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第5章 新たな場所へ
第20話 赤く囲まれた村々
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倉庫での激しい戦いから一夜明け、グランツの朝は例によって冷たい霧と教会の重厚な鐘の音で静かに始まった。
市場広場の空気は依然として昨日と変わらず重苦しく、町の人々は昨夜の倉庫での騒ぎを見て見ぬふりをして、努めて平静を装いながら静かに日常を続けている。露店の店主たちは普段よりも声を潜め、客たちも足早に買い物を済ませて立ち去っていく。誰もが何かを恐れているような、そんな緊張感が町全体を覆っていた。
宿の薄暗い一室で、俺たちは昨夜の戦闘で手に入れた重要な羊皮紙の地図を木製の机に慎重に広げていた。朝の光がわずかに差し込む窓際で、地図の詳細がはっきりと見て取れる。
赤いインクで囲われた七つの村――そのどれもが山岳地帯の主要な交易路や貴重な水源の近くに戦略的に位置しており、ここを完全に制圧されれば、この一帯の経済活動も住民の生活も完全に麻痺してしまうだろう。黒羽同盟の計画の巧妙さと悪質さが、地図を見るだけで痛いほど伝わってくる。
「毒干物や粉末毒を広範囲にばら撒くつもりなら、清浄な水源近くの村は間違いなく最優先標的ってことね」
リィナが薬師としての専門知識を活かしながら、細い指で村の位置を一つ一つ示していく。水源地での毒物汚染がどれほど深刻な被害をもたらすか、彼女は誰よりもよく理解している。
「問題は、奴らが七つの村を同時に攻撃するのか、それとも戦略的に順番に一つずつ潰していくのかだ」
バルグが歴戦の戦士として戦術的な観点から分析しながら、愛用の戦斧の柄で机を軽く叩く。
俺は鋭い嘴で地図の端をしっかりと押さえながら、昨夜の倉庫で対峙した恐ろしい刺青の男のことを思い出していた。あの冷酷な眼光と異様に長い曲刀、そして全身から発していた圧倒的な殺気……恐らくは黒羽同盟の中でも相当な地位にある幹部格だろう。あの男が直接関わっている以上、これは単なる物資の破壊工作では済まない。もっと大規模で組織的な、地域全体を巻き込む恐ろしい計画に違いない。
◆
「で、結局どこから手をつけるんだ?」
バルグの実践的な問いに対して、俺は地図の最北端の村を嘴で正確に突いた。
「ここだ、《リューベン村》。標高は他より高いが、地形的に見て一番守りやすい要害の地にある。逆に言えば、最初に制圧されてしまえば他の村への防衛線が完全に崩れてしまう」
「なるほど、確かに戦略的要衝ね。あと……ほら、ここに果樹園のマークもついてるじゃない」
リィナが意味深な半眼で俺を見つめる。彼女は既に俺の行動パターンを完全に把握している。
「……これは純粋に戦略的判断だ」
「はいはい、そういうことにしておくわ」
リィナの苦笑いに、バルグも肩を揺らして笑いを堪えている。
作戦の詳細が決まった。昼過ぎには荷物をまとめてグランツを出発し、山道を急行して夕刻前にはリューベン村に到着する予定だ。毒物の製造場所や輸送ルートの詳細が村で判明すれば、残りの六つの村への攻撃計画も事前に阻止できるかもしれない。
◆
昼前、俺たちは宿の支払いを済ませて荷物を担いで外に出た。
山間部特有の乾いた冷たい風が谷間を吹き抜け、昨日の激しい戦闘の名残なのか、市場広場の片隅には焦げ跡や砕けた木箱の破片、血痕らしきシミがまだ生々しく残っている。町の人々はそれらを見て見ぬふりをしているが、誰もがその近くを避けて通っている。
石畳の通りを歩いていると、昨日果物を鑑定させてもらった果物屋の親父が俺に手招きしてきた。
「おい鷲さん、あんたたち昨夜の騒ぎで……いや、何でもない。それよりこれ、持っていきな」
彼が差し出したのは、昨日俺が鑑定した黒い柑橘を丁寧に干して作った保存食だった。山の旅に適した栄養価の高い携帯食料として最適な仕上がりになっている。
「遠出するならビタミンと糖分は大事だろう? 気をつけて行けよ」
「心得ている。ありがたい」
――これで少なくとも三日間は糖分不足に悩まされずに済む。果物愛好家としては非常にありがたい心遣いだった。
◆
グランツを出発してから約二時間、山道の急勾配を登りきった辺りで、前方の山の向こうに黒い煙が立ち上っているのが見えた。
それは単なる焚き火の煙ではない。火事特有の匂いに混じって、鼻をつくあの忌まわしい臭い――人工的に合成された毒物特有の刺激臭が風に乗って運ばれてくる。
「……間違いない、既にやられてる」
リィナの表情が薬師として深刻なものに変わる。この臭いの意味を、彼女は誰よりもよく理解している。
まだリューベン村までは相当な距離があるはずだが、この煙が上がっている位置は、地図で赤く囲まれた標的村の一つと完全に一致している。
急ぎ足で煙の方向に向かって進むと、山道の途中で荷車を道端に放棄して倒れている男を発見した。中年の商人風の服装で、まだ息はあるが意識は朦朧としており、全身の力が抜けている。服には灰と何か黒い粉末が大量に付着していた。
「この黒い粉末……昨夜の倉庫にあった金属箱と全く同じ成分よ」
リィナが即座に粉末のサンプルを採取して簡易分析を行う。薬師としての経験と知識が、瞬時に危険性を判定する。
俺は倒れた男に嘴を軽く触れて状態を確認する。重度の毒物中毒の症状だが、まだ回復の可能性はある。適切な処置を施せば命は助かるだろう。
――どうやら、黒羽同盟は俺たちの予想よりもはるかに早く、既に次の標的への攻撃を開始しているらしい。
山の向こうから、まるで俺たちを嘲笑うかのように、あの刺青の男の低い笑い声が風に乗って聞こえてきた気がした。その不気味な笑いは、真の戦いがこれから本格的に始まるのだと、俺たちに告げているようだった――。
市場広場の空気は依然として昨日と変わらず重苦しく、町の人々は昨夜の倉庫での騒ぎを見て見ぬふりをして、努めて平静を装いながら静かに日常を続けている。露店の店主たちは普段よりも声を潜め、客たちも足早に買い物を済ませて立ち去っていく。誰もが何かを恐れているような、そんな緊張感が町全体を覆っていた。
宿の薄暗い一室で、俺たちは昨夜の戦闘で手に入れた重要な羊皮紙の地図を木製の机に慎重に広げていた。朝の光がわずかに差し込む窓際で、地図の詳細がはっきりと見て取れる。
赤いインクで囲われた七つの村――そのどれもが山岳地帯の主要な交易路や貴重な水源の近くに戦略的に位置しており、ここを完全に制圧されれば、この一帯の経済活動も住民の生活も完全に麻痺してしまうだろう。黒羽同盟の計画の巧妙さと悪質さが、地図を見るだけで痛いほど伝わってくる。
「毒干物や粉末毒を広範囲にばら撒くつもりなら、清浄な水源近くの村は間違いなく最優先標的ってことね」
リィナが薬師としての専門知識を活かしながら、細い指で村の位置を一つ一つ示していく。水源地での毒物汚染がどれほど深刻な被害をもたらすか、彼女は誰よりもよく理解している。
「問題は、奴らが七つの村を同時に攻撃するのか、それとも戦略的に順番に一つずつ潰していくのかだ」
バルグが歴戦の戦士として戦術的な観点から分析しながら、愛用の戦斧の柄で机を軽く叩く。
俺は鋭い嘴で地図の端をしっかりと押さえながら、昨夜の倉庫で対峙した恐ろしい刺青の男のことを思い出していた。あの冷酷な眼光と異様に長い曲刀、そして全身から発していた圧倒的な殺気……恐らくは黒羽同盟の中でも相当な地位にある幹部格だろう。あの男が直接関わっている以上、これは単なる物資の破壊工作では済まない。もっと大規模で組織的な、地域全体を巻き込む恐ろしい計画に違いない。
◆
「で、結局どこから手をつけるんだ?」
バルグの実践的な問いに対して、俺は地図の最北端の村を嘴で正確に突いた。
「ここだ、《リューベン村》。標高は他より高いが、地形的に見て一番守りやすい要害の地にある。逆に言えば、最初に制圧されてしまえば他の村への防衛線が完全に崩れてしまう」
「なるほど、確かに戦略的要衝ね。あと……ほら、ここに果樹園のマークもついてるじゃない」
リィナが意味深な半眼で俺を見つめる。彼女は既に俺の行動パターンを完全に把握している。
「……これは純粋に戦略的判断だ」
「はいはい、そういうことにしておくわ」
リィナの苦笑いに、バルグも肩を揺らして笑いを堪えている。
作戦の詳細が決まった。昼過ぎには荷物をまとめてグランツを出発し、山道を急行して夕刻前にはリューベン村に到着する予定だ。毒物の製造場所や輸送ルートの詳細が村で判明すれば、残りの六つの村への攻撃計画も事前に阻止できるかもしれない。
◆
昼前、俺たちは宿の支払いを済ませて荷物を担いで外に出た。
山間部特有の乾いた冷たい風が谷間を吹き抜け、昨日の激しい戦闘の名残なのか、市場広場の片隅には焦げ跡や砕けた木箱の破片、血痕らしきシミがまだ生々しく残っている。町の人々はそれらを見て見ぬふりをしているが、誰もがその近くを避けて通っている。
石畳の通りを歩いていると、昨日果物を鑑定させてもらった果物屋の親父が俺に手招きしてきた。
「おい鷲さん、あんたたち昨夜の騒ぎで……いや、何でもない。それよりこれ、持っていきな」
彼が差し出したのは、昨日俺が鑑定した黒い柑橘を丁寧に干して作った保存食だった。山の旅に適した栄養価の高い携帯食料として最適な仕上がりになっている。
「遠出するならビタミンと糖分は大事だろう? 気をつけて行けよ」
「心得ている。ありがたい」
――これで少なくとも三日間は糖分不足に悩まされずに済む。果物愛好家としては非常にありがたい心遣いだった。
◆
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それは単なる焚き火の煙ではない。火事特有の匂いに混じって、鼻をつくあの忌まわしい臭い――人工的に合成された毒物特有の刺激臭が風に乗って運ばれてくる。
「……間違いない、既にやられてる」
リィナの表情が薬師として深刻なものに変わる。この臭いの意味を、彼女は誰よりもよく理解している。
まだリューベン村までは相当な距離があるはずだが、この煙が上がっている位置は、地図で赤く囲まれた標的村の一つと完全に一致している。
急ぎ足で煙の方向に向かって進むと、山道の途中で荷車を道端に放棄して倒れている男を発見した。中年の商人風の服装で、まだ息はあるが意識は朦朧としており、全身の力が抜けている。服には灰と何か黒い粉末が大量に付着していた。
「この黒い粉末……昨夜の倉庫にあった金属箱と全く同じ成分よ」
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俺は倒れた男に嘴を軽く触れて状態を確認する。重度の毒物中毒の症状だが、まだ回復の可能性はある。適切な処置を施せば命は助かるだろう。
――どうやら、黒羽同盟は俺たちの予想よりもはるかに早く、既に次の標的への攻撃を開始しているらしい。
山の向こうから、まるで俺たちを嘲笑うかのように、あの刺青の男の低い笑い声が風に乗って聞こえてきた気がした。その不気味な笑いは、真の戦いがこれから本格的に始まるのだと、俺たちに告げているようだった――。
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