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第2章 二人の誤算
忍び寄る気配 iv(William)
しおりを挟む〝私になにか用だろうか〟
その一言に振り向いた男の動きは非常に素早く、一瞬で飛び退いて数メートルの間合いを取り、迎撃の構えで警戒を露わにしてくる。だが、僕に攻撃の意思が無いと判ると、諦めたのか後ろ手に武器に触れていたと思われる手を離し、低姿勢な構えを解いて立ち上がった。
いつの間にか周囲には数種類もの動物たちが侍っており、その中でも特に気の強い獣はいまだに低く唸って威嚇しているのだが、それに臆する様子も驚く様子も全くない。おそらくだが、この能力のことすらも知り得ているのだろう。
彼の身のこなしから鑑みれば、隙をみて逃げようと思えば逃げられるのだろうに、それをしないのは……こういった事態に陥った場合の指示を受けているからかもしれなかった。
彼は――彼らは、一体なにがしたくて僕らを調べていたのだろうか。
「お前が何者かは知らないが、随分前から私のことを嗅ぎ回っていたことは分かっている」
「……」
「私はその目的を知りたい」
「…………お答えしかねます」
主に直接お尋ねください。そう語る声音は抑揚の欠片も無い。
何度か質問を重ねても、ほとんど中身の無い事か、曖昧にしか語らぬ其の者。分かったのは、やはり王宮に出入りする人物に仕えているらしいということだけ。
主命を伏せながら己の立場を語るその表情は、虚ろと言えなくもないほどに、無機質で無表情である。
彼が放つ言葉の端々から、事の良否や思惑などを推し量ろうにも感情の片鱗すら覗かせない。結局なにも読み取ることが出来なかった。
これがプロの仕事だろうか……なにか違う気がするのは何故だろう。
完全なる〝無〟を前にしたせいか、無性に人恋しくなってくる。言うまでもなく、早くセリーナに会いに行きたいと思った。
彼の後を追うようにして帰路につく。そのまま王宮内のどこかへと案内される道中で、緊張感に欠けるが僕はそんなことを考えていた。
*
案内された部屋の扉を開けて中へと進む。広いが家具の類いは置いていない、普段は使われてない場所のようだった。
縦長の部屋の最奧では、窓を背にした逆光の中に立っているせいで顔は見えないが、こちらを向いている人物が三名ほど。その他に五、六名の男が僕に背を向けた状態で横並びに立っていた。服装からして、自分と同職の者たちが同じように集められているのだと推測する。
フォレスと名乗った案内人に連れられて促され、その並列の最後尾に僕も加わった。それを横目に見ていた男たちの内、一人が意味ありげな視線を投げてきて、思わず内心で溜め息をついていた。
どんどん王宮の深部に向かう道すがらで薄々察していたことだが……東宮に入ったところで確信した。確かに一般人で有り得ない、それなりの権力者だろうと思ってはいたが、まさかここまでの大物だったとは。
一度だけだが間近で話をさせていただいたことはあった。だが、普通に文官をしていれば滅多にお目にかかることはない。
そんな王族の一人である、この東宮の主――王太子殿下自らが、僕らに話しかけてきた。
「よし、これで全員揃ったな――始めよう」
その一言で始まった奇想天外な説明。それを聞けば聞くほどに、僕の中で終始疑問が浮かんでくる。
驚くよりも喜ぶよりも〝なぜ自分が〟という問いかけが先行し、いつまでも渦巻いていた――
「既に知っている者もいるが、君たちはトピアと呼ばれる組織へ迎えられるべく集められた者たちだ。トピアは公式には存在しない組織であるからして、表向きの君たちの職務は今と変わらない。私の采配で、必要時のみ任務に当たってもらうことになる」
「そもそもトピアとは、建国当初に当時の王が王宮内に蔓延る膿を吐き出すために編成された組織が始まりと言われている。しかし、今となっては歴代の王太子が王たる資質を示すために、形式的に組織されるのが慣例となっている。だが、直轄機関であるというのは強みである。言ってみれば空想のような理想を掲げる組織だが、私はこれを本来の目的で行使する。ゆえに与えられる特権が恐ろしく多いと自覚するように。当然だが構成員は厳選する。君たちは全員が何らかの特殊能力あるいはそれに準じる技能や素質があると見込まれた者で、なおかつ人格に問題が無く、国に仕える意思があると判断されたためにここにいる。言わば選ばれた者だ」
「さて、ここからが本題だが……君たちにはこれからメンバーとして活動するために基礎訓練を受けてもらう。なにぶん危険の多い仕事なのでね、一定以上の体術と精神力、それから専門的な知識を三カ月で身に付けてもらうことになる。脱落した者にはメンバーから外れてもらう。その場合――この辞令を断った場合もそうだが、知り得た情報は強制的に忘れてもらう。こちらには特定の記憶を消す手段があるのでそれを行うわけだが、人体に影響は無い。配置換えや降格などといったペナルティも無いので安心して欲しい」
「具体的な仕事内容についてだが――」
(まるで軍隊だな……)
長いようで短かった殿下の説明――目的や手段、任務中の立場や条件、報酬や引退後の待遇などを含めた様々な取り決め内容を、真剣な表情で聞きながら頷いていた隣人の様子からしても、一般的にこれは喜ぶべき栄転と言えるほどの内示であり、名誉な召集なのだと思う……思うが、全くもって惹かれない。
そもそも、任務内容が口外できないのは勿論、任務中は関係者以外の人物とのやりとり(家族や本職の同僚との接触も)禁止というのがいただけない。妻にも知られてはいけないのだから、当然セリーナも除外される。
僕は彼女に対して何かを偽ったり大きな秘密を抱えたまま生活するつもりは一切ないのだが――という事に今、気づいた。
そんなこと、考えたことすら無かった。私生活を脅かすような仕事は勘弁して欲しいと思う。何のために今の職を選んだのか分からなくなる。
(さっさと辞退して記憶を消してもらおう……)
記憶を消去するだなんて、そんなことが簡単にできるものなのかと少々不安になるが、殿下そう仰るのだからそうなのだろう。そこは殿下のお人柄を信じるしかない。他に選択肢も無い。
そもそも殿下ほどの美丈夫が求める〝一定の基準〟とやらを満たせる自信も無いのだ。武術に自信があったなら僕は文官にはなっていなかっただろう。どちらにしろ脱落して記憶を消されるのが目に見えている。
最後に質問はあるかと尋ねられるが、発言する者は誰もいなかった。早々に辞退するつもりの僕としても、余計な口を挟むつもりは無かった。他の者は辞令に対する異論が無いのか、そのまま伝達の手段や返答の期限などを確かめることなく辞去しようとしている。
王太子殿下やその側近方に取り次いでもらうなど、一介の官僚――しかも出仕して一年にも満たない新人で、しがない伯爵家の次男坊でしかない自分には、そうそう簡単にできることではない。公には存在しない組織だけに、はっきり伝えられずにいたせいで無駄に訓練を受けるはめになるのは御免だし、固辞する気持ちは早めに伝えた方が良いだろうと、退室を促された時に発言する許可を求めた。
「身に余る大役ゆえ、私は辞退させていただきたく存じます。どうぞ殿下の仰る記憶に関する措置を取っていただければと、お願い申し上げます」
最敬礼で謝罪の意を表す。すると、少し離れたところから聞き慣れた暢気な声が続いた。
「あ、俺もお願いします~。こういう複雑で頭使う仕事はメンド…じゃなくて向いてないんで!」
(ギルバート、お前……殿下に対して気安いにも程がある。不敬だぞ!)
室内は静まり返っていた。明らかに歯に衣着せぬ物言いのギルバートのせいだろう。どうしてくれようか。
伏せた頭の向こうに居られる方々の温度が急激に下がった気がしなくもない。
成り行きとはいえ、こんな奴と同時に辞令を断る流れになってしまい、僕まで非常識に見える可能性に行き当たり……なんて迷惑なやつなんだ!と声には出さずに憤った。
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