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第4章 トラブル
第15話 嵐の後に
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カルミナ港の沖合に、朝の黄金色の光がゆっくりと差し込んできた。
夜通しの激しい戦いを終えた《セイレーン号》は、風と潮の流れをうまく利用しながら、静かに港の入り口へと進んでいく。メインマストの帆は深淵王との戦闘で激しく破れ、船体の至る所には触手による深い傷跡が刻まれていたが、それでも航行に致命的な支障はない。船上には、生死を分けた戦いを乗り越えた疲労と、辛うじて勝利を掴んだ安堵感が入り混じった重苦しい空気が漂っていた。全員の顔には深い疲れが刻まれているが、同時に困難を共に乗り越えた仲間としての絆も深まっているのが感じられる。
港の高い石造りの見張り台から色とりどりの合図旗が勢いよく上がると、すぐに複数の小舟が櫂を漕いで近づいてきた。港の衛兵や荷役人たちが、破損した《セイレーン号》を見て驚きと警戒の入り混じった複雑な表情を浮かべている。ここまで激しく損傷した船が帰還するのは珍しく、何が起きたのかと囁き合う声があちこちから聞こえてくる。
「……無事だったか!」
古い木造の桟橋に近づくと、港の長官セドリックが息を切らしながら駆け寄ってきた。白髪混じりの立派な髭を興奮で揺らしながら、心配と安堵が入り混じった表情で目を見開く。その後ろには衛兵隊長や港の有力商人たちも集まっており、この事件への関心の高さが窺える。
「昨夜の巨大な爆音と異常な高波で、港中が大騒ぎになっていたぞ。まさか本当に黒羽同盟の船を追って危険な外海まで出ていたとは……よく生きて帰ってきた」
リィナが静かに腰の革袋から、慎重に保管していた例の小瓶を取り出す。中には港を汚染していた毒物入り干物の貴重なサンプルが入っている。
「これが港の食中毒事件の元凶です。詳しく分析すれば、奴らの犯罪行為は科学的に立証できます」
セドリックの目がわずかに細まり、長年の行政経験に基づく真剣な光を帯びる。
「……これでようやく奴らを正式に告発し、法的に追い詰めることができる。だが、お前たちの疲れ切った顔色を見れば分かるが、証拠集めだけじゃなかったんだろうな?」
バルグが重い戦斧を肩から外し、疲労で甲板にドスンと音を立てて置く。
「おうよ。あいつら、とんでもない海の化け物まで飼いならしてやがった」
港の長官と周囲に集まった人々がざわめき始める。ダリオが海の男らしい重々しさで頷き、昨夜の信じ難い出来事を詳細に語り始めた。
深淵王――《アビスロード》。
古い伝承にのみ存在すると思われていた伝説級の海の怪物が、黒羽同盟の高度な魔術によって現実に呼び出され、俺たちを海の底に葬り去ろうとしたこと。魔術的制御装置を破壊して怪物を同盟の船に向けさせ、命からがら巨大な渦から脱出したこと。黒羽同盟の船は深淵王と激しい相打ちとなって共に海底に沈んだが、組織全体の壊滅を保証するものではないこと。
ダリオの生々しい証言を聞き終えたセドリックは、しばらく深刻な表情で黙り込んでいたが、やがて低く重い声で言った。
「……問題は港の外海だけではない。奴らはこの港の内部にも深く根を張っている。倉庫街や船員宿、商人の集会所に潜伏している残党が必ずいるはずだ」
俺は首を傾げて疑問を示した。
「港の中に、まだ黒羽同盟の連中が?」
「そうだ。昨日、お前たちが外海に向けて出航した後、夜明け前に正体不明の小舟が二隻、港を秘密裏に離れたとの報告があった。だが外海に向かった形跡はない……おそらく、この町のどこかに身を隠して潜伏している」
リィナの表情が薬師として、そして正義感の強い女性として引き締まる。
「つまり、黒羽同盟の残党が港に潜伏し続けて、情報収集や次の襲撃の準備をしている可能性が極めて高いということですね……」
「その通りだ。放置すれば必ず報復してくる」
ダリオが船乗りらしく太い腕を組んで口を開く。
「港の連中だけじゃあ、あの狡猾な残党を見つけ出すのは至難の業だろうな。あいつら、変装や潜入工作も相当なプロだ」
セドリックは俺たち三人を順番に見回し、重要な決断をしたような表情で言った。
「……港の警備隊の人数と経験だけでは限界がある。お前たちにも引き続き協力してもらいたい」
◆
昼過ぎ、俺たちは港町の迷路のような路地や倉庫街を効率的に分担して探索することになった。
俺は鷲の優れた視力を活かして上空からの監視を、バルグは戦士としての威圧感を利用して倉庫街の警備と尋問を、リィナは薬師としての知識と女性ならではの親しみやすさで商人宿や交易所周辺での聞き込みを担当する。
港の上空から見下ろすと、人の流れや荷物の動き、商談の様子が手に取るように分かる。普段なら活気に溢れているはずの場所での不自然な人通りの少なさ、物資を意図的に隠していそうな倉庫、見慣れない顔の人物の動き……怪しい場所や人物はいくつも発見できるが、決定的な証拠や黒羽同盟との直接的な繋がりはまだ見つからない。
そんな中、港の奥まった場所で一つの不審な光景が俺の鋭い目を引いた。
倉庫街の最も奥、潮風と湿気で朽ちかけた古い船具小屋。本来なら使われていないはずのその建物の屋根の裏側に、妙に大きな布袋を担いだ男が二人、周囲を警戒しながら素早く出入りしていた。袋の形状は明らかに樽を布で包んだような特徴的な輪郭をしており、例の毒物入り干物が入っている可能性が高い。
俺は静かに高度を下げ、バルグのいる持ち場へ翼で合図を送る。彼の戦士としての勘は鋭く、すぐに俺の意図を理解してくれた。
数分後、俺たちは小屋を四方から包囲する形で配置についた。
「中にいるのは分かってる! 素直に出てこい!」
バルグの威圧的な怒声が静かな倉庫街に響く。返事はない。代わりに小屋の中からカチャリと金属音が響き、武器を構える音がした。完全に戦闘態勢に入っている。
次の瞬間、古い木の扉が内側から勢いよく蹴破られ、三人の男が武器を手に飛び出してきた。全員が黒羽同盟の金色の紋章が刺繍された黒い革鎧を着ており、組織の正式なメンバーであることは疑いようがない。
「やっぱり残党がいたか……!」
狭い路地での激しい近接戦闘が始まった。
俺は上空から急降下し、一人の手から剣を正確に弾き飛ばす。バルグが正面から重い戦斧を豪快に振り抜き、敵の武器を粉砕する。リィナの放った矢が二人目の太腿を正確に貫き、動きを封じた。
最後の一人は仲間を見捨てて路地の奥へ必死に逃走しようとするが、俺が上空から追い詰めて鋭い嘴で後頭部を的確に小突き、意識を奪った。
◆
捕えた三人の黒羽同盟残党は、港の石造りの詰め所に厳重に引き渡された。
衛兵隊による徹底的な尋問の結果、奴らは港における黒羽同盟の中継拠点を守るための残留部隊であり、外海の本隊や各地の支部と秘密の連絡を取る重要な役目を担っていたことが判明した。
そして捜査でもう一つ重要な情報も掴むことができた――次の大規模な物資輸送と組織的な犯罪活動は、この港から北に二日ほど陸路を行った山間の町《グランツ》で計画されているという具体的な情報だった。
「……結局、次の戦場は陸路になるのか」
バルグが愛用の戦斧の柄を肩に乗せながら、やや疲れた様子で呟く。
「船での追跡じゃ追えねぇからな。陸路なら足の速い奴らにとっては都合がいいだろう」
リィナは腰の薬袋を軽く叩きながら確認する。
「港での事件はひとまず解決した。でも、この貴重な証拠をグランツまで安全に持参すれば、黒羽同盟の陸路での犯罪活動も完全に暴くことができるわ」
俺は港の外、北へ続く山道が見える街道を見つめる。遠くに見える山々の向こうに、また新たな戦いが待っているのは間違いない。
あの先に何が待ち受けているのかは正確には分からないが、確実に言えることが一つだけある。
――黒羽同盟との戦いは、まだ終わっていない。
こうして、次の目的地《グランツ》への危険な旅の準備が、港の静かな夕暮れの中で始まった。港の空気は一見平穏を取り戻したように見えるが、その平和な表面の下では、また新たな嵐が確実に生まれようとしていた。
夜通しの激しい戦いを終えた《セイレーン号》は、風と潮の流れをうまく利用しながら、静かに港の入り口へと進んでいく。メインマストの帆は深淵王との戦闘で激しく破れ、船体の至る所には触手による深い傷跡が刻まれていたが、それでも航行に致命的な支障はない。船上には、生死を分けた戦いを乗り越えた疲労と、辛うじて勝利を掴んだ安堵感が入り混じった重苦しい空気が漂っていた。全員の顔には深い疲れが刻まれているが、同時に困難を共に乗り越えた仲間としての絆も深まっているのが感じられる。
港の高い石造りの見張り台から色とりどりの合図旗が勢いよく上がると、すぐに複数の小舟が櫂を漕いで近づいてきた。港の衛兵や荷役人たちが、破損した《セイレーン号》を見て驚きと警戒の入り混じった複雑な表情を浮かべている。ここまで激しく損傷した船が帰還するのは珍しく、何が起きたのかと囁き合う声があちこちから聞こえてくる。
「……無事だったか!」
古い木造の桟橋に近づくと、港の長官セドリックが息を切らしながら駆け寄ってきた。白髪混じりの立派な髭を興奮で揺らしながら、心配と安堵が入り混じった表情で目を見開く。その後ろには衛兵隊長や港の有力商人たちも集まっており、この事件への関心の高さが窺える。
「昨夜の巨大な爆音と異常な高波で、港中が大騒ぎになっていたぞ。まさか本当に黒羽同盟の船を追って危険な外海まで出ていたとは……よく生きて帰ってきた」
リィナが静かに腰の革袋から、慎重に保管していた例の小瓶を取り出す。中には港を汚染していた毒物入り干物の貴重なサンプルが入っている。
「これが港の食中毒事件の元凶です。詳しく分析すれば、奴らの犯罪行為は科学的に立証できます」
セドリックの目がわずかに細まり、長年の行政経験に基づく真剣な光を帯びる。
「……これでようやく奴らを正式に告発し、法的に追い詰めることができる。だが、お前たちの疲れ切った顔色を見れば分かるが、証拠集めだけじゃなかったんだろうな?」
バルグが重い戦斧を肩から外し、疲労で甲板にドスンと音を立てて置く。
「おうよ。あいつら、とんでもない海の化け物まで飼いならしてやがった」
港の長官と周囲に集まった人々がざわめき始める。ダリオが海の男らしい重々しさで頷き、昨夜の信じ難い出来事を詳細に語り始めた。
深淵王――《アビスロード》。
古い伝承にのみ存在すると思われていた伝説級の海の怪物が、黒羽同盟の高度な魔術によって現実に呼び出され、俺たちを海の底に葬り去ろうとしたこと。魔術的制御装置を破壊して怪物を同盟の船に向けさせ、命からがら巨大な渦から脱出したこと。黒羽同盟の船は深淵王と激しい相打ちとなって共に海底に沈んだが、組織全体の壊滅を保証するものではないこと。
ダリオの生々しい証言を聞き終えたセドリックは、しばらく深刻な表情で黙り込んでいたが、やがて低く重い声で言った。
「……問題は港の外海だけではない。奴らはこの港の内部にも深く根を張っている。倉庫街や船員宿、商人の集会所に潜伏している残党が必ずいるはずだ」
俺は首を傾げて疑問を示した。
「港の中に、まだ黒羽同盟の連中が?」
「そうだ。昨日、お前たちが外海に向けて出航した後、夜明け前に正体不明の小舟が二隻、港を秘密裏に離れたとの報告があった。だが外海に向かった形跡はない……おそらく、この町のどこかに身を隠して潜伏している」
リィナの表情が薬師として、そして正義感の強い女性として引き締まる。
「つまり、黒羽同盟の残党が港に潜伏し続けて、情報収集や次の襲撃の準備をしている可能性が極めて高いということですね……」
「その通りだ。放置すれば必ず報復してくる」
ダリオが船乗りらしく太い腕を組んで口を開く。
「港の連中だけじゃあ、あの狡猾な残党を見つけ出すのは至難の業だろうな。あいつら、変装や潜入工作も相当なプロだ」
セドリックは俺たち三人を順番に見回し、重要な決断をしたような表情で言った。
「……港の警備隊の人数と経験だけでは限界がある。お前たちにも引き続き協力してもらいたい」
◆
昼過ぎ、俺たちは港町の迷路のような路地や倉庫街を効率的に分担して探索することになった。
俺は鷲の優れた視力を活かして上空からの監視を、バルグは戦士としての威圧感を利用して倉庫街の警備と尋問を、リィナは薬師としての知識と女性ならではの親しみやすさで商人宿や交易所周辺での聞き込みを担当する。
港の上空から見下ろすと、人の流れや荷物の動き、商談の様子が手に取るように分かる。普段なら活気に溢れているはずの場所での不自然な人通りの少なさ、物資を意図的に隠していそうな倉庫、見慣れない顔の人物の動き……怪しい場所や人物はいくつも発見できるが、決定的な証拠や黒羽同盟との直接的な繋がりはまだ見つからない。
そんな中、港の奥まった場所で一つの不審な光景が俺の鋭い目を引いた。
倉庫街の最も奥、潮風と湿気で朽ちかけた古い船具小屋。本来なら使われていないはずのその建物の屋根の裏側に、妙に大きな布袋を担いだ男が二人、周囲を警戒しながら素早く出入りしていた。袋の形状は明らかに樽を布で包んだような特徴的な輪郭をしており、例の毒物入り干物が入っている可能性が高い。
俺は静かに高度を下げ、バルグのいる持ち場へ翼で合図を送る。彼の戦士としての勘は鋭く、すぐに俺の意図を理解してくれた。
数分後、俺たちは小屋を四方から包囲する形で配置についた。
「中にいるのは分かってる! 素直に出てこい!」
バルグの威圧的な怒声が静かな倉庫街に響く。返事はない。代わりに小屋の中からカチャリと金属音が響き、武器を構える音がした。完全に戦闘態勢に入っている。
次の瞬間、古い木の扉が内側から勢いよく蹴破られ、三人の男が武器を手に飛び出してきた。全員が黒羽同盟の金色の紋章が刺繍された黒い革鎧を着ており、組織の正式なメンバーであることは疑いようがない。
「やっぱり残党がいたか……!」
狭い路地での激しい近接戦闘が始まった。
俺は上空から急降下し、一人の手から剣を正確に弾き飛ばす。バルグが正面から重い戦斧を豪快に振り抜き、敵の武器を粉砕する。リィナの放った矢が二人目の太腿を正確に貫き、動きを封じた。
最後の一人は仲間を見捨てて路地の奥へ必死に逃走しようとするが、俺が上空から追い詰めて鋭い嘴で後頭部を的確に小突き、意識を奪った。
◆
捕えた三人の黒羽同盟残党は、港の石造りの詰め所に厳重に引き渡された。
衛兵隊による徹底的な尋問の結果、奴らは港における黒羽同盟の中継拠点を守るための残留部隊であり、外海の本隊や各地の支部と秘密の連絡を取る重要な役目を担っていたことが判明した。
そして捜査でもう一つ重要な情報も掴むことができた――次の大規模な物資輸送と組織的な犯罪活動は、この港から北に二日ほど陸路を行った山間の町《グランツ》で計画されているという具体的な情報だった。
「……結局、次の戦場は陸路になるのか」
バルグが愛用の戦斧の柄を肩に乗せながら、やや疲れた様子で呟く。
「船での追跡じゃ追えねぇからな。陸路なら足の速い奴らにとっては都合がいいだろう」
リィナは腰の薬袋を軽く叩きながら確認する。
「港での事件はひとまず解決した。でも、この貴重な証拠をグランツまで安全に持参すれば、黒羽同盟の陸路での犯罪活動も完全に暴くことができるわ」
俺は港の外、北へ続く山道が見える街道を見つめる。遠くに見える山々の向こうに、また新たな戦いが待っているのは間違いない。
あの先に何が待ち受けているのかは正確には分からないが、確実に言えることが一つだけある。
――黒羽同盟との戦いは、まだ終わっていない。
こうして、次の目的地《グランツ》への危険な旅の準備が、港の静かな夕暮れの中で始まった。港の空気は一見平穏を取り戻したように見えるが、その平和な表面の下では、また新たな嵐が確実に生まれようとしていた。
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