秘密の花園エッセンス 〜異能青年は花嫁と踊る〜

文月・F・アキオ

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第2章 二人の誤算

迫り来る期日 iii(Selina)

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 近いようで遠い道のりの半ばで、セリーナは早々に息を切らしていた。
 痛むほどに高鳴る心臓をなだめるべく歩調を緩め、でもやや急ぎ足で夜の街を歩いていく。



 余日よじつの、しかもこんなに遅い時間ということもあり、ここまで誰ともすれ違うことなくきていた。

 衣摺れ、足音、息づかい。全てが自分から発せられる音のみで、それ以外の気配はさっぱり感じられない。
 まるでこの世の全てが寝静まっているかのような静寂に包まれていて、ちゃんと警備の目は行き届いているのか……余計な世話と思いつつ、少しだけ王都の守りが心配になった。

 しかし、考えてみれば今日ほど無断外出に適した日はなかっただろう。
 今夜から明日にかけての、家族や住み込みの使用人たちの外泊予定を思い浮かべ、改めてそう感じるセリーナだった。


 しんと冷えた空気の中で、コトコトと軽い音が響く。
 セリーナが板石を踏みしめるささやかな足音が、溶けて消えるように闇に吸い込まれていった。


 その音に、離れた場所からの他人の足音がかすかに混じり始めた時、セリーナは足を止めて確かめてから逆走し、狭い路地を曲がった先にある積み荷の陰にうずくまって身を隠した。
 こんな時間だからこそ、他人との余計な接触を避けられるのなら全力で避けるべきとの判断だった。

 だが、近づく足音が複数ではないことに安堵したのも束の間……何故かその足音は通り過ぎることなく路地の手前で立ち止まり、あろうことかセリーナが身を潜めている場所へ接近してきたのである。
 護身術はおろか身を守る武器になるような物すら持ち合わせていないセリーナである。かくなる上は自慢の逃げ足で突破しようかと駆け出そうとしたその時――


「セリーナ……」


 小さな囁き声でいて、胸に甘く響く旋律で。

 呼び止められて振り返った次の瞬間には、セリーナは身動きできないほど強く抱きしめられていた。





 (ウィルが、迎えに来てくれた……)

 考えてみれば、味方の多い彼には自分の突飛な行動は全てお見通しだったろう。
 きっと急いで駆けつけてくれたのだ。いつもきちんと整えている服が少し乱れている。心配させてしまったのかもしれない……


 そんなことを考えながらセリーナは、胸いっぱいにウィリアムの香りを吸い込んだ。
 行き届かないままだった末端に養分が運ばれるかのように、不足していたものが補充され、みるみる満たされていくのを感じる。
 嬉しくてたまらず、どうにか身じろいで腕を抜き、ウィリアムの背をしっかりと抱きしめ返したのだった。


「ウィル……」

 呟くとわずかに腕が弱められる。

「……リーナ。何があった?」

 頭を抱え込まれたままで、少しだけ強ばった声が落とされた。

「違うわ……なにも無いの。本当よ。ごめんなさい、驚かせて……」


 セリーナが埋まっていた顔を持ち上げようともがくと支えていた腕が離れる。見上げるとウィリアムの顔が至近距離に迫っていた。
 暗がりにあって表情は読めないが、頰に触れた温かい手の平は、確かめるような動作で撫でている。
 やがて音もなく重ねられた唇は、やはりいつものウィリアムのものであり……セリーナは深く安堵した。

 それでいて、いつものウィリアムらしからぬ荒々しいほど情熱的なキスに驚き、胸を高鳴らせたのだった。





   *





 耳に届くのは湿った感触がもたらす水音と、ときおり漏れる二人分の荒い息づかい――

 だんだんと勢いはなりを潜めていき、最初の激しく重ね合わせて貪るような、熱量をぶつけ合うような行為から、ねっとりと舐るような絡み合う口付けに変わっていた。

 セリーナは頭の後ろを押さえつけられていて、少しも離れることができなかった――離れたいとも思えない。
 自分からキスしやすいようにと爪先立ちになっていた足が震えてくる頃には、両腕をウィルの首に絡めて強く引き寄せていた。
 もしかしたら無理な姿勢を取らせていたかもしれない。


 今までにも一カ月くらい会えないことはよくあった。それなのに――

 届きそうで届かない場所にいる、その事実が……王都という、想像以上に華やかで誘惑の多い、この場所が。
 弱くなる心と、激しい渇望を生み出してしまったのか。セリーナもまた、いつもとは違った様相で――湧き出る衝動を持て余していた。





(この瞬間がずっと続けばいいのに……)

 どれくらいそうしていたのだろうか……月明かりの角度が変わる程には長い時間だったのだろう。

 狭い路地を何度も冷たい夜風が通り抜け、互いの放つ熱に負けてじわじわと寒さを感じるようになった頃。
 セリーナたちはようやく繋がりを解いて体を離し、見つめ合う。

 顔が火照ってとても熱い……言葉もなく口内を貪りあっていた事実が恥ずかしい。
 激しくしすぎて顎が少し痛むし、どことは言えない場所が濡れてひんやりする。

 随分と夢中になっていたようだと、セリーナは急激な羞恥に苛まれる。
 そんなセリーナと同じように、ウィリアムからも照れたような気配が感じられた。


「ごめん、リーナ。寒かったよな」
「そ、そうね。少しだけ……」
「リーナは……僕に会いに来てくれたのか?」
「……ご、ごめんなさいッ。こんな時間に迷惑だとは思ったけど、急に会いたくなってしまって……それで、思わず……」
「思わず、抜け出して来た?」
「……」

 セリーナはこくりと無言で首肯した。

 今更だが、ウィリアムに叱られると思うと辛かった。呆れられてしまうかもと考えたら、少しずつ怖くなってきてしまう。

「そうか……」

 ため息混じりの呟きが、悪い予感を後押しする。


「愛してるセリーナ。ありがとう」

 言いながらチュッと頰に口付けられた。
 予想外の反応に驚いていると、今度は優しく抱きしめられる。

 耳元で「ものすごく会いたかった」と囁かれたことで、共鳴鳥コールバードが漏らした言葉は本当のことだったのだと実感した。

 次からはもっと計画的に、安全に配慮した行動をしなければならないと、深く反省させられた突発的な行動だったけれど……その原動力となったセリーナの恋情を、ウィリアムは真正面から受け止めて、同じくらいの愛情を返してくれた。


(そういうところが好き……本当に、心から。愛しているのは私のほうだわ……)


 セリーナは心の中で反抗するように呟いていた。





   *





 少しでも良いから会いたいという衝動のままにウィリアムを訪ねようとしたセリーナだったが、こうして一目会えたからといってすぐに立ち去れるわけもなく……
 早々に屋敷に帰るべきだという常識と、ギリギリまで一緒にいたいという願望に挟まれてしばし葛藤する。

 未だに離される気配の無い繋いだ両手を見る限り、ウィリアムも同じことで悩んでいるのが窺えた。

 そうしていくばくか迷っていると、意を決したように彼が言う。

「セリーナ。僕は、夜明けまでに戻れば何とかなるんだ。帰りはもちろん送って行く。だから、リーナが良ければ……もうしばらく、僕と一緒に過ごさないか?」
「……ええ……いいわ。喜んで」



 セリーナとて、その言葉が含む別の意味や付随するものに気付かないわけじゃない。
 婚約者同士であるとはいえ、夜中に未婚の男女が二人きりで過ごすなんて……不道徳極まりないのも分かっている。
 だが、自分たちはとうにそんなのりは越えている――今更なことだった。
 ウィリアムからの誘いや申し出なら、答えはいつだって〝承諾イエス〟だろう。

 それが自分の幸せであると――この時のセリーナは信じて疑わなかった。







 その日ついに怪鳥アベルの背に乗せてもらうという夢が叶ったセリーナは、月の浮かぶ夜空へと舞い上がることになる。
 きらめく水面のように流れ去っていく街の灯りを眺めながら、風をきって進んでいるはずのアベルが纏う、不思議な無抵抗感に包まれながら飛んでいた。

 傍らには自分を支えるウィリアムの腕と温もり……セリーナはそれだけでも十分に安心できると感じながら。思いがけず楽しい初飛行となった。


 こんなに素晴らしい経験をさせてくれたウィリアムに、今度は自分も同じように彼の願いを叶えたい――そんなことを考えた。

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