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第6章 ヴァルメリア
第30話 刺青の男、動く
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裏倉庫制圧から二日後。
ヴァルメリアの市場は表面的には再び平穏を取り戻したように見えた。商人たちは普段通りに商品を並べ、客たちも日常的な買い物を楽しんでいる。だが、それは見た目だけの話で、街の空気には微かな緊張感が漂っていた。俺たちのような事情を知る者には、この平和が一時的なものに過ぎないことが痛いほどわかる。
俺たちは宿の二階にある薄暗い食堂で、遅めの朝食をゆっくりととっていた。
バルグは大皿に山盛りの香ばしい肉料理を豪快に頬張り、リィナは薬草を丁寧にブレンドした香草スープを上品に飲んでいる。そして俺は――昨夜の戦利品である干し果物の詰め合わせを前に、この世のものとは思えない至福の表情を浮かべていた。
「……あなた、その干し果物、まだ半分くらい残ってたのね」
リィナが薬師らしい観察眼で指摘する。
「保存がきくからな。これは戦略的備蓄というものだ」
「その備蓄、昨日の夜中に半分以上減ってたじゃない。寝る前に確認したもの」
あまりにも鋭い指摘に俺の嘴が完全に止まる。バルグは口に肉を放り込みながら、必死で笑いをこらえて肩を震わせていた。
そんな穏やかで平和な空気を一瞬で破るように、宿の重厚な扉が勢いよく開かれた。
衛兵隊の若い隊員が息を荒く切らしながら、慌てふためいて駆け込んできた。その表情には恐怖と焦燥が色濃く浮かんでいる。
「大変です! 北区の高級商館通りが……黒羽同盟に大規模襲撃されています!」
◆
現場に急行すると、そこは既に完全な戦場と化していた。
平時は優雅で洗練された高級商館のガラス窓は無残に割れ散り、建物の数カ所から黒い煙と共に火の手が勢いよく上がっている。石畳の路地には黒装束の男たちが十数人、まるで軍隊のように規律正しく動き回り、略奪した貴重な物資を組織的に荷車に積み込んでいる。
そして、その混乱の中心に――ついに刺青の男の姿があった。
あの港での戦いの時と同じ、氷のように冷たく計算高い視線で戦況全体を冷静に指揮し、部下たちに短く的確な指令を次々と飛ばしている。背中には以前よりもさらに大きく禍々しい曲刀を背負っており、その動きは港での戦い以上に洗練され、より危険な雰囲気を醸し出している。
「……やっぱり来やがったな、あの野郎」
バルグの声は低く抑えられ、鋼鉄のように硬い怒りが込められていた。
◆
刺青の男は俺たちの到着に気づくと、唇の端にわずかな冷笑を浮かべた。
「港では実に楽しませてもらった。だが、今度は俺の番だ」
その言葉と同時に、奴は人間の限界を超えた信じられない速さで地面を強く蹴り、一瞬でバルグに肉薄した。重い戦斧と鋭い曲刀が再び激突し、金属同士がぶつかる凄まじい音が響いて周囲の空気が震える。
俺は翼を広げて上空から援護に回ろうとしたが、別の黒装束の暗殺者が三人、まるで計算されたタイミングで屋根から同時に飛び降りて俺の進路を完全に塞ぐ。
リィナもまた、毒を仕込んだ矢を放つ敵の弓兵に狙われ、必死に身をかわしながら反撃の機会を窺っていた。
完全に分断される形で激しい戦いが始まった――しかも、明らかにこれは刺青の男が事前に綿密に計画し、仕組んだ戦術的布陣だ。
◆
俺は翼を畳んで急降下し、一人の暗殺者を鋭い嘴で武器ごと勢いよく弾き飛ばす。だが、すぐに背後からもう一人が音もなく迫ってくる。
その刃が俺の背中に致命傷を与える直前、リィナの矢が間一髪でその武器を正確に弾いた。
「後で高級な飴を買って返してもらうからね!」
「命の借りが飴一袋って安すぎるだろ!」
生死を分ける戦場の真っ只中でそんな軽妙なやりとりを交わしつつ、俺たちは必死に体勢を立て直そうとする。
一方、バルグと刺青の男の死闘は見る者の息を呑むほどの凄まじさを増していた。火花を散らす連続の斬撃、石畳を粉々に砕く衝撃波、そして一瞬ごとに変化する緊迫した間合い――互いに一歩も引かない、まさに死力を尽くした戦いだった。
◆
だが、戦況は時間が経つにつれて少しずつ敵に傾き始める。
刺青の男の訓練された部下たちは、俺とリィナの周囲をじわじわと狭めながら、完全包囲を着実に狙っている。さらに深刻なことに、路地の奥からは新たな増援らしき複数の影が組織的に動き始めていた。
「……これはまずい状況だな」
このままでは、全員がここで捕らえられるか、最悪の場合は命を落とすことになる。
俺は一瞬で重要な決断を下した。
「バルグ! リィナ! 一旦戦術的に退くぞ!」
バルグは渾身の力を込めて一度だけ刺青の男を大きく押し返し、リィナは最後の矢を敵の足元に正確に撃ち込んで貴重な隙を作る。
その一瞬の空白を巧妙に利用し、俺たちは市場の入り組んだ裏路地へと素早く飛び込んだ。
背後から、刺青の男の低く不気味な笑い声が追ってくる。
「逃げろ……次はもっと楽しい狩りにしてやる」
◆
宿に戻った俺たちは、互いの無事を確認し合いながらも、明らかな敗北感を隠すことができなかった。今回の戦いで、敵の実力と組織力が想像以上であることが痛いほどわかった。
敵の狙いは単なる報復ではない。ヴァルメリア全体を混乱に陥れる大規模で長期的な計画の一端に過ぎない――そう強く直感した。
そして、その恐ろしい計画の全貌を突き止めなければ、この美しい都市も、ここに平和に暮らす無数の人々も守ることはできない。
干し果物の最後の一切れを名残惜しそうに口に入れながら、俺は心の奥で決意を新たにした。
――次こそ、必ず刺青の男を仕留める。
ヴァルメリアの市場は表面的には再び平穏を取り戻したように見えた。商人たちは普段通りに商品を並べ、客たちも日常的な買い物を楽しんでいる。だが、それは見た目だけの話で、街の空気には微かな緊張感が漂っていた。俺たちのような事情を知る者には、この平和が一時的なものに過ぎないことが痛いほどわかる。
俺たちは宿の二階にある薄暗い食堂で、遅めの朝食をゆっくりととっていた。
バルグは大皿に山盛りの香ばしい肉料理を豪快に頬張り、リィナは薬草を丁寧にブレンドした香草スープを上品に飲んでいる。そして俺は――昨夜の戦利品である干し果物の詰め合わせを前に、この世のものとは思えない至福の表情を浮かべていた。
「……あなた、その干し果物、まだ半分くらい残ってたのね」
リィナが薬師らしい観察眼で指摘する。
「保存がきくからな。これは戦略的備蓄というものだ」
「その備蓄、昨日の夜中に半分以上減ってたじゃない。寝る前に確認したもの」
あまりにも鋭い指摘に俺の嘴が完全に止まる。バルグは口に肉を放り込みながら、必死で笑いをこらえて肩を震わせていた。
そんな穏やかで平和な空気を一瞬で破るように、宿の重厚な扉が勢いよく開かれた。
衛兵隊の若い隊員が息を荒く切らしながら、慌てふためいて駆け込んできた。その表情には恐怖と焦燥が色濃く浮かんでいる。
「大変です! 北区の高級商館通りが……黒羽同盟に大規模襲撃されています!」
◆
現場に急行すると、そこは既に完全な戦場と化していた。
平時は優雅で洗練された高級商館のガラス窓は無残に割れ散り、建物の数カ所から黒い煙と共に火の手が勢いよく上がっている。石畳の路地には黒装束の男たちが十数人、まるで軍隊のように規律正しく動き回り、略奪した貴重な物資を組織的に荷車に積み込んでいる。
そして、その混乱の中心に――ついに刺青の男の姿があった。
あの港での戦いの時と同じ、氷のように冷たく計算高い視線で戦況全体を冷静に指揮し、部下たちに短く的確な指令を次々と飛ばしている。背中には以前よりもさらに大きく禍々しい曲刀を背負っており、その動きは港での戦い以上に洗練され、より危険な雰囲気を醸し出している。
「……やっぱり来やがったな、あの野郎」
バルグの声は低く抑えられ、鋼鉄のように硬い怒りが込められていた。
◆
刺青の男は俺たちの到着に気づくと、唇の端にわずかな冷笑を浮かべた。
「港では実に楽しませてもらった。だが、今度は俺の番だ」
その言葉と同時に、奴は人間の限界を超えた信じられない速さで地面を強く蹴り、一瞬でバルグに肉薄した。重い戦斧と鋭い曲刀が再び激突し、金属同士がぶつかる凄まじい音が響いて周囲の空気が震える。
俺は翼を広げて上空から援護に回ろうとしたが、別の黒装束の暗殺者が三人、まるで計算されたタイミングで屋根から同時に飛び降りて俺の進路を完全に塞ぐ。
リィナもまた、毒を仕込んだ矢を放つ敵の弓兵に狙われ、必死に身をかわしながら反撃の機会を窺っていた。
完全に分断される形で激しい戦いが始まった――しかも、明らかにこれは刺青の男が事前に綿密に計画し、仕組んだ戦術的布陣だ。
◆
俺は翼を畳んで急降下し、一人の暗殺者を鋭い嘴で武器ごと勢いよく弾き飛ばす。だが、すぐに背後からもう一人が音もなく迫ってくる。
その刃が俺の背中に致命傷を与える直前、リィナの矢が間一髪でその武器を正確に弾いた。
「後で高級な飴を買って返してもらうからね!」
「命の借りが飴一袋って安すぎるだろ!」
生死を分ける戦場の真っ只中でそんな軽妙なやりとりを交わしつつ、俺たちは必死に体勢を立て直そうとする。
一方、バルグと刺青の男の死闘は見る者の息を呑むほどの凄まじさを増していた。火花を散らす連続の斬撃、石畳を粉々に砕く衝撃波、そして一瞬ごとに変化する緊迫した間合い――互いに一歩も引かない、まさに死力を尽くした戦いだった。
◆
だが、戦況は時間が経つにつれて少しずつ敵に傾き始める。
刺青の男の訓練された部下たちは、俺とリィナの周囲をじわじわと狭めながら、完全包囲を着実に狙っている。さらに深刻なことに、路地の奥からは新たな増援らしき複数の影が組織的に動き始めていた。
「……これはまずい状況だな」
このままでは、全員がここで捕らえられるか、最悪の場合は命を落とすことになる。
俺は一瞬で重要な決断を下した。
「バルグ! リィナ! 一旦戦術的に退くぞ!」
バルグは渾身の力を込めて一度だけ刺青の男を大きく押し返し、リィナは最後の矢を敵の足元に正確に撃ち込んで貴重な隙を作る。
その一瞬の空白を巧妙に利用し、俺たちは市場の入り組んだ裏路地へと素早く飛び込んだ。
背後から、刺青の男の低く不気味な笑い声が追ってくる。
「逃げろ……次はもっと楽しい狩りにしてやる」
◆
宿に戻った俺たちは、互いの無事を確認し合いながらも、明らかな敗北感を隠すことができなかった。今回の戦いで、敵の実力と組織力が想像以上であることが痛いほどわかった。
敵の狙いは単なる報復ではない。ヴァルメリア全体を混乱に陥れる大規模で長期的な計画の一端に過ぎない――そう強く直感した。
そして、その恐ろしい計画の全貌を突き止めなければ、この美しい都市も、ここに平和に暮らす無数の人々も守ることはできない。
干し果物の最後の一切れを名残惜しそうに口に入れながら、俺は心の奥で決意を新たにした。
――次こそ、必ず刺青の男を仕留める。
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