4 / 12
第二章 適性診断と公開準備
第4話「診断の日」
しおりを挟む朝の鐘が鳴り、私は目を覚ました。石造りの壁はまだひんやりしていて、寝起きの身体に触れる空気も日本の春先の朝に似て少し肌寒い。だけど窓から射し込む光はすでに力強かった。日本より少し乾いた空気のせいか、だいぶ喉が渇いている。
どうやらこの国は、朝晩は肌寒いのに昼は陽射しが強いらしい。少なくとも今の季節はそういう気候なのだろう。そんなことに、ようやく気付いた。昨日までは心が張り詰めていて、日本とは異なる気候に目を向ける余裕さえなかったのだ。
身支度を整え、食堂へ向かうことにする。
廊下には黒衣の男性が立っていた。背筋を伸ばし、壁の飾りのように動かない。監視役なのか、ただの警備なのか。どちらにせよ、冷淡な視線だと思う。けれど、私は小さく会釈した。
「おはようございます」
彼は表情を変えず、ほんのわずかに顎を引いて頷いた。それ以上は何もなく、私は歩を進めた。
食堂の扉を開けると、香ばしい匂いに包まれた。既に他の女性たちは席に着いていて、奥の出入り口からパンやスープが運ばれて、席に着いた人の前へと置かれていった。どうやら待っていれば配膳されるらしい。
私は空いている端の席に腰を下ろし、配膳されるのを待った。
固めのパンをちぎると湯気が立ちのぼり、雑穀の風味が広がった。こうして皆で食事をとるのは三度目だが、まだ雰囲気に馴染めない。小声で会話する者、黙々と口に運ぶ者、それぞれに距離感があり、どこかぎこちないように思う。
「新しく来た人よね? 今日、診断を受けるんでしょう?」
隣に座っていた女性が尋ねてきた。年の頃は私と同じか、少し下か。どうやら私の予定を気にしているらしい。
私は曖昧に頷きながら、内心では不思議に思っていた。彼女はどことなく楽しそうに見えたから。
彼女のように、すでにお見合い活動へ進んでいる人たちも、入館した時にきっと一度は同じ診断を受けているのだろう。
楽しかったのだろうか。それとも今を楽しんでいるのだろうか。分からないけれど、それを口にするのは控えた。
食事を終えて部屋に戻ると、カレン婦長が現れて呼ばれる。
案内された医務室は、白い布で仕切られた簡素な空間だった。机が整然と並び、窓辺には大小さまざまな器具が置かれている。
中で待っていたのは、年配の医師だった。髪が白くて、柔和な笑みを浮かべている。
「桜井美琴さんですね。まずは健康診断を行います」
体温や脈拍を測り、聴診器で胸の音を確かめる。視力や聴力の確認もあった。どこもかしこも日本の健康診断と似ていて、異世界に来たことを忘れそうになる。
最後に、医師は記録簿を見ながら言った。
「ご自身で申告されている不妊体質について、改めて確認させてください」
「はい。医師からは、子供を持つのは難しいと言われていました。受精はできても着床が続かず、流産しやすい体質だと」
それは、事実と虚偽を混ぜ合わせた言葉だった。私の身体は完全に妊娠不可能なわけではない。ホルモンの働きが弱く、そのままでは着床を維持するのが難しいだけ。薬を使えばかなりの確立で妊娠できるし、その薬は手荷物の中にちゃんと入っている。月経困難性を改善する薬でもあったから。
けれど、それを正直に言う義理があるだろうか。見ず知らずの土地で、強制的に結婚を迫られるこの状況で、子作りまで強要されたくはない。私は自分の秘密を守るため、淡々とそう告げた。
医師は短く頷いただけで、特に問いただすことはなかった。「現状では妊娠が成立しづらいと記録しておきます」と言い、さらさらと書き留める。心拍数がわずかに速くなったが、それは罪悪感からではなかった。むしろ「うまく切り抜けられた」という安堵と、この国の召喚制度そのものへの強い不信感が胸を満たしていた。
次に行われたのは適性診断だった。羊皮紙と羽ペンを手渡され、いくつもの質問に答えていく。
──家事を分担するとしたら、どのように分けますか。
──相手が疲れているとき、あなたはどう接しますか。
──意見の食い違いが起きたとき、どうやって解決を試みますか。
──沈黙が続く場で、あなたはどう感じますか。
どれも、人柄や価値観を探るためのものだった。私は正直に、けれども無難になるように記入していった。
午後からの実地試験では、盤上で駒を使った「生活動線」の組み立てが出された。
こういう場面でどのように動くかとか、台所や寝室や水場などをどう配置し、どのように使うかとか。簡易的なシミュレーションのようなものだった。
頭を使う課題で、私は少しほっとした。こういう地味な作業なら慣れている。事務職の経験が無駄にならない気がした。
最後は心理テスト。静かな部屋に一人で座らされ、一定の間を置いて質問が投げかけられる。答えに窮するほどの意地悪な内容ではなく、むしろ沈黙そのものに耐えられるかどうかを測っているかのようだった。
私は黙って呼吸を整え、心を落ち着かせた。日本での日々、孤独や焦りに耐えた経験が、役立っているような気がして苦笑した。
全てが終わると、カレン婦長に伴われて安全講習へ移った。
「館外へ出るときは必ず護衛を同行させること。勝手な行動は認められません」
婦長の声は厳しく響いた。
「指定された範囲外に立ち入らないこと。万一離脱した場合、あなた自身の安全は保証できません」
淡々とした口調なのに、どの言葉にも重みがあった。
逃げ出そうとした人でもいたのだろうか。召喚されてきた過去の誰かの内心を思い浮かべて、私は同情した。その人はその後どんな目に合ったのだろう。危険な目に合ったのだろうか。
護衛が前を歩くとき、後ろを歩くとき、それぞれの立ち位置や距離感まで細かく説明される。会食の礼法についても触れられたが、それはおまけのようなものだった。安全を守ることが第一であり、そのために従うべき「最低限のルール」がある。
──この国は、やはり恐ろしい。
そう思いながら、私は規則を一つ一つ頭に叩き込んでいった。
夕暮れの鐘が鳴る頃、私はようやく自室へ戻った。窓の外に広がる赤い空を見つめながら、今日の出来事を振り返る。診断に答えた自分の言葉、隠し通した秘密、そして胸に残る緊張感。
安心とは程遠い一日だったけれど、それでも私は少しだけ、自分の足場を得たような気がした。
64
あなたにおすすめの小説
『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』
宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?
想定外の異世界トリップ。希望先とは違いますが…
宵森みなと
恋愛
異世界へと導かれた美咲は、運命に翻弄されながらも、力強く自分の道を歩き始める。
いつか、異世界にと想像していた世界とはジャンル違いで、美咲にとっては苦手なファンタジー系。
しかも、女性が少なく、結婚相手は5人以上と恋愛初心者にはハードな世界。
だが、偶然のようでいて、どこか必然のような出会いから、ともに過ごす日々のなかで芽生える絆と、ゆっくりと積み重ねられていく感情。
不器用に愛し、愛する人に理解されず、傷ついた時、女神の神殿で見つけた、もう一つの居場所。
差し出された優しさと、新たな想いに触れながら、
彼女は“自分のための人生”を選び初める。
これは、一人の女性が異世界で出逢い、傷つき、そして強くなって“本当の愛”を重ねていく物語です。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハーレム異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーレムです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
転生先は男女比50:1の世界!?
4036(シクミロ)
恋愛
男女比50:1の世界に転生した少女。
「まさか、男女比がおかしな世界とは・・・」
デブで自己中心的な女性が多い世界で、ひとり異質な少女は・・
どうなる!?学園生活!!
枯れ専モブ令嬢のはずが…どうしてこうなった!
宵森みなと
恋愛
気づけば異世界。しかもモブ美少女な伯爵令嬢に転生していたわたくし。
静かに余生——いえ、学園生活を送る予定でしたのに、魔法暴発事件で隠していた全属性持ちがバレてしまい、なぜか王子に目をつけられ、魔法師団から訓練指導、さらには騎士団長にも出会ってしまうという急展開。
……団長様方、どうしてそんなに推せるお顔をしていらっしゃるのですか?
枯れ専なわたくしの理性がもちません——と思いつつ、学園生活を謳歌しつつ魔法の訓練や騎士団での治療の手助けと
忙しい日々。残念ながらお子様には興味がありませんとヒロイン(自称)の取り巻きへの塩対応に、怒らせると意外に強烈パンチの言葉を話すモブ令嬢(自称)
これは、恋と使命のはざまで悩む“ちんまり美少女令嬢”が、騎士団と王都を巻き込みながら心を育てていく、
――枯れ専ヒロインのほんわか異世界成長ラブファンタジーです。
男女比バグった世界で美女チート無双〜それでも私は冒険がしたい!〜
具なっしー
恋愛
日本で暮らしていた23歳喪女だった女の子が交通事故で死んで、神様にチートを貰い、獣人の世界に転生させられた!!気づいたらそこは森の中で体は15歳くらいの女の子だった!ステータスを開いてみるとなんと白鳥兎獣人という幻の種族で、白いふわふわのウサ耳と、神秘的な白鳥の羽が生えていた。そしてなんとなんと、そこは男女比が10:1の偏った世界で、一妻多夫が普通の世界!そんな世界で、せっかく転生したんだし、旅をする!と決意した主人公は絶世の美女で…だんだん彼女を囲う男達が増えていく話。
主人公は見た目に反してめちゃくちゃ強いand地球の知識があるのでチートしまくります。
みたいなはなし
※表紙はAIです
異世界転移して冒険者のイケメンとご飯食べるだけの話
ゴルゴンゾーラ三国
恋愛
社畜系OLの主人公は、ある日終電を逃し、仕方なく徒歩で家に帰ることに。しかし、その際帰路を歩いていたはずが、謎の小道へと出てしまい、そのまま異世界へと迷い込んでしまう。
持ち前の適応力の高さからか、それとも社畜生活で思考能力が低下していたのか、いずれにせよあっという間に異世界生活へと慣れていた。そのうち家に帰れるかも、まあ帰れなかったら帰れなかったで、と楽観視しながらその日暮らしの冒険者生活を楽しむ彼女。
一番の楽しみは、おいしい異世界のご飯とお酒、それからイケメン冒険者仲間の話を聞くことだった。
年下のあざとい系先輩冒険者、頼れる兄貴分なエルフの剣士、口の悪いツンデレ薬師、女好きな元最強冒険者のギルド長、四人と恋愛フラグを立てたり折ったりしながら主人公は今日も異世界でご飯を食べる。
【この作品は『小説家になろう』『カクヨム』『Pixiv』にも掲載しています】
王宮地味女官、只者じゃねぇ
宵森みなと
恋愛
地味で目立たず、ただ真面目に働く王宮の女官・エミリア。
しかし彼女の正体は――剣術・魔法・語学すべてに長けた首席卒業の才女にして、実はとんでもない美貌と魔性を秘めた、“自覚なしギャップ系”最強女官だった!?
王女付き女官に任命されたその日から、運命が少しずつ動き出す。
訛りだらけのマーレン語で王女に爆笑を起こし、夜会では仮面を外した瞬間、貴族たちを騒然とさせ――
さらには北方マーレン国から訪れた黒髪の第二王子をも、一瞬で虜にしてしまう。
「おら、案内させてもらいますけんの」
その一言が、国を揺らすとは、誰が想像しただろうか。
王女リリアは言う。「エミリアがいなければ、私は生きていけぬ」
副長カイルは焦る。「このまま、他国に連れて行かれてたまるか」
ジークは葛藤する。「自分だけを見てほしいのに、届かない」
そしてレオンハルト王子は心を決める。「妻に望むなら、彼女以外はいない」
けれど――当の本人は今日も地味眼鏡で事務作業中。
王族たちの心を翻弄するのは、無自覚最強の“訛り女官”。
訛って笑いを取り、仮面で魅了し、剣で守る――
これは、彼女の“本当の顔”が王宮を変えていく、壮麗な恋と成長の物語。
★この物語は、「枯れ専モブ令嬢」の5年前のお話です。クラリスが活躍する前で、少し若いイザークとライナルトがちょっと出ます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる