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第一章
【四】テツ―青龍神(ブルードラゴン)の絶対命令 ④
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調査対象のスナックから最後の客が出て行くと、バーテンが立て看板のコンセントを抜いて店内にしまい込んだ。向かいのビルから暗視カメラで録画を続けながら、ジーンズのファスナーを下ろす。
窓の外を監視しながら空のペットボトルに放尿した。のんびりトイレで用を足して売人を見失えば、青龍神の逆鱗に触れる。滑稽な自分の姿に思わず笑いが漏れた。アンモニアの臭いも酷いもんだ。『龍青会』お抱え探偵屋は、華麗でも危険でもない。地味で孤独で、獲物を追いかける獣だ。なのに小春は俺をヒーロー扱いする。恐らくあれだ、小春の母親がすり込んだに違いない。
定食屋には『少年名探偵☆コ○ン』が全巻そろってたな。意識をスナックの扉へと戻した。いまは小春の顔を思い浮かべている場合じゃない。梅雨前線の影響で雑居ビルの一室は湿気に満ちていた。腕時計の示す温度は十五度。最新機器が搭載されたアイテムは龍青会の天才大学生、茂山(しげやま)の作った玩具だ。語弊があるといけないが、あくまでも我々には頼れる武器、彼には暇つぶしに作れる工作にすぎない。
夜明けまで粘ったが、バーテンの帰った店からオーナーのママが出てくることはなかった。どうやら店舗奥の仮眠室に泊まったようだ。週の真ん中に情報屋から入手した写真の、売人とおぼしきアジア系男性は現れなかった。
真冬に失踪した佐倉氏は、未だに生存が不明のまま。金髪女性はこの街に何百人もいて、接点が見つからなかった。
そしてまた一人、今度は土建会社の社長が持ちビルを外資系企業に売却し、失踪した。幹部連中や星刑事に焦りが見え始めたら、女スパイ相沢が潜入調査を開始するだろう。
小春が卒業して三ヶ月が経過したが、攫う時間がない。攫っても構う時間がなければ、あのリスは拗ねるだろう。下手したら実家に戻りかねない。
ああ、畜生。面倒な事案がもうひとつ。龍青会顧問弁護士がオファーした新寺弁護士が美人ホステスのレイを振って、俺に押し付けてきやがった。予想外の展開に、組長は腹を抱えて笑った。新寺が顧問弁護士に就任しなければ閻魔大王に変化しただろう。
「事務員として、レイを雇ってもらえないかな」
新寺弁護士は、保護者よろしく命令した。そう、これは頼み事では無く、命令だ。顧問弁護士の機嫌を損ねてはまずい。仕方がない。数ヶ月だけ電話番をさせてから追っ払おう。新寺弁護士の魂胆は見え見えだ。俺の猿芝居を真に受けて、施しを与えようとしている。
俺には小春がいるから、さっさと出て行ってくれ――。
探偵事務所のデスクで爪を磨いている女に啖呵を切れたら、どんなにいいだろう。この女は心を入れ替えたのか。答えは否。こういう手合いは小学生時代に気に入らない女子の上靴を隠し、中学で体操着を切り刻む。本人の鏡には目を潤ませた美人が、正体を知る男の目にはメデューサに映るのだ。事務員の給料は日給一万円。高級クラブなら三十分もかからず稼ぐからなのか、朝一番で俺に茶を入れてしまうと、十七時まで彼女は何もしない。
『何か他の仕事はありますか?』などと殊勝げな振りさえしない。俺が元高級クラブのホステスに首ったけの、盲目アホ野郎に見えるんだろうか。
小春ならちょこまかと動いて窓を磨き、そして昼には舌がとろける絶品親子丼を作ってくれる。そして右頬にえくぼを刻んで歌うように俺の名を呼ぶのだ。
「テッちゃん、ご飯ですよ!」
仙台七夕までにはケリをつけたい。でないと、小春が誰かに攫われちまいそうだ……。
「ウイスキーを水割りで」
煩悩で頭を曇らせたままバーへ出かけたせいだ。新米バーテンがママの指示を忘れて、俺に本物の酒を渡しやがった。一口飲んで、万事休す――。情報収集も、尾行の計画も全てがおじゃんだ。
怒りでグラスをぞんざいに扱い、割ってしまった。
「ママ、そいつを教育しとけ」
「は、はい。申し訳ありません」
ママは青ざめながらハンカチを差し出したが、断って店を出た。酔いが回る前に自宅へと走った。畜生。うすのろめ。これじゃ、虎じいさんにも追い越されちまう。
上昇するエレベーターの壁に寄りかかり、まぶたに力を込めて泥酔へのカウントダウンを阻止する。まだだ。まだ早い。五階の自宅ドアまで這った。もう少しだ。
ブルル、ブルルル。
小春専用のバイブレーションが尻ポケットで響いた。
くそっ。こんな時に。
無視すればいいのに、アルコールが俺の判断を狂わせた。俺の可愛い小春がSOSスタンプを送ってきた。
まさか、また馬鹿親父が借金でも作ったのか?
プルルルル。
「小春……そこへ助けにいけない。俺の家に来い!」
酔いが覚めたら、悩みを蹴散らしてやるからな――。
窓の外を監視しながら空のペットボトルに放尿した。のんびりトイレで用を足して売人を見失えば、青龍神の逆鱗に触れる。滑稽な自分の姿に思わず笑いが漏れた。アンモニアの臭いも酷いもんだ。『龍青会』お抱え探偵屋は、華麗でも危険でもない。地味で孤独で、獲物を追いかける獣だ。なのに小春は俺をヒーロー扱いする。恐らくあれだ、小春の母親がすり込んだに違いない。
定食屋には『少年名探偵☆コ○ン』が全巻そろってたな。意識をスナックの扉へと戻した。いまは小春の顔を思い浮かべている場合じゃない。梅雨前線の影響で雑居ビルの一室は湿気に満ちていた。腕時計の示す温度は十五度。最新機器が搭載されたアイテムは龍青会の天才大学生、茂山(しげやま)の作った玩具だ。語弊があるといけないが、あくまでも我々には頼れる武器、彼には暇つぶしに作れる工作にすぎない。
夜明けまで粘ったが、バーテンの帰った店からオーナーのママが出てくることはなかった。どうやら店舗奥の仮眠室に泊まったようだ。週の真ん中に情報屋から入手した写真の、売人とおぼしきアジア系男性は現れなかった。
真冬に失踪した佐倉氏は、未だに生存が不明のまま。金髪女性はこの街に何百人もいて、接点が見つからなかった。
そしてまた一人、今度は土建会社の社長が持ちビルを外資系企業に売却し、失踪した。幹部連中や星刑事に焦りが見え始めたら、女スパイ相沢が潜入調査を開始するだろう。
小春が卒業して三ヶ月が経過したが、攫う時間がない。攫っても構う時間がなければ、あのリスは拗ねるだろう。下手したら実家に戻りかねない。
ああ、畜生。面倒な事案がもうひとつ。龍青会顧問弁護士がオファーした新寺弁護士が美人ホステスのレイを振って、俺に押し付けてきやがった。予想外の展開に、組長は腹を抱えて笑った。新寺が顧問弁護士に就任しなければ閻魔大王に変化しただろう。
「事務員として、レイを雇ってもらえないかな」
新寺弁護士は、保護者よろしく命令した。そう、これは頼み事では無く、命令だ。顧問弁護士の機嫌を損ねてはまずい。仕方がない。数ヶ月だけ電話番をさせてから追っ払おう。新寺弁護士の魂胆は見え見えだ。俺の猿芝居を真に受けて、施しを与えようとしている。
俺には小春がいるから、さっさと出て行ってくれ――。
探偵事務所のデスクで爪を磨いている女に啖呵を切れたら、どんなにいいだろう。この女は心を入れ替えたのか。答えは否。こういう手合いは小学生時代に気に入らない女子の上靴を隠し、中学で体操着を切り刻む。本人の鏡には目を潤ませた美人が、正体を知る男の目にはメデューサに映るのだ。事務員の給料は日給一万円。高級クラブなら三十分もかからず稼ぐからなのか、朝一番で俺に茶を入れてしまうと、十七時まで彼女は何もしない。
『何か他の仕事はありますか?』などと殊勝げな振りさえしない。俺が元高級クラブのホステスに首ったけの、盲目アホ野郎に見えるんだろうか。
小春ならちょこまかと動いて窓を磨き、そして昼には舌がとろける絶品親子丼を作ってくれる。そして右頬にえくぼを刻んで歌うように俺の名を呼ぶのだ。
「テッちゃん、ご飯ですよ!」
仙台七夕までにはケリをつけたい。でないと、小春が誰かに攫われちまいそうだ……。
「ウイスキーを水割りで」
煩悩で頭を曇らせたままバーへ出かけたせいだ。新米バーテンがママの指示を忘れて、俺に本物の酒を渡しやがった。一口飲んで、万事休す――。情報収集も、尾行の計画も全てがおじゃんだ。
怒りでグラスをぞんざいに扱い、割ってしまった。
「ママ、そいつを教育しとけ」
「は、はい。申し訳ありません」
ママは青ざめながらハンカチを差し出したが、断って店を出た。酔いが回る前に自宅へと走った。畜生。うすのろめ。これじゃ、虎じいさんにも追い越されちまう。
上昇するエレベーターの壁に寄りかかり、まぶたに力を込めて泥酔へのカウントダウンを阻止する。まだだ。まだ早い。五階の自宅ドアまで這った。もう少しだ。
ブルル、ブルルル。
小春専用のバイブレーションが尻ポケットで響いた。
くそっ。こんな時に。
無視すればいいのに、アルコールが俺の判断を狂わせた。俺の可愛い小春がSOSスタンプを送ってきた。
まさか、また馬鹿親父が借金でも作ったのか?
プルルルル。
「小春……そこへ助けにいけない。俺の家に来い!」
酔いが覚めたら、悩みを蹴散らしてやるからな――。
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