伯爵令嬢は身代わりに婚約者を奪われた、はずでした

佐崎咲

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第4章 来客

第9話

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 おいおいと泣き続けるジェームズにリッカが即席の葉っぱ下ばきをこしらえているのを遠目に眺めながら、その場に集まった面々はやれやれと肩を下ろした。

「みんな、こんな真っ暗な森の中を助けに来てくれてありがとう」

「それぞれに探しに出ていたんですがね。途中でフリージア様の心の声が聞こえて、我先にと駆けだしたのですが。私が一番遅かったですね」

 フリージアが目覚めた後、ジェームズに迫られて思わず強く助けを求めてしまっていたのかもしれない。
 油断からみんなを騒がせてしまったことを申し訳なく思いながらも、感謝が込み上げた。

「ブライアンはジュナやユウのような翼もないのに、その逞しい足で探し回ってくれたのよね。こんな遠くまで駆け付けてくれてありがとう」

 同じライカンスロープでも手足と耳だけが変わるリッカとは姿の変わり方が違うようで、ブライアンは盛り上がった筋肉とふさふさの毛皮で白衣がはちきれそうになっていた。
 今はその白衣を、人の姿に戻ったグレイが羽織っている。

「私はコウモリの姿にはなれないはずだったんですが、声が聞こえたら怒りでブチッと切れて。気付いたら超高速で飛んでました。コウモリってすごく早いですね」

 と言ったのは近くの木にぶらさがっているユウだが、グレイが通訳してくれた。
 ユウの分の服はさすがになく、人の姿には戻れないままなのだ。

「真っ先に駆け付けてくれたわね。とても嬉しかった。とてもほっとしたわ。ありがとう」

 ブライアンの白衣を着終えたグレイはフリージアの元にやってくると、その無事を改めて確認するようにじっと見つめ、それから優しく抱きしめた。
 グレイが安堵したようにほうっと息を吐く。

「とても生きた心地がしなかった。無我夢中だった。気づいたら竜の姿で邸に向かって飛んでいて、邸で待っていたリッカから話を聞いたときは、全身の血が凍えているのに煮えたぎるようで……」

 もうこんな思いはしたくない。
 グレイが、胸の底から吐き出すようにそう呟いた。
 グレイの背に、フリージアもそっと手を伸ばす。

「ごめんなさい……私がしっかりしていなかったから」

「フリージアは悪くない。さらう方が悪いに決まってるだろう」

「でも、ジェームズ様は――」

「わかってる。だけど今彼の事を庇うようなことは言わないでくれ。今だけは」

「――はい」

 そうして長い間、フリージアの存在を確かめるようにただ黙って抱き締めた。
 それから、ふっと笑う吐息が聞こえた。

「竜でよかったと思ったのは初めてだ」

 やっとグレイがフリージアを離した時には、すっかり生暖かい視線に囲まれていた。
 はっとしたフリージアは、慌ててわたわたと人々を見回した。
 リッカは頬に手を当てうっとりと見守り、ジェームズは「ずるい」とえぐえぐ泣き、ブライアンはふむふむと遠慮なく見物していた。
 フリージアはブライアンの肩に留まっているジュナに気が付くと、慌てながら「ジュナも、私を庇ってくれてありがとう」と声をかけた。
 ジュナは戦うのに向いている体でもないのに、ジェームズとの間に入ってくれたのだ。

 ジュナは応えるように黒い翼をばさりと広げ、すぐにまた戻した。
 が、すぐに慌てたようにバサバサと翼をばたつかせ始めた。

「なんだ、ジュナ。翼が口に入るからやめてくれないか」

 ブライアンが慌てて腕を伸ばして手の甲にジュナを移動させれば、何かを言いたげに翼で森の奥をつんつんと示した。

「ん? 森の奥に何かあるのか?」

 グレイも訝しげにたずねれば、ジュナがこくりこくりと何度も頷く。
 眉を寄せ考えていたブライアンが、「ああ!」と思い出したように声を上げた。

「忘れてた、兎の三姉妹がまだ来ていない。ワッシュもだ」

   ・・・◆・・・◇・・・◆・・・

 その後、フリージアが心で強く『もう大丈夫。これから邸に戻るわ』と念じたものの、帰る道中でサシャ、ユーシャ、ミーシャ、ワッシュにも会った。

「フリージア様の無事を一刻も早く確かめたかったので」

 そう言って無事を喜んでくれた。
 ワッシュも息を切らし、ぐったりしながら「俺、ほとんどただの人間なんだけどなあ。ここまで来たのすごくねえ?」とぶつぶつ言っていた。

 邸に連絡係として必要な人だけを残して、みんながフリージアを探しに出てくれたのだ。
 感謝するのと同時に、フリージアはそれを嬉しく思ってしまった。
 邸の中よりもよほど遠い距離だったのに、心の声が届いたことも。
 グレイと同じようにフリージアもまた、自分にそんな力があってよかったと心の底から思ったのだった。



 翌朝。
 一度宿へと荷物を取りに帰っていたジェームズが、改めて客人としてリークハルト侯爵家にやってきた。

 グレイもフリージアも邸の使用人たちも、彼を客人として迎え入れた。
 客間に荷物を運び入れ、グレイと二人だけになると、ジェームズはくるりと振り向いた。

 そして唐突に告げた。

「信じようが信じまいがお前の勝手だがな。言っておくぞ」

「なんです?」

 いぶかしげに眉を寄せたグレイを、ジェームズはまっすぐに見た。

「私は城へなどお前を呼んでいない。足止めもしていない。考えてもみろ、人間社会ともこの国ともそれほど関わって来なかった私に、そんな工作ができると思うか?」

 言われてみれば確かにそうだとは思いながらも、グレイは疑いを隠せない。

「あれが偶然だとでも言うのですか?」

「いや。『私ではない』と言っているのだ」

 その言葉に、グレイが眉を寄せる。

「それは……」

「外に様子をうかがっている者がいることも話したな。だがあれは外に向けた見張りの目ではなかったぞ。内に向けられた監視だ」

「なん……だと? だとしたら――!」

「思い当たる節があるのだな? だったら備えておくがよい。今はその気配はもうなくなっているからな。一定の役目を終えたということだ」

 つまり。
 仕掛けてくる。

 カーティスが。

 長い沈黙の間に、もうあきらめたのだと思っていた。
 だがそうではなかったのだ。
 機をうかがっていたのだ。

 グレイははっとした。

 あの日、この邸から黒龍に姿を変えたジェームズを見られている。
 フリージアの異変を嗅ぎ取り、赤い竜が城からこの邸へと飛んで来たのも見られていたかもしれない。
 そしてそれは獣人に姿を変えた使用人を乗せて飛び去ったのだ。

 それをどう報告するか。
 カーティスがどう受け止めるか。

 ぼんやりしてはいられなかった。
 グレイは「恩に着ます」と一言残し、つかつかと歩き出した。

「何かが起きるとすれば私のせいでもある。だからこの邸に残ったというのもあるのだ。いや、受け入れられないのならばこっそり見守って危機的状況に駆け付けて一気に信頼を得ようといううまい展開を考えていなかったわけではないのだが」

「もうそんなのはいいじゃないですか。あなたはこの邸にとって友人ですよ。歓迎……というよりは、みんな面白がっている気はしますがね」

 少しだけ笑ってそう返せば、ジェームズは戸惑うように口ごもった。
 それから立ち去るグレイの背中にただ一言告げた。

「私も力を貸そう。できることがあれば言ってくれ」
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