10 / 50
第1章 二人の婚約
王宮の舞踏会 ii(William)
しおりを挟むセリーナは昔から美しかった。
初めて彼女に会った時、僕はおとぎ話の妖精が現れたのかと思ったくらいだ。
背の高い花壇の花畑からちょこんと顔を覗かせて、大きな青い目をぱちぱちと瞬かせ、金糸のように輝く髪を揺らしながら……にっこりと微笑んだのだ。
後から聞けば、あの時は窮屈な衣装を着るのが嫌で逃げ回った末に隠れようとしていたところだったのだと言う。そこを見知らぬ男の子に見咎められ、誤魔化すために笑ったのだと……
それでその時の服装が妙に薄い素材の頼りないものだったのかと納得する。おそらくは下着姿に近い格好だったのだろう……今なら分かるが、あの時の僕には薄手のツーピースが空を飛ぶ妖精の象徴に思え、今にも飛び立つのでは無いかと思ったのだ。けれども彼女の背中に羽はなく、小さな妖精は駆け足で去っていった。
そのあと彼女が人間で、自分の兄の許嫁だと知らされた。その時の僕の驚きと、落胆の大きさは言うまでも無いだろう……
* * *
(失敗した……)
三曲目が始まって早々、僕は後悔していた。
ホール中央にひしめいていたカップル達が、次々と手を取り合ってこの場を離れていく様子が先程から視界の隅に映っている。
それはそうだろう、ヴァラードワルツなんて近頃の舞踏会では滅多にかからない。踊りこなすのがやや難しいということもあるが、踊れる人がいないわけでは無い。が、敢えて踊らないのが昨今のマナーとなりつつある。つまり、この曲は間奏曲……曲と曲とを繋ぐための音楽で、要するに小休止を入れる合図だ。
それを無視して踊り続けたところで罰せられることは無いが、褒められたものでも無い。
セリーナよりもこうした場に慣れている僕が一早く気付いて誘導するべきだったのに……連続で誰かと踊るなんてことは滅多にしないせいか、失念していた。
このままではセリーナが悪目立ちしてしまう……ただでさえセリーナは人目を惹く容姿を持っていて、今日はいつも以上に美しいのに。デビューしたばかりで、目立ちたがり屋な娘だと噂されてしまうかもしれない。
自分から誘っておいて止めるのはしのびないが、今ならまだ間に合う――
「リーナ……」
「……なぁに?」
ドレスの裾を美しく広げて僕の元に舞い戻ったセリーナが、満足そうに微笑む。僕とのダンスを心から楽しんでくれているのが分かる生き生きとした表情で……正直に言えば僕も同じ気持ちだった。
他の誰と踊った時よりも、セリーナと踊っている時が一番楽しくて、心地よい。同時にとても懐かしくて、幸せな気持ちになる――それを中断させることが、僕にはひどく難しかった。
「……前よりも上手くなったな」
「これはウィルのお陰だわ」
「そんなことは無いさ」
本当に。セリーナは昔よりも格段に上手くなっていた……体の芯が強くなったのか、バランス感覚が研ぎ澄まされている。指先や足の末端にまでしっかりと神経が行きわたっているようで、僕が無遠慮に抱えても全く揺らがない。
いつの間にこんなに上手くなったのだろうか。一時期、二人でひたすらダンスのレッスンをしていた頃があったが……あの後もずっと続けていたのか?
一度身に付いたものは、そうそう忘れないからと……ここ数年の僕は義務的なダンスしかしてこなかった。そんな僕の支えで軽やかに舞ってくれるのだから、セリーナはすごい。
気が付けば僕らはホールに残ったラストカップルになっていた。
それでも踊ることを止められない……セリーナの体を引き寄せて、抱き上げたそばから小回りして着地する。互いに見つめ合う場面が多くなり、言葉が要らなくなっていく。
そもそもダンスの本領とは感情表現ではなかったか……?
だとしたら僕らは今とても良い状態であるのでは。相手の気持ちが手に取るように分かるのだ。僕には君が必要で、君には僕が必要であること――離れがたいと思う情熱をこうして体現している。
それが周囲に知れ渡ったとして、何の問題があるのだろう……どうせ僕らは結婚するのだから。
むしろセリーナには決まった相手がいることを早い段階で知らしめることができ、余計なアプローチが減るかもしれない。それは歓迎すべきことだ。
そんなことを考えていられたのも序盤までで――抱きしめるようにして舞うのが心地よくて癖になる。セリーナのことだけを考えて彼女と踊ることは、しばしの間この状況を忘れてしまうくらいに現実離れした感覚に囚われる。こんな事を思うのは馬鹿げているかもしれないが、夢のように甘美な気分だった。
最後にセリーナを抱き寄せて、このままキスしてしまおうかと真剣に考える。セリーナの目が誘っているように見えるのだ……この表情がそういう意味で無いのなら、セリーナは小悪魔と名乗るに相応しい。
そんなことを考えながら見つめていると、楽団の演奏がガラリと曲調を変えてきた。舞踏会ではまず有り得ない、ハイテンポのタンゴだった――
フロアに残って踊り続けた僕たちは、間違いなく注目を浴びていただろう……そして権力のある誰かがそれを目にとめて、僕らに注文したのだ。
この曲も踊って見せて欲しい――あるいは踊れるものなら踊ってみせろ、と。
試されている。
そして、こうなってしまったからには退去することは最早不可能であった。
セリーナもそれは解っているのだろう……僕の無言の問いかけに、輝くような笑顔で返答してみせた。やる気に満ちた笑顔だった。彼女は踊り切る自信があるのだ――かく言う僕も、セリーナとなら踊れない気が全くしなかった。
動き始めは唐突で、キレのある切り返しが何度も繰り返される。数をこなしていく度に鋭さを増しながら、縦横無尽に巡り舞う。難しいが、興奮する。少しずつ息が上がっていった。
大人一人分の距離を開けながら、鏡合わせのような動きで並走して広間を斜めに横断する――同調の喜びと爽快な達成感に包まれた瞬間、そこかしこで小さな喝采が上がったのが聞こえる。どうやら少しは観客を沸かせているらしい。
ドレスのひだを持ちながら軽快な身のこなしで力強く舞うセリーナは、可憐な容貌に反する妖艶さを曲の端々で披露した……それに魅せられたのは僕だけでは無いはずだ。
けれどもそれは、僕だけに向けられたものだった。
踊りのテンポが早ければ、曲の終わりも早かった。フィニッシュで彼女を受けとめた時、僕らは二人とも息が上がっていた。そして素晴らしい満足感を得た。
互いにじっと見つめ合っていると、セリーナが冷静な声で呟く。
「今更だけれど、王宮の舞踏会でタンゴはおかしくないかしら?」
「……そうだね。普通じゃ有り得ない」
「私……なにか間違った?」
「いや、どうだろう……とりあえず、」
「とりあえず……?」
「この声には応えた方が良いかもしれない」
「そう、ね。そうよね……」
僕らは互いの片手を取り合って、終了と同時に盛大な拍手と歓声を送ってくれた周囲の人々に向き直り、それぞれのやり方で一礼した。
何度か向きを変えて方々にそれを繰り返し、そろそろ退場したいと考えたその時――ひときわ大きな拍手で僕らを讃えながら、一人の男性が歩み寄ってくるのが見える。
「いやいや、実に素晴らしい! 見事な踊りだった。まるでプロの踊り手だな」
品のある見事な飾りを付けた軍服に、複数の高位な階級章を胸に提げている。堂々とした歩き方で距離を詰め、気さくに僕らに話しかけるその人は――この国の誰もがその名と尊顔を知っている、若き王太子殿下だった。
さすがに僕も驚いて、しばしのあいだ絶句する。セリーナにいたっては、氷のように硬直していた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる