28 / 52
第三章 その胸に育つもの
第3話 それぞれの一番
しおりを挟む
そっと扉から顔だけを出し廊下をきょろきょろとうかがうも、ティアーナの姿はなかった。
まだ柱に隠れているだろうか。
けれど覗いてみてもそこにはいない。
時間も経っているし、さすがに今日は引き上げたのだろう。
ほっとしたけれど、問題が先送りになっただけではある。
そしてその間にティアーナの怒りが過熱していかないかと心配でもある。
けれどいないものは仕方がない。
そう諦めて部屋に戻ろうと歩き出すと、後ろから階段を上がってくる足音が聞こえた。
ティアーナが戻ってきたのか。
そう思い振り返ると、廊下に姿を現したのは本を何冊も抱えたスヴェンだった。
スヴェンも夜風で冷えたのか、シャツの上からローブを羽織っている。
「また豚……?」
「グッガ!」
「先ほどと同じ豚ですか?」
こくりと頷くと、スヴェンは眉を寄せた。
「まさか。言葉を理解していますか?」
あ。しまった。
本物の豚じゃないとわかったらそれはそれでどうなるのだろう。
考えていなかった。
「騙しましたね……? すっかりただの豚だと思い、いらぬことをぺらぺらと――。あなたをこのまま生かして帰すわけにはいきませんね」
あーー――。
そっちのパターンだったか。
ただ殺されるくらいだったら食べられたほうがマシだったかもしれない。
いや。それはなんだか嫌だな……。
出された食べ物は命を無駄にせず食べるべきと私も思ってきたけれど、自分がそうなると思うとただ殺されるほうがマシに思う。
他の豚も同じように思うのかはわからないけれど、とにかく今はそんなことよりも逃げよう。
スヴェンに背を向けだっと走り出すと、二歩で捕まった。
――ああ、あっけなかった。
「そう何度も私から逃げられるとお思いですか? 浅はかですね。二番煎じはくらいませんよ」
すごい。物語で悪役がよく言う台詞が勢ぞろいだ。
現実に聞くとは思っていなかった。つまりこれは詰み、という状況だ。
ぷぎゃあと鳴いたらレイノルド様は来てくれるだろうか。
助けてくれるだろうか。
守ってくれたのに抜け出して窮地に陥っておきながら、そんな勝手なことを言えはしない。
自分でどうにかしなければ。
暴れよう。
とにかくやたらめったら手足を動かしてみれば、スヴェンは片手で抱えていた本をばさりと投げ捨て、両手でぎゅっと抱き込んだ。
レイノルド様の時とは全然違う。
とにかく冷気と怒気しか感じない。
怖い。
そう思った瞬間だった。
ぽすん。と気の抜けた音がして、ぷらりと宙に浮いていた足が床に触れ、一気に体の重みが返ってきた。
ここで人間に戻るとは、都合がいいのか悪いのか。
とりあえずベルトの金具だとかシャツのボタンだとか、スヴェンに抱き込まれて肌に触れている所があちこち痛い。
豚の皮膚より人間の皮膚のほうが薄いようだ。
豚と人間では胴回りが違いすぎるのだから当たり前だけれど、抱き込まれた腕が急に狭くなったのもとても苦しい。
「うぐぅ」
思わず呻くと、はっと息を呑む音が聞こえ、べりっと肩を引き剥がされ、べしゃっと床に投げ捨てられた。
痛い。めちゃくちゃ痛い。
服って偉大。
あんな薄さで防御力なんて無いに等しいと思っていたけれど、着ているのと着ていないのではまるでダメージが違う。
痛さに呻いていると、チィィッッ! と盛大な舌打ちが聞こえた。
「おまえか!!!」
「はい。すみません」
「謝って済むと思うか?」
済まないとはわかっている。だが勝手に喋り出したのはそちらだ。私は黙って聞いていただけ。
けれど何か言うよりも先にばさりとローブが投げつけられ、頭からかぶってしまい視界が真っ暗になった。
なんかあれだな。貴族が手袋を投げつけるみたいな。
これから命のやり取りが始まるのだから決闘のようなものだが。
スヴェンは銀縁眼鏡を指の腹で押し上げ、ビシリと私の部屋を指さす。
「とにかく服を着てきなさい」
「はい」
「私はここで待ちます」
「はい」
大人しく返事をして投げつけられたローブをありがたく羽織らせてもらい、部屋へすごすごと戻る。
しかし先ほど部屋の入口に本を押し込んであったせいで豪快につまずき、絨毯にずさっと転ぶ。
痛い。膝が擦り剝けた。
泣きたい気持ちになりながら扉を閉めて急いで服を着ると、覚悟を決めて部屋から出た。
借りたローブを「ありがとうございました!」と恭しく差し出すも、なかなかスヴェンは受け取らない。
何故だか躊躇うような時間があり、結局ガッと乱暴に掴み「ついて来なさい」と歩き出した。
寒かったから着ていたのだろうに、ローブは羽織らず鷲掴みしたままだ。
もしかして私が裸の上に着てしまったから汚くて触りたくないのだろうか。
それは申し訳ないことをした。
黙ってついていくと、先ほどのバルコニーへと出て、瞳に怜悧な光を宿らせたスヴェンが振り返る。
「まずは話してもらいましょうか。何故豚の姿になどなっていたのですか?」
「ティアーナに夜だけ豚になる魔法をかけられまして」
「ティアーナが? ……何故?」
まあなんでそんなことをするのか、すぐには理解できないと思う。
「レイノルド様が私で暖をとって眠るのが気に入っていたようで、それができないように、と」
けれどその一言ですぐ理解したようで、なるほどというようにため息を吐き、額を抑えた。
「豚では喋れないのですか?」
「うまく鳴くこともできません」
だからしょうがないですよね。
そう言いたい。
「何故黙って聞いていたのです」
「それは違うと。言いたかったからです」
「――違う?」
「レイノルド様はティアーナさんを咎めたのではないと思います。最初から気づいていたのに何も言わなかったのは、レイノルド様が仰った通り、ティアーナさんが国のために考え動いていることを知っていたから。それを尊重していたのだと思います」
先ほどは言いたくても言えなかったことを必死に話すと、スヴェンは考えるように黙り込んだ。
「ただレイノルド様はそんなことをしてもすべてわかっていると、隠せはしないと言いたかったのだと思います」
甘いぞ、と言っているように聞こえた。
スヴェンが足もとを睨むようにして言葉を発さないでいるその間に、私は続けた。
「レイノルド様はお二人よりも私を大事にしているのではなく、それぞれを尊重してくださっているのだと思います。臣下として。そして私のことは客人として。それはどちらが大切ということではないのだと思います」
「客人、ですか――。あれが客人に対するものであるならば、ここまでティアーナも私もあなたを排除しようとはしないのですがね」
「レイノルド様が私に関心をお持ちだからですか? それは私が持つ属性があまりに物珍しいので……」
国を滅ぼすだとか、国を追い出されただとか、行き倒れていたとか、経緯を話すほどに特殊な状況が出てきて、興味を買ったのだと思うけれど。
私の言動が面白く聞こえるのは生死の狭間にあった必死さと、獣人と人間という価値観や慣習の違いがあるからで、別に私自身がどうこうというわけではないと思う。
「今は『滅びの魔女』の言い伝えを追うことがレイノルド様の興味の対象にもなっていますが、それが明らかになる頃には人間などこのようなものかと関心もなくなるかもしれません」
言いながら、なんだか言葉と心がちぐはぐな感じがして、言葉がまごついた。
違う。
そのはずだったけれど、そうじゃない気がする。
レイノルド様は私自身を見てくれている。そう思える瞬間が何度もあって。そのことに私は何度も心を救われてきた。
だから。
ただ私が身に纏っている属性を面白がっているのではない。
そう思いたい自分がいる。
だけど本当にいつか興味を失う時がくるかもしれない。
それを口にして、怖くなった。
嫌だと思った。
そんな日が来なければいいのにと。
このお城が、レイノルド様の傍があまりに心地よすぎて。
『滅びの魔女』のことが明らかになっても、ずっとここにいたいと思ってしまう。
だけど、スヴェンやティアーナが私を排除したい気持ちもわかる。
害がなかろうと、強くもない。役にも立たない。縁もない他国から来たそんな人間を受け入れろというほうが傲慢だ。
「その日が一日でも早く来ることを願いますがね。その時は潔くさっさと出て行っていただきましょう」
ふいっと横を向いたスヴェンに、苦笑を返すことしかできなかった。
いやだ、と思ってしまったから。
約束することはできない。
「ときに」
スヴェンが庭に目を向けたまま銀縁眼鏡を指でくいっと持ち上げ、腕を組む。
「勘違いしないようにだけ、していただきたい」
「何をでしょうか……?」
「うっかり裸を見てしまって変に意識するようになってあらぬ想いがなどという展開が物語には時折描かれますが私にはそのようなことなど一切ありえませんので」
息継ぎなしに一気に言ってギロリと睨み、すぐにふいっと顔を背けた。
その目はぎらぎらと怒りを滾らせたままで、組んだ腕に指をとんとん忙しなく打ち付けている。
「恋物語とか読むんですね」
「私ではありません。そういう記憶があるのです」
そうか。スヴェンは先祖代々の記憶を引き継いでいると言っていた。
普段は蓋をしているとは言っていたけれど、ふとした時に溢れてくるのか、ああして記憶を引き出した時に見えたのだろうか。
膨大過ぎる記憶と生きるというのも人にはわからない苦労がありそうだ。
「目が見れないとか正視できないとかそのようなことではなく私はあなたに対する苛立ちを抑え込もうと必死に己の自制心と戦っているだけです。何故ならばあなたを害することはレイノルド様の意思に反することであるから見逃さねばならないとより怒りが滾るのでその存在を見ぬ以外に私の苛立ちを抑える方法がないだけです」
早口でまくしたてるから途中から何を言っているのかよくわからないけれど、そういえばこれまでさんざん恐ろしい形相で睨まれてきたのに、全然目が合わない。
そうか。スヴェンでも気まずいのか。
しかし、昼間は「見るか!!!」と怒られたのに結局見られてしまった。
男の格好はしてきたけれど、一応私にも恥じらいや乙女心というものはある。
スヴェンに非があることでもないし、責任を取れとは言わないけれど、なんだか大切なものを失くしたような気分にはなる。
思わずしょげていると、余計に気まずくなったのか、スヴェンは早口を止めて黙り込んでしまった。
「この辺にしておいて差し上げましょう。私が受け入れようとそうであるまいと、あなたはレイノルド様の客人ですから。部屋まで送ります」
ええ? 急に紳士。
「いえ、自分で戻れますので」
「夜に勝手にうろつかれるのは困ります。この階はレイノルド様が夜くらいは静かに寝せろと見張りの兵士も遠ざけてありますからね。レイノルド様は他者の気配を強く感じ取りますから、ゆっくりと眠るには気に障るのでしょう」
だからこの廊下には見張りの兵士が置かれていなかったのか。
けれど、私が同じベッドで寝ているのはいいのだろうか。
それよりも温いほうが優先なのかもしれない。
考えている間にスヴェンはすたすたと歩き出し、私も足音を立てぬようについていった。
部屋の前まで来ると、スヴェンは冷たく光る銀縁眼鏡越しに私を見下ろした。
「絶対に。何があっても。私があなたに間違った感情を抱くことなどありえませんから。あらぬ妄想などしないように。これは物語ではないのですから」
どんなに夢見がちでもこれだけ敵意を向けられていて突然それはないとわかる。
そもそもこの城にいても部屋と資料室の往復ばかりの私はスヴェンに会うことも滅多にないし。
そのうち見てしまった、見られてしまった気まずさも消えていくことだろう。
そんなことよりもティアーナのことを考えなくては。
次から次へと、頭が痛い。
まだ柱に隠れているだろうか。
けれど覗いてみてもそこにはいない。
時間も経っているし、さすがに今日は引き上げたのだろう。
ほっとしたけれど、問題が先送りになっただけではある。
そしてその間にティアーナの怒りが過熱していかないかと心配でもある。
けれどいないものは仕方がない。
そう諦めて部屋に戻ろうと歩き出すと、後ろから階段を上がってくる足音が聞こえた。
ティアーナが戻ってきたのか。
そう思い振り返ると、廊下に姿を現したのは本を何冊も抱えたスヴェンだった。
スヴェンも夜風で冷えたのか、シャツの上からローブを羽織っている。
「また豚……?」
「グッガ!」
「先ほどと同じ豚ですか?」
こくりと頷くと、スヴェンは眉を寄せた。
「まさか。言葉を理解していますか?」
あ。しまった。
本物の豚じゃないとわかったらそれはそれでどうなるのだろう。
考えていなかった。
「騙しましたね……? すっかりただの豚だと思い、いらぬことをぺらぺらと――。あなたをこのまま生かして帰すわけにはいきませんね」
あーー――。
そっちのパターンだったか。
ただ殺されるくらいだったら食べられたほうがマシだったかもしれない。
いや。それはなんだか嫌だな……。
出された食べ物は命を無駄にせず食べるべきと私も思ってきたけれど、自分がそうなると思うとただ殺されるほうがマシに思う。
他の豚も同じように思うのかはわからないけれど、とにかく今はそんなことよりも逃げよう。
スヴェンに背を向けだっと走り出すと、二歩で捕まった。
――ああ、あっけなかった。
「そう何度も私から逃げられるとお思いですか? 浅はかですね。二番煎じはくらいませんよ」
すごい。物語で悪役がよく言う台詞が勢ぞろいだ。
現実に聞くとは思っていなかった。つまりこれは詰み、という状況だ。
ぷぎゃあと鳴いたらレイノルド様は来てくれるだろうか。
助けてくれるだろうか。
守ってくれたのに抜け出して窮地に陥っておきながら、そんな勝手なことを言えはしない。
自分でどうにかしなければ。
暴れよう。
とにかくやたらめったら手足を動かしてみれば、スヴェンは片手で抱えていた本をばさりと投げ捨て、両手でぎゅっと抱き込んだ。
レイノルド様の時とは全然違う。
とにかく冷気と怒気しか感じない。
怖い。
そう思った瞬間だった。
ぽすん。と気の抜けた音がして、ぷらりと宙に浮いていた足が床に触れ、一気に体の重みが返ってきた。
ここで人間に戻るとは、都合がいいのか悪いのか。
とりあえずベルトの金具だとかシャツのボタンだとか、スヴェンに抱き込まれて肌に触れている所があちこち痛い。
豚の皮膚より人間の皮膚のほうが薄いようだ。
豚と人間では胴回りが違いすぎるのだから当たり前だけれど、抱き込まれた腕が急に狭くなったのもとても苦しい。
「うぐぅ」
思わず呻くと、はっと息を呑む音が聞こえ、べりっと肩を引き剥がされ、べしゃっと床に投げ捨てられた。
痛い。めちゃくちゃ痛い。
服って偉大。
あんな薄さで防御力なんて無いに等しいと思っていたけれど、着ているのと着ていないのではまるでダメージが違う。
痛さに呻いていると、チィィッッ! と盛大な舌打ちが聞こえた。
「おまえか!!!」
「はい。すみません」
「謝って済むと思うか?」
済まないとはわかっている。だが勝手に喋り出したのはそちらだ。私は黙って聞いていただけ。
けれど何か言うよりも先にばさりとローブが投げつけられ、頭からかぶってしまい視界が真っ暗になった。
なんかあれだな。貴族が手袋を投げつけるみたいな。
これから命のやり取りが始まるのだから決闘のようなものだが。
スヴェンは銀縁眼鏡を指の腹で押し上げ、ビシリと私の部屋を指さす。
「とにかく服を着てきなさい」
「はい」
「私はここで待ちます」
「はい」
大人しく返事をして投げつけられたローブをありがたく羽織らせてもらい、部屋へすごすごと戻る。
しかし先ほど部屋の入口に本を押し込んであったせいで豪快につまずき、絨毯にずさっと転ぶ。
痛い。膝が擦り剝けた。
泣きたい気持ちになりながら扉を閉めて急いで服を着ると、覚悟を決めて部屋から出た。
借りたローブを「ありがとうございました!」と恭しく差し出すも、なかなかスヴェンは受け取らない。
何故だか躊躇うような時間があり、結局ガッと乱暴に掴み「ついて来なさい」と歩き出した。
寒かったから着ていたのだろうに、ローブは羽織らず鷲掴みしたままだ。
もしかして私が裸の上に着てしまったから汚くて触りたくないのだろうか。
それは申し訳ないことをした。
黙ってついていくと、先ほどのバルコニーへと出て、瞳に怜悧な光を宿らせたスヴェンが振り返る。
「まずは話してもらいましょうか。何故豚の姿になどなっていたのですか?」
「ティアーナに夜だけ豚になる魔法をかけられまして」
「ティアーナが? ……何故?」
まあなんでそんなことをするのか、すぐには理解できないと思う。
「レイノルド様が私で暖をとって眠るのが気に入っていたようで、それができないように、と」
けれどその一言ですぐ理解したようで、なるほどというようにため息を吐き、額を抑えた。
「豚では喋れないのですか?」
「うまく鳴くこともできません」
だからしょうがないですよね。
そう言いたい。
「何故黙って聞いていたのです」
「それは違うと。言いたかったからです」
「――違う?」
「レイノルド様はティアーナさんを咎めたのではないと思います。最初から気づいていたのに何も言わなかったのは、レイノルド様が仰った通り、ティアーナさんが国のために考え動いていることを知っていたから。それを尊重していたのだと思います」
先ほどは言いたくても言えなかったことを必死に話すと、スヴェンは考えるように黙り込んだ。
「ただレイノルド様はそんなことをしてもすべてわかっていると、隠せはしないと言いたかったのだと思います」
甘いぞ、と言っているように聞こえた。
スヴェンが足もとを睨むようにして言葉を発さないでいるその間に、私は続けた。
「レイノルド様はお二人よりも私を大事にしているのではなく、それぞれを尊重してくださっているのだと思います。臣下として。そして私のことは客人として。それはどちらが大切ということではないのだと思います」
「客人、ですか――。あれが客人に対するものであるならば、ここまでティアーナも私もあなたを排除しようとはしないのですがね」
「レイノルド様が私に関心をお持ちだからですか? それは私が持つ属性があまりに物珍しいので……」
国を滅ぼすだとか、国を追い出されただとか、行き倒れていたとか、経緯を話すほどに特殊な状況が出てきて、興味を買ったのだと思うけれど。
私の言動が面白く聞こえるのは生死の狭間にあった必死さと、獣人と人間という価値観や慣習の違いがあるからで、別に私自身がどうこうというわけではないと思う。
「今は『滅びの魔女』の言い伝えを追うことがレイノルド様の興味の対象にもなっていますが、それが明らかになる頃には人間などこのようなものかと関心もなくなるかもしれません」
言いながら、なんだか言葉と心がちぐはぐな感じがして、言葉がまごついた。
違う。
そのはずだったけれど、そうじゃない気がする。
レイノルド様は私自身を見てくれている。そう思える瞬間が何度もあって。そのことに私は何度も心を救われてきた。
だから。
ただ私が身に纏っている属性を面白がっているのではない。
そう思いたい自分がいる。
だけど本当にいつか興味を失う時がくるかもしれない。
それを口にして、怖くなった。
嫌だと思った。
そんな日が来なければいいのにと。
このお城が、レイノルド様の傍があまりに心地よすぎて。
『滅びの魔女』のことが明らかになっても、ずっとここにいたいと思ってしまう。
だけど、スヴェンやティアーナが私を排除したい気持ちもわかる。
害がなかろうと、強くもない。役にも立たない。縁もない他国から来たそんな人間を受け入れろというほうが傲慢だ。
「その日が一日でも早く来ることを願いますがね。その時は潔くさっさと出て行っていただきましょう」
ふいっと横を向いたスヴェンに、苦笑を返すことしかできなかった。
いやだ、と思ってしまったから。
約束することはできない。
「ときに」
スヴェンが庭に目を向けたまま銀縁眼鏡を指でくいっと持ち上げ、腕を組む。
「勘違いしないようにだけ、していただきたい」
「何をでしょうか……?」
「うっかり裸を見てしまって変に意識するようになってあらぬ想いがなどという展開が物語には時折描かれますが私にはそのようなことなど一切ありえませんので」
息継ぎなしに一気に言ってギロリと睨み、すぐにふいっと顔を背けた。
その目はぎらぎらと怒りを滾らせたままで、組んだ腕に指をとんとん忙しなく打ち付けている。
「恋物語とか読むんですね」
「私ではありません。そういう記憶があるのです」
そうか。スヴェンは先祖代々の記憶を引き継いでいると言っていた。
普段は蓋をしているとは言っていたけれど、ふとした時に溢れてくるのか、ああして記憶を引き出した時に見えたのだろうか。
膨大過ぎる記憶と生きるというのも人にはわからない苦労がありそうだ。
「目が見れないとか正視できないとかそのようなことではなく私はあなたに対する苛立ちを抑え込もうと必死に己の自制心と戦っているだけです。何故ならばあなたを害することはレイノルド様の意思に反することであるから見逃さねばならないとより怒りが滾るのでその存在を見ぬ以外に私の苛立ちを抑える方法がないだけです」
早口でまくしたてるから途中から何を言っているのかよくわからないけれど、そういえばこれまでさんざん恐ろしい形相で睨まれてきたのに、全然目が合わない。
そうか。スヴェンでも気まずいのか。
しかし、昼間は「見るか!!!」と怒られたのに結局見られてしまった。
男の格好はしてきたけれど、一応私にも恥じらいや乙女心というものはある。
スヴェンに非があることでもないし、責任を取れとは言わないけれど、なんだか大切なものを失くしたような気分にはなる。
思わずしょげていると、余計に気まずくなったのか、スヴェンは早口を止めて黙り込んでしまった。
「この辺にしておいて差し上げましょう。私が受け入れようとそうであるまいと、あなたはレイノルド様の客人ですから。部屋まで送ります」
ええ? 急に紳士。
「いえ、自分で戻れますので」
「夜に勝手にうろつかれるのは困ります。この階はレイノルド様が夜くらいは静かに寝せろと見張りの兵士も遠ざけてありますからね。レイノルド様は他者の気配を強く感じ取りますから、ゆっくりと眠るには気に障るのでしょう」
だからこの廊下には見張りの兵士が置かれていなかったのか。
けれど、私が同じベッドで寝ているのはいいのだろうか。
それよりも温いほうが優先なのかもしれない。
考えている間にスヴェンはすたすたと歩き出し、私も足音を立てぬようについていった。
部屋の前まで来ると、スヴェンは冷たく光る銀縁眼鏡越しに私を見下ろした。
「絶対に。何があっても。私があなたに間違った感情を抱くことなどありえませんから。あらぬ妄想などしないように。これは物語ではないのですから」
どんなに夢見がちでもこれだけ敵意を向けられていて突然それはないとわかる。
そもそもこの城にいても部屋と資料室の往復ばかりの私はスヴェンに会うことも滅多にないし。
そのうち見てしまった、見られてしまった気まずさも消えていくことだろう。
そんなことよりもティアーナのことを考えなくては。
次から次へと、頭が痛い。
62
あなたにおすすめの小説
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
【完結】『推しの騎士団長様が婚約破棄されたそうなので、私が拾ってみた。』
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【完結まで執筆済み】筋肉が語る男、冷徹と噂される騎士団長レオン・バルクハルト。
――そんな彼が、ある日突然、婚約破棄されたという噂が城下に広まった。
「……えっ、それってめっちゃ美味しい展開じゃない!?」
破天荒で豪快な令嬢、ミレイア・グランシェリは思った。
重度の“筋肉フェチ”で料理上手、○○なのに自由すぎる彼女が取った行動は──まさかの自ら押しかけ!?
騎士団で巻き起こる爆笑と騒動、そして、不器用なふたりの距離は少しずつ近づいていく。
これは、筋肉を愛し、胃袋を掴み、心まで溶かす姉御ヒロインが、
推しの騎士団長を全力で幸せにするまでの、ときめきと笑いと“ざまぁ”の物語。
料理スキルしか取り柄がない令嬢ですが、冷徹騎士団長の胃袋を掴んだら国一番の寵姫になってしまいました
さら
恋愛
婚約破棄された伯爵令嬢クラリッサ。
裁縫も舞踏も楽器も壊滅的、唯一の取り柄は――料理だけ。
「貴族の娘が台所仕事など恥だ」と笑われ、家からも見放され、辺境の冷徹騎士団長のもとへ“料理番”として嫁入りすることに。
恐れられる団長レオンハルトは無表情で冷徹。けれど、彼の皿はいつも空っぽで……?
温かいシチューで兵の心を癒し、香草の香りで団長の孤独を溶かす。気づけば彼の灰色の瞳は、わたしだけを見つめていた。
――料理しかできないはずの私が、いつの間にか「国一番の寵姫」と呼ばれている!?
胃袋から始まるシンデレラストーリー、ここに開幕!
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
【完結】追放された私、宮廷楽師になったら最強騎士に溺愛されました
er
恋愛
両親を亡くし、叔父に引き取られたクレアは、義妹ペトラに全てを奪われ虐げられていた。
宮廷楽師選考会への出場も拒まれ、老商人との結婚を強要される。
絶望の中、クレアは母から受け継いだ「音花の恵み」——音楽を物質化する力——を使い、家を飛び出す。
近衛騎士団隊長アーロンに助けられ、彼の助けもあり選考会に参加。首席合格を果たし、叔父と義妹を見返す。クレアは王室専属楽師として、アーロンと共に新たな人生を歩み始める。
虐げられた私が姉の策略で結婚させられたら、スパダリ夫に溺愛され人生大逆転しました。
専業プウタ
恋愛
ミリア・カルマンは帝国唯一の公爵家の次女。高貴な皇族の血を引く紫色の瞳を持って生まれたワガママな姉の陰謀で、帝国一裕福でイケメンのレナード・アーデン侯爵と婚約することになる。父親であるカルマン公爵の指示のもと後継者としてアカデミーで必死に勉強してきて首席で卒業した。アカデミー時代からの恋人、サイラスもいる。公爵になる夢も恋人も諦められない。私の人生は私が決めるんだから、イケメンの婚約者になど屈しない。地位も名誉も美しさも備えた婚約者の弱みを握り、婚約を破棄する。そして、大好きな恋人と結婚してみせる。そう決意して婚約者と接しても、この婚約者一筋縄ではいかない。初対面のはずなのに、まるで自分を知っていたかのような振る舞い。ミリアは恋人を裏切りたくない、姉の思い通りになりたくないと思いつつも彼に惹かれてく気持ちが抑えられなくなっていく。
氷の騎士と陽だまりの薬師令嬢 ~呪われた最強騎士様を、没落貴族の私がこっそり全力で癒します!~
放浪人
恋愛
薬師として細々と暮らす没落貴族の令嬢リリア。ある夜、彼女は森で深手を負い倒れていた騎士団副団長アレクシスを偶然助ける。彼は「氷の騎士」と噂されるほど冷徹で近寄りがたい男だったが、リリアの作る薬とささやかな治癒魔法だけが、彼を蝕む古傷の痛みを和らげることができた。
「……お前の薬だけが、頼りだ」
秘密の治療を続けるうち、リリアはアレクシスの不器用な優しさや孤独に触れ、次第に惹かれていく。しかし、彼の立場を狙う政敵や、リリアの才能を妬む者の妨害が二人を襲う。身分違いの恋、迫りくる危機。リリアは愛する人を守るため、薬師としての知識と勇気を武器に立ち向かうことを決意する。
私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私は実は“本物の聖女”でした。
さら
恋愛
私――ミリアは、クラスで地味で取り柄もない“都合のいい子”だった。
そんな私が、いじめの張本人だった美少女・沙羅と一緒に異世界へ召喚された。
王城で“聖女”として迎えられたのは彼女だけ。
私は「魔力が測定不能の無能」と言われ、冷たく追い出された。
――でも、それは間違いだった。
辺境の村で出会った青年リオネルに助けられ、私は初めて自分の力を信じようと決意する。
やがて傷ついた人々を癒やすうちに、私の“無”と呼ばれた力が、誰にも真似できない“神の光”だと判明して――。
王都での再召喚、偽りの聖女との再会、かつての嘲笑が驚嘆に変わる瞬間。
無能と呼ばれた少女が、“本物の聖女”として世界を救う――優しさと再生のざまぁストーリー。
裏切りから始まる癒しの恋。
厳しくも温かい騎士リオネルとの出会いが、ミリアの運命を優しく変えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる