭ではこれが最適解だと思ったのだ。
「はぁ?」
「だから、その、わたしは砦の食糧がなくなったときに食べるために、今だけ生かされてるのかなぁって……」
ようやくアルマの言いたいことを察したカルナは、大口を開けて笑い出した。蛇のように赤い舌が、口の中でうごめいている。犬歯が鋭く、触れれば皮膚も切れそうだ。
ひとしきり笑ったあと、カルナはアルマの頭を軽く小突いた。
「傑作だぞ、その考え。俺でも思いつかなかった」
感心されているのか、小馬鹿にされているのか分からない。カルナは褒めているつもりなのかもしれないが、アルマにとっては自分の考えを笑われた恥ずかしさが勝った。
「いいか、アルマ。あれを見てみろ」
カルナが指差した方向では、ほとんど毛の塊にしか見えない羊が気だるそうに草を食んでいる。家畜としてそこにいるはずなのに、その姿はまるで置物のようだ。
「あいつは正真正銘の非常食だ。砦の中から肉がなくなったら、あいつをバラそうと思って飼ったんだが、そんな非常時は一向に訪れない」
羊は自分の話をされていることに気づいたのか、もったりとした動作でこちらを仰ぎ見た。
「だから、わたしを食べる日も一生こないって言いたいんですか?」
カルナはいたずらを思いついた子どものように、悪い笑みを浮かべた。
「そうだな……あの羊をバラして、それでも戦が終わらず、本当になにも食うものがなくなったらお前をバラすかな。お前の方が、先に飢え死にするだろうけど」
やっぱり食べるんじゃないですか、と抗議しようかと思ったが、アルマは一種の心地良さを感じていた。自分が砦にいていい、正当な理由を見つけられた気がしたのだ。
アルマが肉を綺麗にしゃぶりつくした骨を、カルナがさっと奪い取って羊の足元へ投げてしまう。羊は、転がってきた骨に多少の興味を示したものの、すぐに興味を失って草と向き合っていた。
カルナは蔦の覆う居住館へ戻る途中、居住館の隣にある崩れかけた建物をアルマに見せた。
「元は礼拝堂だったものだ。神に祈るような奴はここにいないし、修繕もしてないから崩れたままだが」
言われなければ礼拝堂だったとは分からないほど、完全に崩壊している。瓦礫の中に色硝子の破片が見えて、壊れる前はさぞ綺麗な建物だったのだろうな、とアルマは夢想した。
その後、カルナの所有しているという黒い毛並みの馬と厩舎を見せてもらって、アルマは厩舎や居住館の掃除、食事作りなど基本的な家事を担うことが決まった。
居住館の広間に戻ってきてソファに身を沈めていたカルナが、ふいに思い出したようにこちらを見る。
「字は? 習ったことあるか?」
体中の血液が、顔に集まる気配がする。
「あ、ありません……」
アルマは恥ずかしさで、か細く呟いた。
貧民窟に近い暮らしをしていたアルマが読み書きできないのは当然といえば当然で、字を習いたいと思ったこともなかったが、今ではそれが無性に恥ずかしいことだと感じた。
恐る恐る顔を上げたアルマを見て、カルナは怠そうに身を起こし、手近にあった紙とペンを引き寄せる。
カルナが立ち上がり、木の椅子にかけていたアルマの後ろへ回り込む。ペンを握ったカルナの手がア背後から伸びてきて、アルマは思わず身を硬くした。
カルナの厚い胸板が後頭部に密着し、ほのかなアルコール臭が漂う。
カルナがアルマを包み込むように身を寄せてかがむと、長く、さらさらとした銀髪が垂れてきて、アルマの頬をくすぐった。
「よく見てろ」
そう言ったカルナは、一文字ずつ発音しながら、字を書きつけていく。神経質そうに角ばった、少し右肩上がりの文字が刻まれる。
「これがお前の名前」
もう一度「アルマ」と呼びながら、同じ綴りを繰り返す。
その後、書き慣れた様子で字を連ねて、アルマには到底ただの線にしか見えない文字も刻まれる。
「これは俺の名前。カルナ・アルフォンライン。商人が来たら、俺の名前で署名する」
カルナがペンを放り出し、アルマから離れる。アルマはまだ背に、カルナの体温を感じていた。
カルナが書いてくれた名前を、まじまじと見つめる。
これまで文字を見る機会は、そう多くなかった。アルマのいた墓地は、墓標すら満足に建てられない状態で、墓標に刻む名を持たない遺体が大半を占めていた。
教会の管理する墓地では埋葬許可証のやり取りがあるため、読み書きのできる人間が墓守になるが、アルマはそんな紙切れ一枚すら見たことがなかった。
アルマの名前は読みやすいように、一字ずる区切って書かれている。
しかし、カルナの名前は貴族が手紙のやり取りで使用するような流暢な筆記体で、アルマには読めそうもない。
アルマは、カルナがこんな繊細で流れるような字を書くのを、なんだか不思議に思った。
がっしりとした体格や、狼にも引けを取らない紅く鋭い眼光は、騎士以外の何者でもない。騎士でないなら、暗殺者がふさわしいだろう。
しかし、目の前に座ったカルナの手は、騎士らしい節くれだった感じがなく、ペンしか握ったことがないような、少女らしい細やかな指で構成されている。カルナは体つきや性格は騎士らしいのに、その綺麗な指先や流暢な筆記体が貴族らしい、なんともちぐはぐな印象を与えていた。
「はぁ?」
「だから、その、わたしは砦の食糧がなくなったときに食べるために、今だけ生かされてるのかなぁって……」
ようやくアルマの言いたいことを察したカルナは、大口を開けて笑い出した。蛇のように赤い舌が、口の中でうごめいている。犬歯が鋭く、触れれば皮膚も切れそうだ。
ひとしきり笑ったあと、カルナはアルマの頭を軽く小突いた。
「傑作だぞ、その考え。俺でも思いつかなかった」
感心されているのか、小馬鹿にされているのか分からない。カルナは褒めているつもりなのかもしれないが、アルマにとっては自分の考えを笑われた恥ずかしさが勝った。
「いいか、アルマ。あれを見てみろ」
カルナが指差した方向では、ほとんど毛の塊にしか見えない羊が気だるそうに草を食んでいる。家畜としてそこにいるはずなのに、その姿はまるで置物のようだ。
「あいつは正真正銘の非常食だ。砦の中から肉がなくなったら、あいつをバラそうと思って飼ったんだが、そんな非常時は一向に訪れない」
羊は自分の話をされていることに気づいたのか、もったりとした動作でこちらを仰ぎ見た。
「だから、わたしを食べる日も一生こないって言いたいんですか?」
カルナはいたずらを思いついた子どものように、悪い笑みを浮かべた。
「そうだな……あの羊をバラして、それでも戦が終わらず、本当になにも食うものがなくなったらお前をバラすかな。お前の方が、先に飢え死にするだろうけど」
やっぱり食べるんじゃないですか、と抗議しようかと思ったが、アルマは一種の心地良さを感じていた。自分が砦にいていい、正当な理由を見つけられた気がしたのだ。
アルマが肉を綺麗にしゃぶりつくした骨を、カルナがさっと奪い取って羊の足元へ投げてしまう。羊は、転がってきた骨に多少の興味を示したものの、すぐに興味を失って草と向き合っていた。
カルナは蔦の覆う居住館へ戻る途中、居住館の隣にある崩れかけた建物をアルマに見せた。
「元は礼拝堂だったものだ。神に祈るような奴はここにいないし、修繕もしてないから崩れたままだが」
言われなければ礼拝堂だったとは分からないほど、完全に崩壊している。瓦礫の中に色硝子の破片が見えて、壊れる前はさぞ綺麗な建物だったのだろうな、とアルマは夢想した。
その後、カルナの所有しているという黒い毛並みの馬と厩舎を見せてもらって、アルマは厩舎や居住館の掃除、食事作りなど基本的な家事を担うことが決まった。
居住館の広間に戻ってきてソファに身を沈めていたカルナが、ふいに思い出したようにこちらを見る。
「字は? 習ったことあるか?」
体中の血液が、顔に集まる気配がする。
「あ、ありません……」
アルマは恥ずかしさで、か細く呟いた。
貧民窟に近い暮らしをしていたアルマが読み書きできないのは当然といえば当然で、字を習いたいと思ったこともなかったが、今ではそれが無性に恥ずかしいことだと感じた。
恐る恐る顔を上げたアルマを見て、カルナは怠そうに身を起こし、手近にあった紙とペンを引き寄せる。
カルナが立ち上がり、木の椅子にかけていたアルマの後ろへ回り込む。ペンを握ったカルナの手がア背後から伸びてきて、アルマは思わず身を硬くした。
カルナの厚い胸板が後頭部に密着し、ほのかなアルコール臭が漂う。
カルナがアルマを包み込むように身を寄せてかがむと、長く、さらさらとした銀髪が垂れてきて、アルマの頬をくすぐった。
「よく見てろ」
そう言ったカルナは、一文字ずつ発音しながら、字を書きつけていく。神経質そうに角ばった、少し右肩上がりの文字が刻まれる。
「これがお前の名前」
もう一度「アルマ」と呼びながら、同じ綴りを繰り返す。
その後、書き慣れた様子で字を連ねて、アルマには到底ただの線にしか見えない文字も刻まれる。
「これは俺の名前。カルナ・アルフォンライン。商人が来たら、俺の名前で署名する」
カルナがペンを放り出し、アルマから離れる。アルマはまだ背に、カルナの体温を感じていた。
カルナが書いてくれた名前を、まじまじと見つめる。
これまで文字を見る機会は、そう多くなかった。アルマのいた墓地は、墓標すら満足に建てられない状態で、墓標に刻む名を持たない遺体が大半を占めていた。
教会の管理する墓地では埋葬許可証のやり取りがあるため、読み書きのできる人間が墓守になるが、アルマはそんな紙切れ一枚すら見たことがなかった。
アルマの名前は読みやすいように、一字ずる区切って書かれている。
しかし、カルナの名前は貴族が手紙のやり取りで使用するような流暢な筆記体で、アルマには読めそうもない。
アルマは、カルナがこんな繊細で流れるような字を書くのを、なんだか不思議に思った。
がっしりとした体格や、狼にも引けを取らない紅く鋭い眼光は、騎士以外の何者でもない。騎士でないなら、暗殺者がふさわしいだろう。
しかし、目の前に座ったカルナの手は、騎士らしい節くれだった感じがなく、ペンしか握ったことがないような、少女らしい細やかな指で構成されている。カルナは体つきや性格は騎士らしいのに、その綺麗な指先や流暢な筆記体が貴族らしい、なんともちぐはぐな印象を与えていた。
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